第16話 家族の肖像

「舘野建設の経営状態が悪いことを知ったのです。八重さんはなんとか融資したいと思ってくださったようで……ある申し出を……」


彩子さんは辛そうに目を伏せた。

その様子だけで、他人には伺い知れぬ葛藤があったのだとわかる。

私達は、静かに彩子さんが喋り出すのを待った。


「八重さんは……末期ガンだったんです。それで、死後の遺産を全て舘野建設と私達家族に譲りたいと言いました……他に家族や親戚はいないからって。でも、優さんに母親だと知られたくない八重さんは、私に遠縁の振りをしてくれと頼んだのです。後のことはなんとかするからと」


「そうか……舘野建設が持ち直したのにはそういった経緯が……」


漆原さんは納得したように頷いた。

でも、その隣では、社長が何とも言い難い苦悶の表情をしていた。


「たとえ……たとえ……樫村夫人が母親だったとしても、一人で生きてきた私には他人も同然だ。今更なんの思いもない。あるとすれば、金をくれたことに対する感謝だけだな」


「あなたっ!そんな言い方ないでしょう!?」


「だったらなんと言えばいいんだ!?勝手に産んで、勝手に捨てて、勝手に探して……都合が良すぎないか!?」


社長の叫びに、彩子さんは黙ってしまった。

正論過ぎてぐうの音もでないのだろう。

理由はどうあれ、舘野社長が四十年余りを、己の力だけで生きてきたことには代わりない。

八重さんや親に対する思いが、複雑なのは当然だ。

でも、それは、日記や手紙を見ても同じだろうか?

両親の真実を知っても、憎しみを抱いていられるのだろうか?

そう思うと、いてもたってもいられず、私は社長に詰め寄った。


「舘野社長!日記と……手紙を見て下さい!そして、知って下さい!八重さんと相沢さんに何があったのか!知った上で、憎しみが消えないなら仕方ありません……でも、知りもせずに二人のことを憎むなんておかしいですよ!」


「き、君……ちょっと……近い……」


「お願いしますっ!!」


負けられない私は、睨みを利かせ至近距離で社長にぐいぐい迫る。

逆セクハラで訴えられても構わない!

毅然とした覚悟の私の行動は、恐れ戦く社長の首を縦に振らせることに成功した。


「……わかったよ。見るけど、気持ちは変わらないよ」


「ありがとうございます!いいんです!見て頂けたら!」


彩子さんから日記を、漆原さんから手紙を受け取り、私は社長へと手渡した。

一度きちんと座り直し、テーブルの上のミネラルウォーターを一口飲むと、社長は日記のページを捲った。


最初は、その表情に何の変化も見られなかった。

しかし、日記が中頃に差し掛かると社長の顔色が変わった。

一度読んだからわかる。

そこはきっと、自分の父親である相沢誠二が病死した辺りだ。

日記では、相沢さんの死後、お腹に彼の子供がいることを知った八重さんは、子爵にそのことを隠し通そうとする。

気付かれれば間違いなく堕胎の処置をされてしまうからだ。

それから八重さんは、堕胎が出来ない週までなんとか隠し通すことに成功するのだが……。


「四宮子爵が……勝手に子供を……」


社長は吐き捨てるように呟いた。


四宮子爵は、八重さんを出産させた後、彼女が寝ている間に子供をどこかに連れていったのだ。

日記には、父が息子を奪ったと、気も狂わんばかりに書きなぐられていた。


「母ではなく……四宮子爵が……」


「お義母様はお義父様との子供であるあなたを、守っていたの!とても愛していたのよ!」


彩子さんは涙を一筋溢し、呆然と日記を見つめ続ける社長に寄り添った。


「母に……親に……捨てられたんじゃなかった……のか……」


「ええそう!そうよ!だって私、わかるもの!親になってみて、どれだけ我が子を愛しているか……愛する人との子供がどれだけ愛おしいか……お義母様の気持ちが……苦しいくらいわかるの……」


彩子さんの声は、最後は嗚咽になり聞こえなくなった。

でも、その心を揺さぶられるような訴えは、とうとう社長の心に届いたようだ。

ゆっくりと彩子さんの肩を抱き、優しく擦る社長の顔は、さっきとは全く違う穏やかな顔をしていた。


「私は……立派になって、金持ちになって、捨てた親を見返してやろうと思っていたんだ。だが、そう思うことが、既に親を慕っていたんだなと……今、やっと気付いたよ……」


「あなた……ごめんなさい」


「なんで謝るんだ?」


「だって……知ってて黙っていたのよ、私。生きてる間に会えたかもしれないのに!会わせてあげられたかもしれないのに!」


彩子さんは泣きじゃくった。

会うことを望まなかった八重さんと、親を憎み生きてきた社長。

不器用な親子の間に挟まれて、どうにも出来なかった葛藤を思うと私まで泣きそうになる。


「いいんだ……いいんだよ。だって私は結果的に知ったからね。母や父に会えなくても、愛されていたって。それは、君がいなければ絶対に気付くことは出来なかったことだよ」


社長は見たこともないような素敵な笑顔で、彩子さんの頭を撫でる。

それを見て、ヨキが言った。


「彩子さん、あなたがこの絵を売りたくなかった理由。それは、この絵が唯一家族が繋がれるもの。家族の肖像だったからだろう?」


彩子さんは、涙を拭いながら頷いた。


「私は、子供が産まれたら全てを話したいと思っていました。例え当時何があったにしても、確かに家族はいたんだって、優さんに知って欲しかった。生まれた子供にも祖父と祖母がいたって、教えたかったんです」


そう言って、彩子さんが微笑むと、気恥ずかしそうに社長も笑う。

あの日、画廊にやって来た彩子さんは恐ろしいほどの剣幕だった。

それは、全て社長のため……いや、八重さんと相沢さんの思いを守り、生まれた子供に繋ぐため、だったんだ。

私は込み上げてくる涙を必死に耐えていたけど、目の前で、恥ずかしげもなくポロポロと涙を溢す漆原さんを見て、とうとう涙腺が崩壊した。


「ううっ……ズッ……」


「ふっ……ズッ……ズズッ……」


涙とセットで出る鼻水を啜り、私と漆原さんが泣くのを見て、ヨキは呆れ、社長と彩子さんは、声を上げて笑った。


「全く……お前達が泣いてどうするんだ……」


はぁーと、大きな溜め息をつくヨキ。

でも、その口角がやんわりと上がっていたのを、私は気付いていたのだ。

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