⑥
数日後。
「何でわたし、本を買うわけでもないのに清正公様脇の裏長屋まで足を運んでるんでしょう?」
「……しょうがないじゃないですか。先生の言った通り、仏像様から『子』が生まれちゃったんですから」
私たちは清兵衛さんの頼みで、彼が仏像様を買ったという御浪人様、千代田 卜斎(ちよだ ぼくさい)の家の前まで来ていた。
話は数日遡り、清兵衛さんがうっかり細川家の屋敷下で『くずぅい、くず屋ぁお払ぁぃ』と言ってしまった事に端を発する。
清兵衛さんはすぐさま見つかり、屋敷に上げられた。清兵衛さんを待っていたのは、彼が仏像を売った高木様とその中間である良介(りょうすけ)様。仏像様を洗っていると、首ではなく台座の紙が破れ、その中から何と五十両という金『子』が出てきたのだという。
ここで凄いのが、高木様。仏像は買ったが中の金子までは買った覚えはないと、この五十両を千代田様に返すとおっしゃったのだ。
凄い。私だったら確実に自分の懐にしまう。五十両あれば、一体どれだけ贅沢出来るだろう? 実際に自分がもらってもいないのに、店に足らない品を買い足そうと計算している自分が浅ましい。
何はともあれ、高木様から千代田様の所へ清兵衛さんが五十両届けて一件落着、とはならなかったから、私たちがここにいる。
何と千代田様。知らずに仏像を売ったのは自分の落ち度、それに仏像を買ったのは高木様なのだから、その仏像から出てきた五十両は高木様の物だと、刀に賭けても受け取らぬ! とおっしゃったのだ。
さて、千代田様から戻ってきた五十両。今度は高木様の方が刀に賭けても受け取らぬと意地の張り合いとなり、割りを食ったのは間に入った清兵衛さん。武士が刀に賭ける、すなわち相手が受け取らないなら斬ると面と向かって言われたのだ。
どちらにも五十両受け取ってもらえないと清兵衛さんが泣きついたのが、今私たちがいる裏長屋の家主。この人の仲介で、高木様に二十両、千代田様に二十両、清兵衛さんに十両でどうか? と、今日話をまとめている最中なのだ。
清兵衛さんに十両割り振られているのは、高木様と千代田様の間で苦労した分の褒美となっている。清兵衛さんが五十両を抱えている間、彼は商いをする暇もなかったので、その期間の収入がなかったのだ。しかし、それでも十両か、と私は唸ってしまう。
「ここの家主さんに任せておけば、大丈夫でしょう? わたし、帰って本読みたいんですけど」
「駄目ですよ。何かあった時のために来てくれって、清兵衛さんから言われてるんですから」
本を借りてもらった以上、清兵衛さんの相談事は引き受けなれけばならない。
「それにしても、上方から江戸にやって来たよそ者、ですか」
「……清兵衛さんの話ですか?」
先生のつぶやきに、私はそう返した。
「清兵衛さんは、最近知らない顔が江戸に出入りしているのが気になる、っておっしゃってましたけど」
「単なる商人なんじゃないんですかねぇ」
「……そうだと、いいんですが」
歯切れの悪い私の返事に、先生が訝しげにこちらを振り向いた。
「亀さんも、何か気になることが?」
「最近、先生を探しているって話も聞いているので、関係しているのかな? と思ったんですが」
「考えすぎじゃないですかねぇ」
「……考えなしに本、本、本と無尽蔵にお金を注ぎ込む人がいなければ、私ももう少し楽観的になれるんですけどねぇ!」
「そ、それはそうと、千代田様は二十両、受け取ってくれますかねぇ」
先生は露骨に話題を逸そうとした。しばらく先生を睨んだ後、私は諦めのため息とともに口を開く。
「どうでしょう。高木様は、ご承諾いただけたのですが」
花は桜木人は武士と言うが、流石に清兵衛さんにこれ以上迷惑はかけれないと、高木様は二十両を快く受け取られた。清兵衛さんも十両を喜んで受け取った。
しかし、問題は千代田様。今も中で何やら、話し合いが行われている。
もうしばらくかかりそうかな? と思った矢先、千代田様の御宅の戸が開いた。
「それでは、この件はこれにて一件落着ということで」
「ではこの茶碗、高木様にお渡しして参ります」
出てきた家主さんと清兵衛さんに、私は声をかけた。
「どうでしたか? 千代田様、二十両お受け取りになられましたか?」
「ええ、何とか。百両のかたに編笠一蓋ということで、二十両のかたとして、この茶碗を高木様に差し上げるということなら、と」
「商い、という形にしたんですね」
私の言葉に、家主さんは頷いた。
浪人といえども武士の矜持か、ただで二十両を受け取るのは千代田様にとって、施しと受け取られたようだ。
