第8話 円山画廊の訪問者

日が傾き始めた、午後五時過ぎ。

深緑の高級車は、また、円山画廊の駐車場に止まった。

漆原さんはこのまま帰ると言ったけど、お世話になりっぱなしだったし、すぐに帰らせるのも礼儀に欠ける。

ということで「お茶でも如何?」と私がお誘いしたのだ。


「ただいま……あ、御客様?」


入り口を入ると、受付でヨキが応対していた。

相手はゆったりめのワンピースを着た、背の低い女性。

良くみると妊婦のようだ。

画廊に来るタイプの人には見えないなぁ、と私は必要以上に彼女を凝視した。


「ああ、芙蓉。お帰り。こちらの方が、例の絵画を……」


「舘野さん!?」


私とヨキの会話を、後から入ってきた漆原さんが遮った。


「た、たての……?え?舘野さん!?もしかして、社長の奥様!?」


私と漆原さんの驚きの声に、舘野さん……彩子さんは、目を泳がせた。


「おい。何だ。知り合いか?」


緊張感の中を、ヨキの飄々とした声が響き、続いて漆原さんが訝しげに問う。


「今お宅に伺ったんですよ?どうしてこちらに?」


「え、と……」


「この絵を売らないで欲しいのだそうだ」


言葉を濁す彩子さんを見て、イライラしながらヨキが言う。

たぶん、これを最初に言いたかったんだろうけど、漆原さんに邪魔されて言えなかったんだね。


「売らない?売るのを止めるんですか?それならお電話でもくだされば私が手配しましたのに」


本当だ。

身重の身体でわざわざくる必要なんてない。

漆原さんは丁寧に言ったけど、そこにはささやかな疑念がある。

それを感じたのか、彩子さんは一歩後ずさり、入り口に足を向けながら言った。


「……す、すみません。わ、私用事があるので、これで失礼します!」


「えっ?絵はどうされますか?」


漆原さんは、食い下がる。

すると、それまで動揺していた彩子さんは真っ直ぐこちらを見て、きっぱりと言った。


「絵は売りません!主人がなんと言おうとも!」


「……あ、はぁ。では、この絵は、回収して自宅へお届けしますか?」


「そうして下さい!では!」


「あっ、待って……あー……」


私の止める声を無視して、勢いそのままに、彩子さんはさっさと帰っていった。


せっかく会えた情報源が、いなくなってしまった。

でもどのみち、あの剣幕じゃ、なにも聞けずに終わったかもしれない。

駐車場を出る軽自動車をぼーっと見つめながら、私達はしばらく無言だった。

その静けさを打破したのはヨキである。


「あんなに血相を変えて……よほど大切なものなんだろうな……」


「そ、そうね。もう、赤ちゃん出ちゃうくらいの勢いだったね?」


私の発言に漆原さんがブハッと吹いた。

笑わせるつもりなんてなかった……至って真面目に言ったのに。

私が軽く睨むと、漆原さんは目を泳がせながら本題へと戻った。


「で……でも、お兄さんの言うとおり、奥さんにとって、この絵はそれだけ大事な物だったんでしょう」


「遠縁とはいっても、何かしら思い出もあったのかもしれないな」


「そうよねっ……それを勝手に売っちゃうなんて!酷いね、社長!」


私は憤慨した。

思い起こせば、今日の社長の態度はどれもこれも感じの良いものではない。

冷徹な金の亡者、情よりも目に見えるものを信じるタイプに見えた。

それは、舘野社長の生い立ちに多少関係あるかもしれないけど……。


「ま、まぁ……売れても売れなくても構わないって言ってたんだし、そのままお返しするのがいいでしょうね」


プンプンと怒り心頭な私の横で、漆原さんはヨキに話しかけた。


「うむ。そうした方がいい。絵は望まれる所にあるのが一番いいからな」


「じゃあ、もう持っていきましょうか?」


そう言って、漆原さんは絵に手を掛けようとする。

が、ヨキはそれを止めた。


「待て。今は置いておけ」


「は?……え、でも……」


「ちゃんと梱包もせずに素人が運ぶのはやめておけ。傷がついたら責任とれないだろう?」


もちろんそれは建前だ。

絵のお願いを叶えるまでは、誰かに渡すわけには行かない。

水浸しになってしまうから。


「あっ!そうですね!すみません、僕全くわからないもので……」


「構わん。きちんと梱包を済ませたのち、こちらから連絡しよう。それでいいな?」


有無を言わさない強い口調のヨキに、漆原さんは深く何度も頷いた。

用心棒面のヨキは、凄むとそれはもう怖い。

凄んでなくてこれなんだから、本気になったらめちゃくちゃ怖いんじゃなかろうか、と、私は震えた。

但し、猫時は別だけど。


「はい。それで結構です。お手数ですが宜しくお願いします。では、ご連絡をお待ちしてますね」


漆原さんは、びっくり顔から一転、爽やか笑顔に戻ると入り口に向かった。

さすが、パーフェクト営業職。

仕事に戻ると、スラスラと美しい言葉が出て来る。


「あっ、漆原さん!今日は本当にお世話になりました。また、いつでも寄って下さいね!」


私は漆原さんの背に声を掛けた。

本当に今日はお世話になりっぱなしである。

途中鬱陶しいことも(沢山)あったけど、結果として、漆原さんがいなければこんなに情報は集まらなかったかもしれない。

と、感謝の意味を込めて「いつでも寄って下さい」なんて、社交辞令を言った。

本心は「用もないのに来ないで欲しい」である。

その辺はパーフェクト営業職なら汲み取ってくれるはず……。

そう思っていたのに、漆原さんは満面の笑みで振り返るとこう言ったのだ!


「いやぁ!嬉しいなぁ!この場所、どうも落ち着くというか、和むというか。肌に合うんですよね!毎日来ていいですか?」


「……は……?あ、あー……はい」


目を泳がせた私を、ヨキがじとっとした目で見た。

わかってる。

また言いたいんだよね?

馬鹿め!って。

挙動不審な私とは対照的に、漆原さんは本当に嬉しそうに帰っていった。


「うるさい常連が出来たな……」


その大きな後ろ姿を見つめながら、ヨキが呟いた。

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