第6話 舘野建設

漆原さんが語る、最高にどうでもいい話を聞いているうちに、車はある建物に到着した。

三階建ての地下駐車場つき。

大きくもなく小さくもなく、そこそこの中小企業だな、と車窓から会社名を確認した。


舘野たての建設株式会社』


黒地に金文字のプレートは、美しく真新しい。

それは、設立してからたいして時が経っていない証拠だろう。


「この会社の人ですか?」


漆原さんに尋ねると、彼は地下駐車場に車を滑り込ませながら言った。


「そう。依頼主は社長の舘野優たてのまさる氏。でもね、資産家の遠縁ってのは奥さんの方なんですよ」


「じゃあ、奥さんの相続した物件の処理を旦那さんがしていると?」


「そういうことになりますね……」


漆原さんは珍しく眉根を寄せた。

何か、引っ掛かることでもあるのだろうか?

そう思ったけど、疑問は心の中に留めておいた。

他所よそのお宅の事情に踏み込む気はない。

但しそれが、あの絵に関することなら、別だけど。


車を止めると、私達はまず一階の受付に向かう。

事前に約束をしていたからか、漆原さんが名前を告げると、すぐに三階の社長室前へと案内された。


「失礼しますっ!漆原ですっ!」


耳をふさぎたくなるような元気な声で、漆原さんは社長室に突撃した。

突撃って……我ながらうまいことを言ったなと、私は俯いて笑った。

漆原さんの挨拶は「やぁやぁ我こそはー!」っていう武将の名乗りに似ていたのだ。


出来るだけ自然な笑みを作りながら、私は漆原さんの後ろから社長室に入った。

目の前のデスクには、四十過ぎくらいの男性が忙しそうにパソコンを睨んでいた。

私は辺りを見回す。

あまり物のないシンプルな部屋。

仕事に必要ない物は置かないという、信念が感じられるような事務的な部屋だ。


「ああ、漆原さん。どうも」


社長はチラリと私達を見て、どうぞと前のソファーを勧め、自分も対面の椅子に腰掛けた。


「えーと、見積りだったね?調度品とかは売れたの?」


漆原さんが差し出す見積りを受け取りながら、社長は尋ねた。


「はい。まだ確約ではないですが、どれも素晴らしいものだったので、買い手はあります」


「ふぅん、私には全く価値がわからないけどね?で、えーと、電話で言っていたのって、この方?」


社長は見積りから視線を外し、今度は私を見る。

その眼光の鋭さに、一瞬何かを思い浮かべた。

どこでだったか。

いつだったか。

こんな場面を、一度体験したことがある……と思ったのだ。

でも、それを思い出す前に、隣の漆原さんが喋り始めた。


「ええ。円山画廊の円山さんです。こちらには、《あの絵》を預けてありまして……」


「あっ!そうなんだ。で、どう?あれは売れそう?」


社長が私に興味津々で問いかける。

その質問にどう答えたらいいか、私は頭を悩ませた。

漆原さんには買い手がいることを匂わせている。

しかし、実際は買い手なんていないし、たぶん売れないと思う。


「はい、まぁ……」


仕方なく、どっちつかずの回答で濁すと、社長はハハッと笑った。


「まぁ、私なら買わないね。高値もつかないだろうし、売れても売れなくてもいいんだよ」


「そ、そうなんですか?」


「うん。他の物がいい値段で売れるからね。こういっちゃなんだが、妻の遠縁の人に感謝しないとね」


なんだか、イヤな言い方だな……。

そう感じた私は、漆原さんがこちらをじっと見ていることに気づいた。

その表情は、車中で眉根を寄せた時のものと似ている。

何が言いたいのかはさっぱりわからなかったけど、引っ掛かることがある……という様子に見える。

そして、私にも気になることがあった。

奥さんの相続した物を悉く売って、金に換え、何に使うんだろう。

用途を漆原さんは知っているのだろうか?ということだ。


「あっ、そうだ。奥さんの体調はどうですか?」


突然、漆原さんが社長に問いかけた。


「順調だよ。一週間後が予定日なんだ!あと少しで生まれるんだよ!いや、信じられないね!」


そう言いながら社長は破顔した。

それは、今日見た中で一番の笑顔だった。

なるほど、奥さんは妊娠中で、もうすぐ出産ならお金も必要になるかもね。

私は軽く納得して笑ったが、その後、しんみりとして呟く社長を見て息を呑んだ。


「家族が増えるんだよ。ずっと一人で生きてきて……妻と出会って、そして、今度は子供まで……」


「社長は……」


漆原さんはいいかけてやめた。

パーフェクト営業職は、察知する力がずば抜けている。

何か触れてはいけない事情があることに気が付いたのかもしれない。

その様子を、社長は笑い飛ばして言った。


「いいよ!別に隠してる訳じゃないんだ!私はね、親がいなくてずっと施設で育ったんだ。だから、家族が出来て心底嬉しい、そう思うだけなんだよ?」


「そうでしたか。いや、尊敬します。失礼ながら、こうして会社を起すまで、大変なご苦労があったのでは?」


「ま……ね」


社長は過去を思い出すように、一度息を吐いた。


「昔は人を羨んだりもしたし、自分を捨てた親を憎んだりもしたよ。でも、今となってはどうでもいいことさ」


そう語る社長は穏やかで善人に見えた。

ついさっき、お金に関してみせた執着のようなものが今は全くない。

経営者だから、ある程度はお金に汚くあるべきなのだろう。

そう考えると、ふと浮かんだ嫌な気持ちも気にならなくなってきた。

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