私が納得していると、先生は少しだけ眉を動かして、口を開く。
「すみません。その茶碗、少し見せて頂いてもよろしいでしょうか?」
「はい。どうぞ、『相談屋』の旦那」
先生は断りを入れ、清兵衛さんが手にした二十両のかたである茶碗を手に取った。そして少し唸った後、小さくつぶやく。
「……そういえば千代田様には、御息女がおられるとの事でしたが」
「ええ、そりゃあもう器量の良い娘さんですよ」
「先生?」
目を細めた先生に、私は冷ややかな視線を送る。
「仕事中に女性の物色は、やめてください」
「いえ、亀さん。そういうわけではないんですよ。あ、清兵衛さん。茶碗、ありがとうございました」
そう言うと、先生は丁寧にお茶碗を清兵衛さんへ返した。
「では、残りはこのお茶碗を高木様へお渡しするだけですね」
先生の言葉に頷くと、私たちは高木様の元へと向かった。といっても、私と先生はただの付き添い。二十両を渡した時もそうしたように、細川藩の屋敷には入らず、外に待機することになる。
すると――
「お主が、『相談屋』か?」
私たちの頭上から、声が聞こえてきた。
見上げると屋敷の二階。その窓から、少しえらの張ったお侍様の姿が見える。
私が何も言えないでいると、先生が右手で太陽を隠すようにかざし、少し目を細めながら、お侍様に向かって話しかけた。
「失礼ですが、高木佐久左衛門様でいらっしゃいますね?」
「いかにも。しかし、何故拙者が高木だと?」
「清兵衛さんから、高木様が『くず屋』の顔を改めているお部屋の位置を聞いていたものですから」
先生の言葉に、私は高木様が顔を出した位置を確認する。そこは、二階の角から三番目の窓だった。
「なるほど。江戸に着いてから、『相談屋』の話はよくよく聞いておる」
「……左様でございますか」
そのやり取りに、私は肌にまとわり付いてくるような、嫌な空気を感じた。
その原因はわかっている。にこやかに話しているはずなのに、先生から剣呑な雰囲気が出ているのだ。
言い知れない違和感を感じながら、私は二人の会話をただ見守ることしか出来ない。
「お主の評判もいい。お陰で深川界隈の治安はずいぶん良くなったとか。どうだ? 腕も立つようだし、仕官してみるつもりはないか? 拙者から口添えしてやっても良いぞ」
高木様のその言葉に、私は飛び上がりそうになった。いや、一瞬痙攣したように、微かに宙に浮いていたかもしれない。
頭が真っ白になる中、私は内に生まれた焦りに突き動かされるようにして、縋り付かんばかりに先生へと振り向いた。
すると、世界が暗闇に包まれる。
「お誘いは大変嬉しいのですが、高木様も御存知の通り、わたしは面倒な身の上でして」
すぐに私の世界を包んだのが、先生の左手であることに、私は気がついた。
大きな手のひらが私の額に覆いかぶさり、軽く二回、三回と叩かれる。
たったそれだけで、私の中の焦りが吹き飛び、さっきまで感じていた嫌な空気も気にならなくなった。
「今はわたし、『貸本屋』を営んでおりますので」
「……そうか。ではもし何かあれば、遠慮なくこの高木を頼るといい。これも何かの縁。拙者に出来る範囲での手助けならいたそう」
「ありがとうございます」
私の視界が戻ってくる。それによる安心感と、先生の手が離れた喪失感がごちゃまぜになり、私は両手で額を押さえつけた。
そんな私をよそに、先生は高木様と会話を続ける。
「そういえば、高木様。一つお伺いしたいことがあるのですが」
「何だ? 何でも申してみろ」
「では。失礼ですが、高木様はお独り身でいらっしゃいますか?」
「……そうだが。それが、どうかしたのか? お主が拙者に、良い縁談でも持ってきてくれるのか?」
「いえいえ。それはわたしではなく、別のご縁があるはずですので。あと、清兵衛さんがこれからお届けに上がるお茶碗。良く磨いておいた方がいいかと」
「ん? 茶碗? 不思議なことを申す者だな、お主は。お、清兵衛か。よくぞ参った」
清兵衛さんが高木様の元へ到着したのか、先生と高木様の会話はそこで終了した。
先生を見上げると、いつも通り、頬をだらしなく緩ませている。
高木様との話で、先生に聞いてみたいことがあった。
先生の身の上話。
私は、私が先生に拾われてからの先生しか知らない。
もっと、先生のことを知りたいと思った。
でも。
「どうかしましたか? 亀さん」
「……いえ、何でもありません」
いつか必要な時に先生なら話してくれると、何故だか私は確信していた。
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