「ほ、本当にやるんですか? 先生っ!」

 大宮さんの所の番頭さんからお医者様の住所を聞き出した後、私たちはすぐにその場所へと赴いていた。

 しかし今私が焦っているのは、そうした先生の急な行動のためではない。これから行おうとしていることを慮り、私は冷や汗が止まらないのだ。

「大丈夫ですよ、亀さん。似合っていますから」

「そういう問題ではありませんっ!」

 私は何がなんだかわからなくなりながら、頬を赤くした。

 自分の姿を見下ろすと、そこには普段と違う浅葱色の着物が見える。頭も何処か窮屈に感じるが、それもそもはず。いつもの髪型とは違い、簪を挿した丸髷。流石に化粧まではしていないが、既婚女性の代表的な髪型をしている私と先生が並ぶと、何というか、その、周りからそういう視線で見られているんじゃないかと、気が気じゃない。

 そもそも夜中に人通りも少なく、顔も御高祖頭巾で隠しているため、先生の隣にいるのが私であることを知られる心配はないのだが、それとこれとは話が別である。

 先生はというと、あたふたと一人で焦る私を見ながら、満足そうに微笑んでいた。

「足りない部分は髢で補って頂きましたが、何がどうして。いい塩梅ではありませんか」

 髢とは、髪を結ったりする際地毛の足りない部分を補うための義髪のことだ。私も使うのは初めてだが、付けた心地よりも、今は増えた髪の重さに戸惑ってしまう。

 私は顔を頭巾により埋めるようにしながら、先生を半目で睨んだ。

「……先生も葵様と同じようなことをおっしゃるのは、やめてください」

「おや? 葵さんとお会いになったのですか?」

「ええ。先生が私にだけ仕事を任せて、のんきに『地本問屋』巡りをしていると教えてくださったんですよ!」

 当てこすりをするように、私は葵様との会話を、先生に話した。

「それよりも、先生。本当にやるんですか? 今ならまだ引き返せますよ?」

 脇道にそれた話題を、私は本筋に戻す。何も私が酔狂で、普段と違う格好をしているわけではない。全て先生の指示なのだ。

 心配する私をよそに、先生は平然と笑みを浮かべている。

「だから大丈夫ですよ。打ち合わせ通りにすれば、ばれやしませんから」

「……私が、演技なんて。自信、ないです」

 そう。何と先生は私たちを夫婦だと偽り、大宮さんのかかりつけ医に診察してもらおうとしているのだ。

 先生が言うには、これで大宮さんの娘さんが未だ床に臥せている原因がわかるらしいのだが……。

「いいから、ほら。早く行きましょう」

「ちょっと、先生! 私、まだ、心の準備がっ!」

「あんまり騒いでいると病人には見えないので、少し静かにしていてくださいね」

 私の手を取り、先生はついにお医者様の御宅の戸を叩いた。

「ごめんくださいまし! ごめんくださいましっ!」

 先生が戸を叩く度、私の心臓も跳ね上がる。頑丈そうな一階建ての表長屋に、二回三回と、戸を叩く音が響いた。

「はいはい、今開けます」

 やがて中から男の声が聞こえ、戸が開けられる。家の中から現れたのは、上等な鉛色の着物の上から十徳を羽織った、剃髪の男性だった。

 間違いない。私が帰り際に見た、大宮さんお抱えのお医者様だ。遠くで見た印象より、近くで見たほうが若干若く見える。

 視線を先生に送ると、心得たとばかりに、先生は頷いた。

「夜分遅くに申し訳ありません。こちら、お医者様の、薮井 久蔵(やぶい きゅうぞう)先生のご自宅がここだと伺ったのですが」

「はい。薮井は、私のことですが」

「急なお願いで申し訳ないんですが、わたしの妻の調子が今朝方から悪いんです。仕事で付き合いのある大宮の旦那様、あの大工の大店の旦那様から、先生のことを伺いまして。是非、見ていただきたいのですが」

「ああ、大宮さんからのご紹介ですか! わかりました。それでは、中へお入りください」

「ありがとうございます。失礼致します」

 よくもまぁそんなに口八丁手八丁、嘘がつけるものだと私は内心舌を巻きながら、藪井先生の御宅におじゃました。

 大宮さんからの紹介も嘘なら、私が先生の妻というのも当然ながら真っ赤な大嘘。先生は自分を贔屓にしてくれる店の紹介と言って相手の警戒心を解き、私が、病人が自分の身内ということにして、藪井先生の診察を見ようという魂胆なのだ。

 家に入ると先生は鼻をひくつかせ、藪井先生に問いかける。

「藪井先生は、本はお持ちではないんですか?」

「ええ。あまり、贅沢は出来ませんので」

 人の家に来てまず確認することが本の有無とは、流石は先生。しかも臭いだけでわかるとは、本馬鹿ここに極まれり、だ。

 藪井先生の家の中は行灯の光がゆらめき、油を燃やした時に出る臭いが少し鼻につく。そう思っていると、藪井先生が屏風の向こう側から、火鉢を持ってきてくれた。部屋がより明るくなり、立派な薬箪笥の姿が闇から浮き上がる。

「それで、本日はどうなさったんでしょう?」

 差し出された座布団に座りながら、私は緊張した面持ちで藪井先生に答えた。

「じ、実は、少し熱っぽくて」

 私はうちの先生から、予め言うようにと決められていた台詞を口にした。

「そうですか。それでは、脈を診ましょう」

「は、はい」

 ここまでは、うちの先生の指示通り、予想通りの展開だ。

 震える右手を差し出し、藪井先生に脈を測られながら、私は所在なく視線を彷徨わせた。

 しかし部屋は屏風で仕切られており、背の高い箪笥以外その奥に何があるのか、見通す事が出来ない。

 まだ演技を続ければならないのかと先生に視線を向けると、ただ微笑まれるだけだった。

 藪井先生が脈を測る時間が永遠に終わらないように錯覚し、私は目眩を起こしそうになる。

 ただただ自分の演技がばれやしないかと、私の心臓が鐘を鳴らすように脈打つ中、やがて藪井先生の手が私の右手を開放した。

「ただの風邪ですね。お薬をお出ししておきますので、煎じて白湯にてお飲みください」

「は、はい」

 借りてきた猫のようになる私の隣で、うちの先生が藪井先生に頭を下げた。

「夜分遅くにご対応いただき、ありがとうございます。これでやっと、安心出来ました」

「そうですか。それは良かった。また何か気になることがありましたら、遠慮無くいらしてください」

「ありがとうございます。では藪井先生、一つだけ伺ってもよろしいでしょうか?」

「はい。何ですか?」

 薬箪笥から薬を取り出す藪井先生に向かって、うちの先生はとんでもないことを言い放った。

「藪井先生は、幇間医者ですね?」

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