④
私はその日、清正公様の境内にやって来ていた。
清正公様とは武将加藤清正公を祀った覚林寺の通称の事で、昼時になると弁当を持った商人たちが集まる憩いの場になっている。私はそんな食事やお茶をすする商人たちに向かって、暇つぶしとして本を読まないかと、聞いて歩いていたのだ。
すると『くず屋』が集まっている一角から、こんな話が聞こえてきた。
「行ったか? 細川江戸屋敷」
「行った行った! さては、おめぇも何か言われたな?」
「冗談じゃねぇや! 人の顔見て、汚い顔だってよ。どっちが表か裏かわからねぇ、煙草を吸って煙が出た方が表だって言いやがる」
「俺は中間だったね。四角い顔、下駄顔だから額に穴を開けて目に輪を通して、顔で歩けって言いやがんの」
「こっちは若侍に、長い顔だって言われたよ。そんなもん自分でもわかってるっつーの。上見て真ん中見て下見たら、上じゃなくて真ん中忘れるって言うんだぜ? あんまりだろう?」
「おい、そんなこと言われたの? ひでぇ事を抜かしやが、る……うめぇこと言うな」
「よせよ、この野郎っ!」
「こんにちはっ!」
「おや? 『相談屋』のお亀ちゃんかい?」
「『貸本屋』です! あの、さっきの話なんですけど」
「ああ、聞いてくれよお亀ちゃん!」
手招きされるまま、私は『くず屋』の輪に入れてもらうことになった。話を聞きながら私もここで昼食をとろうと、風呂敷を広げる。中に入っているのは竹細工の弁当箱だ。
今日のお昼は相変わらずのおにぎりだが、中の具は毎日変わっている。
一つ目のおにぎりの中には、昆布の佃煮が入っていた。甘めに煮込んだだし汁が米に染みこんでおり、あっという間に平らげる。胡麻の風味がまた絶妙だ。
二つ目のおにぎりは、混ぜご飯。素揚げにした山菜と天ぷら屋さんで分けてもらった天かすを砕き、塩で乱暴に味付けがされている。乱暴故に味のばらつきがあり、薄ければもう一噛じり、濃ければもう一噛じりと、一口毎に楽しみがあり、気付けば指までしゃぶっていた。今日の漬物は梅干しだったので、その勢いで手が伸びる。
もちろん手と口だけではなく、耳もきちんと働かせていた。
先ほど『くず屋』さんたちが話していたのは、目黒白金にある細川屋敷の長屋で行われている顔改めについてだった。何でも『くず屋』が長屋下を通ると、二階の角から三番目の窓が開き、若いお侍様か中間さんが『くず屋』の顔を改めているのだという。
何故お侍様がそんなことするのだろうか? と思いながらお茶で一服していると、『くず屋』の一人が忍び笑いをしながら口を開いた。
「何? 皆あれ、知らねぇの?」
「お、六(ろく)さん。何だい? 何か知ってるのかい?」
「知ってるどころの騒ぎじゃねぇぜ? あれだよ、あれ。仇討ち」
「仇討ち?」
六さんの話をまとめると、次のようになる。
顔を改めているあのお侍様のお父様が細川藩の剣の御指南番をしている所に、新しいもの好きのお殿様が新しい御指南番を連れてきた。
御指南番は一人でいいということで御前試合をし、その結果、新しい御指南番が負けてしまう。
面目を潰された新しい御指南番は、お酒を飲み、酔っているお侍様のお父様を闇夜に乗じて斬り殺し、江戸に逃げてきた。
そして逃げてきた御指南番が、今は身を『くず屋』に変えている。
だからああしてあの若侍は『くず屋』の面手を改めて、仇を探しているのだそうだ。
周りが感嘆の声を漏らす中、私は闇討ちという言葉で自分の嫌な記憶が蘇りそうになるのを、奥歯を噛みしめるようにして、じっと耐えていた。
「はぁ六さん、よく知ってたね!」
「……じゃ、ねぇかと思うんだ」
