第13話 入り口で待つ男

それから、私とヨキは子爵邸を見学した。

目的は果たしたので、もう用はなかったけど、せっかくここまで来たのに、オススメ観光スポットを無視して帰るわけにはいかない。

そんなわけで、私の肩で寝始めたヨキを連れ、子爵邸まで足を伸ばし帰路に着いたのだ。


商店街につく頃には、日は傾き、薄闇が辺りを覆っていた。

慣れた場所までくると、ヨキはヒョイと肩から降りて、颯爽と私の前を歩く。

さっきまで、重くて熱かった肩は、抑圧から解放されてひんやりと気持ち良い風にさらされる。

暫しその心地よさを堪能していると、不意にヨキが立ち止まった。

その視線の先には、ペットショップがある。

ヨキはクルリと体を反転させると、ゴロゴロと足下に纏わりついてきた。

……猫缶を催促されている……。

こんな時だけ可愛らしさを演出するのには、イラッとしたけど、今日の働きを見れば報酬は当然である。

そう思い、私はペットショップに入ると、高級猫缶『贅沢三昧!至高のクロマグロ味』を手に取った。


『芙蓉!?そ、それは……あ、憧れの贅沢三昧!至高のクロマグロっ!』


ヨキは感動のあまり私の体を掛け上って来た。

そして、自由になった肩にまた乗った……重い、熱い……。


「うん。今日はお疲れ様ということで特別に……ね?」


『おお!わかってるじゃないか!うんうん』


ヨキはご満悦で尻尾をブンブンと振り回した。

そんなヨキを肩に乗せたまま、私は高級猫缶一缶と、いつものレギュラーささみ味と土佐鰹味を手に取って、レジへと向かった。


ペットショップにいるうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。

画廊へと向かう道にある串カツ屋や立ち飲み屋はもうお客で一杯である。

そこから、真っ直ぐ歩き、お洒落な古書店を左折して、馴染みのあるカフェの灯りを視界にいれた。

隣の円山画廊の灯りは当然ながら消えている。

ヨキは入り口を素通りして、さっさと画廊内へ入り、私は鍵を探すべくポケットを探りながら、戸口に近づいた。


「円山さん……」


「ひっ!」


突如背後から声がして振り向くと、そこには黒い大きな影があった。

影は、のっそりとこちらに近付いて、私の前に立った。


「……う、漆原さん……どうしたんですか……」


黒めのスーツの漆原さんは、闇に同化していて顔だけ浮いている。

それが、生首のように見えて、私は腰が抜けそうになった。


「待ってたんです!」


なんてこった……。

『いつでも来てください』って言うのを真に受けたのかな。

ふらっとよろけながら、私は問いかけた。


「えっと……いつから?」


「ついさっきです!話がありまして……あ、中、入れてもらっていいですか?」


ついさっき?

なぁんだ、ずっと待ってたんじゃないんだ。

ホッとした私の後ろで、画廊の入り口が開いた。

そこには、笑顔のヨキが立っている。


「おう、不動産屋、入ってくれ。待たせてすまないな。用があって外出先から帰ったばかりなのだ」


「ああ、ヨキさん!こちらこそ、夜分に申し訳ありません!では、遠慮なく……」


いそいそと中へと入る漆原さんの後ろで、私はヨキに「グッジョブ」とアイコンタクトを送る。

それを見て肩を竦めたヨキは、漆原さんに続いて応接セットに腰かけた。


「で、話があるとか?」


私が腰かけたところで、ヨキが切り出した。


「そうなんです。実は、先程連絡がありましてね?舘野さんの奥さんが出産したらしくて……」


「ええっ!?もう?」


私は叫んだ。

だって、昨日、元気そうに大声出して……あ。

ひょっとして、あの勢いで産んじゃったのかな?


「ええ。昨日、大声出して産気付いたのかもしれないですね?」


……心の声が聞こえたの?

タイミングが良すぎる漆原さんの返答に、私は冷や汗をかいた。


「出産した、というのを知らせに来たのか?そうではないだろう?」


ヨキは呆れたように私を見ながら話を戻す。


「はい。奥さん……彩子さんが、例の絵を、病室に届けて欲しいと言ってきたので、取りに来たんですよ」


「今すぐか?」


「いえ。明日の朝一番で」


「……不動産屋よ。もし、先方の許しが出たら、私達も同行したいのだが。絵は明日の朝までにこちらで梱包しておく。どうだろうか」


そう言い出したヨキの考えはわかっている。

舘野夫妻がいるところで、全ての種明かしをしたいのだ。


「はぁ……聞いてはみますが……一体どうして?」


「絵の取り扱いについての注意事項がある。まぁ、簡単なことだ」


「なら、紙にでも書いてもらえれば僕が持って行きますよ?」


やたらと食い下がる漆原さんに、ヨキの目が引きつった。

まずい、鬱陶しくなってきてる。

ここは、空気を読んだ私が何とかしないと、ヨキが爆発したらまずい。


「漆原さん!私、舘野社長にお祝いが言いたいです。出会ったのも何かのご縁ですから、ね?」


そう言ってにっこり微笑むと、漆原さんは何故か顔を真っ赤にした。


「あ、あーそうですか。なるほど、そうですか、そうですか……」


『そうですか』……多くない?

私はそのツッコミを飲み込んだ。

すると漆原さんは、二回ほど咳払いをして、赤い顔のまま言った。


「わかりました。舘野さんには僕が連絡しておきます。ま、円山さ……芙蓉さんとヨキさんも一緒に行きましょう!」


「わぁ!ありがとうございます、漆原さん」


「い、いえ……」


何故か目を泳がせる漆原さんは、明日迎えに来ますと言い残し、話しもそこそこに帰って行った。


「何だろうね?漆原さん最後おかしかったね?トイレにでも行きたかったのかな?」


私はヨキの至高のクロマグロを開けながら尋ねた。


「全くお前は……そこそこの美人なのに、頭が残念だ!実に残念だ!」


「ねぇ。貶してるの?褒めてるの?どっちなの?」


そう尋ねたけど、ヨキはもう至高のクロマグロに夢中である。

仕方なく私は、持ち帰った八重さんの思い出の品を取り出して、きれいな布で念入りに拭く作業を始めた。

少しでも良い状態で、家族に渡したかったからだ。

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