翌朝。

「てめぇら! なんてことしてくれたんでぇいっ!」

 竹さんの怒号が、長屋中に響き渡った。

 店の前には、正座をさせられた、権助さんと定吉さんの姿があった。

「す、すみやせん! 兄貴っ!」

「おれは止めたんですが、こいつが」

「おい、定! てめぇ、おいらにだけ責任なすりつけようとしやがって、こんちきしょう!」

「うるせぇ! 馬鹿野郎! こんちきしょうは、俺の台詞でぇいっ!」

「まぁまぁ、竹さん。落ち着いてください」

 怒り狂う竹さんを、先生がなだめる。

 しかし、事実を知った今の私には、竹さんの怒りは当然のものだと思えた。

「止めねぇでくだせぇ! 『相談屋』の旦那! 旦那が知らせてくれなかったら、俺とおっかさんは、えれぇもん使わされ続けてたんですぜっ!」

「そうは言いますが、『葉茶屋』でそういったことがわかると、竹さんのお店の評判にかかわりますんでねぇ。お怒りはわかりますが、ここはどうかひとつ穏便にお願いしますよ」

 先生の言うことにも、一理あった。確かに『葉茶屋』で、水瓶に『あれ』を使っていたなんて知れたら、店の評判はがた落ちだ。

「ここは事を大きくせず、ご内密に。新しい水瓶は、この二人のお給金から毎月引いてくってことで、どうでしょう?」

「そ、『相談屋』の旦那っ!」

「旦那の背中に、後光が差して見えやすっ!」

 自分を庇ってくれる先生に向かい、権助さんと定吉さんは涙ながらに拝み倒している。その二人を、調子に乗るなと、また竹さんが怒鳴り散らした。

 その様子を見ながら、私は事の顛末を振り返る。権助さんと定吉さんが普請のお祝いに買っていったのは、瓶だった。

 ただし、瓶は瓶でも水瓶ではなく、肥瓶。つまり憚り、厠の下に埋められているあの瓶を、二人は竹さん夫婦に送っていたのだ。

 事の発端は、新築祝いを買って行くと、権助さんが竹さんに言ってしまったのが原因だ。

 竹さんの予想通り、懐事情がよろしくない二人は、二人のお金を合わせて新築祝いを贈ろうとした。しかし二人合わせても、安い水瓶すら買えるお金が集まらない。けれども兄貴分である竹さんに買って行くと言ってしまった以上、どうにかするしかない。

 そこで二人は古道具屋に向かい、運がいいのか悪いのか、うんが付いている瓶を手に入れ、川で一通り洗い、水瓶だと言い張って竹さんに送ったのだそうだ。

 私は昨日、先生とした会話を思い出す。

『どうして二人の贈り物が、水瓶だってわかったんですか?』

『二人とも、水を使う食べ物を食べていないからですよ。豆腐を冷やす冷奴、ほうれん草のおひたしは、湯でて水にさらします。覚弥の香々も、糠床から取ってきた後水で洗うでしょう? 井戸からわざわざ水を汲むのが面倒だから、水瓶に水を張ってるんです。普通は水瓶の水を使いますよ』

『でもお二人さん、最初はご飯を焼き海苔で食べようとしてましたよ? しかも喜んで』

『炊きたてだから、止めたんでしょう。瓶を送る前に炊いた冷や飯だったら、食べたかもしれませんねぇ』

『……それだけで、先生にはあの水瓶が肥瓶だってわかっちゃったんですか?』

『後は、形ですね。普段は埋まってるものですが、亀さんから聞いた瓶の形が、本で読んだ肥瓶の形と似ていたもので』

『……何でまた、肥瓶を水瓶だなんて偽ったんでしょうか?』

『普請のお祝いを買ってくると言った以上、引込みがつかなくなったんでしょう』

 そして先生と私が話し合った結果を竹さんに伝え、竹さんが権助さんと定吉さんを問い詰めた結果、今に至る。

 江戸っ子は、皐月の鯉の吹き流し、口先ばかりではらわたはなし。

 確かにそれでは、塩辛は出来ないだろう。

 仲裁が終わったようで、先生が相変わらずだらしなくにへらと笑いながら、こちらへやってくる。

「竹さんとは今日亀さんに背負ってもらってる本で、一番高いものを借りてもらうことで話が付きました。後はお願いしますね」

「……それだけ口が達者なのでしたら、普段から『貸本屋』としてやりくりしてくださいよ」

「嫌ですよ、本を読む時間がなくなってしまいますから」

「その割に、相談事には時間を割かれるようですが」

「助け合いは大事ですよぉ」

 そう言って先生は、脇に挟んでいた読みかけの本を開くと、道行く人の波の中へと消えていった。それを呆れ顔で見送った後、私は二人にげんこつを振り下ろす竹さんに話しかける。

「あの、お取り込み中すみません」

「あぁ? あ、『相談屋』さん! どうもすみません。『相談屋』の旦那とは、貸本の駄賃、この二人持ちってことで話ついてるんで、うぅんと高いやつでお願いしますよっ!」

 そんな話になってたのっ!

 そこまでは聞いていなかったものの、本を貸すことには変わりない。普段通り帳簿を書いていると、竹さんが今思い出したとでもいうかのように、私に話しかけてくる。

「そういえば『相談屋』さんのことを探してる奴がいたって、本家の奴が言ってましたよ」

「本家というと、品川ですか?」

「そうなります」

『相談屋』を探しているということは、また誰かから先生への相談事だろうか?

 品川と言えば、東海道の第一宿。江戸四宿の一つでもあり、旅人が多く訪れる場所だ。

 まだ路銀を持つ旅人たちを狙い、岡場所と呼ばれ、飯盛女という名目の遊女がいる非公認の遊廓もある。それがらみの相談だと厄介だなと思いながら、私は竹さんにお礼を言ってその場から離れた。

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