「なんだよそれっ!」
「作り話かよっ!」
「ん? お亀ちゃん、大丈夫?」
「え、はい。ちょっと梅干しが、酸っぱくって」
ぎこちない笑顔でそう答えると、六さんが誰かに気づいたようで右手を上げた。
「お? 清兵衛さんじゃないか! 久しぶりっ! 最近見なかったね」
「どうもどうも。風邪引いちゃって、二、三日ばかり仕事休んでたんですよ」
「何だそうだったの? あ、清兵衛さんは行かないほうがいいよ。ぼーっとしてるとか言われちまうぜ? 細川」
「細川?」
清兵衛さんに、『くず屋』の仲間たちが顔改めについて話をする。すると清兵衛さんは、納得したとばかりに頷いた。
「それきっと、あたくしの事を探しているんですよ」
「え?」
「清兵、衛さん?」
「……清兵衛さん。あの人の親、殺した?」
「そんなことしませんよっ!」
実はね、と清兵衛さんが言うには、あの若いお侍様、細川家家臣で江戸勤番としてやって来た高木 佐久左衛門(たかぎ さくざえもん)に、私が見たあの仏像を二百文で売ったのだという。
話し終えた後、清兵衛さんは嬉しそうに笑った。
「えへへ、五十文儲かっちゃいました」
「……それだ」
「それだな」
「それだね」
『くず屋』たちが頷く中、清兵衛さんは困惑の表情を浮かべた。そんな清兵衛さんに向かって、六さんが口を開く。
「だから普段から骨董に手ぇ出すなって言ってるだろ? その仏様って、ずいぶん古かったんじゃないのかい?」
「そういえば、時代が付いているとか……」
「侍は時代が付いてるっていうんだよ、古いものを。そういうのどうするか知ってるか? 磨くんだよ」
そう言って六さんは、声を低くした。
「金盥にぬるま湯と塩を用意して、一生懸命磨くんだ。でも、古すぎたんだろうなぁ。首がぽろっと折れちまったのさ。侍ってのは、首が落ちるのを一番嫌うんだよぉ。縁起が悪いってさぁ」
六さんが一歩、一歩と清兵衛さんに近づいていく。
「それで怒った侍は、『かような縁起の悪い物を売りよって! お前も同じ目に合わせてやる! 皆の者、『くず屋』を探せぇっ!』ってんで、お前探してるんだよ」
六さんは、清兵衛さんの肩を両手で掴むと、小さく頷いた。
「行ってきな」
「嫌ですよぉっ!」
恐怖で震える清兵衛さんは、私の姿を見つけると、こちらに縋り付いてくる。
「お、お、お亀ちゃん! 『相談屋』さん! お願いです、助けてくださいっ!」
「え、ええええっ!」
「このままじゃあたくし、斬り殺されちまいますぅ!」
「そう言われてもっ!」
相手は武士だ。『貸本屋』がどうこうできる相手ではない。
それでも清兵衛さんは、私に必死になりながら頼み込んでくる。
「お願いしますよっ! 私には三つになる母親が五人いるんですっ!」
「意味がわかりませんよ、清兵衛さんっ!」
どうにか清兵衛さんを落ち着かせると、『くず屋』の仲間たちは対策を話し合う。
「ともかく、清兵衛さん。しばらく細川の江戸屋敷には行かない方がいいよ」
「……ですが、あの向こう側にお得意様が多いので、行かないわけにはいかないんですよ」
「そうか……」
「あ、だったら黙って通ればいいんだ、黙って! 『くずぅい、くず屋ぁお払ぁぃ』って言わなけりゃ『くず屋』だってばれねぇから、顔を改められる心配もねぇ!」
「なるほど。そうですね。そうします! あ! お亀ちゃん! 『相談屋』の旦那にも、この話伝えといてもらえるかな? 多分、黙って通れば大丈夫だと思うんだけどっ!」
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