第3話



「ワン! ワン! ワン! ワン! ワン! ワン!」


 ネクロの背後から、甲高い犬の吠える声がした。


「うわ!!」


 考え込んでいたネクロは、意表をつかれて飛び上がった。大型の犬に襲われたのかと思った。しかし吠えてきたのは。彼の膝下にも満たない小型犬のチワワだった。


「ごめんなさい!」


 飼い主も犬の行動に驚いたようで、リードをきつく引いて、頭を下げてきた。


 確かに驚いた。ただ実際には噛まれたわけではない。別に大丈夫ですよと、ネクロも飼い主に会釈をした。


 立ち去ろうとして最後にチワワを見た時、ネクロは唖然とした。


(何だ、びびってんのかよ。兄ちゃん)


 犬が喋るわけがない。ただ心のなかでそんな言葉を感じたのだ。


(俺様にはな、相手の強さを感じとる野生の力があるんだ。お前は俺より格下……だから吠えてやったんだよ。ハハハ!!)


 チワワがまたキャンキャンと吠え出した。飼い主がたしなめるが、その鳴き声は止まらない。


 俺はこんなチビ犬にすら、見下されるのか。ネクロは事実に耐えられなくなり、その場から逃げ去った。


 駄目だ。外は危険すぎる。ネクロは自宅へと急いだ。通り過ぎる人々の視線が怖く、ひたすらに無視した。顔を合わせたが最後、自分が笑われ馬鹿にされる気がしたからだ。


 ようやく、ネクロの自宅が見えてきた。ポケットの合鍵をまさぐると、ネクロは急いで鍵を開け、ドアを閉めた。これでひと安心だ。


「ただいま!」


 今は家族にすら顔を合わせたくない。急いで階段を上がると背後から母親の声がした。


「おかえり。夕飯になったら呼ぶから、早く降りてきてね」


 声は優しかったが、ネクロには母親の表情を見る勇気がなかった。それよりも早く自分の部屋に閉じこもりたい。ネクロは足早に自分の部屋に向かった。


 目の前でドアがいきなり開いた。部屋から出てきたのは、先に帰っていたネクロの妹だった。カバンを背負っている。これから塾に行くのだろう。小学生なのに立派なことだ。


 妹は兄に気づくと、立ち止まって上目遣いでじっと顔を覗き込んでくる。


 しまったと思ったが遅かった。妹の目を見つめてしまった。冷たい光を通して、ネクロの心に妹の心の声がなだれ込んだ。


(随分早く帰ってきた。放課後は部活とか塾で勉強する中学生が多いのに、何もせず帰宅なんて、いいご身分ね。私ですらこれから塾に行くっていうのに……才能をもって生まれてしまうと、親の期待を背負うのが大変だわ。兄さまにはわからないでしょうけれど)


 こいつはこたえた。実の家族からの声が、最も心に突き刺さる。ネクロは胸に穴が空いたような気さえした。


 妹は何も言わず、そのまま階段を降りていった。


 ネクロは壁に手をついて、何とか立っていった。駄目だ。もうこれ以上は耐えられそうにない。


 彼は自分の部屋にたどり着くと、制服を脱ぐこともせず、そのままベッドにうつ伏せに倒れた。


 目がゆっくりと閉じていく。もう俺は一生、みんなに冷たく笑われて過ごすのかもしれない。そういう星のもとに生まれたんだ。


 ネクロは落ちていく意識の中で、そう悟っていた。


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