⑤
翌朝。
「てめぇら! なんてことしてくれたんでぇいっ!」
竹さんの怒号が、長屋中に響き渡った。
店の前には、正座をさせられた、権助さんと定吉さんの姿があった。
「す、すみやせん! 兄貴っ!」
「おれは止めたんですが、こいつが」
「おい、定! てめぇ、おいらにだけ責任なすりつけようとしやがって、こんちきしょう!」
「うるせぇ! 馬鹿野郎! こんちきしょうは、俺の台詞でぇいっ!」
「まぁまぁ、竹さん。落ち着いてください」
怒り狂う竹さんを、先生がなだめる。
しかし、事実を知った今の私には、竹さんの怒りは当然のものだと思えた。
「止めねぇでくだせぇ! 『相談屋』の旦那! 旦那が知らせてくれなかったら、俺とおっかさんは、えれぇもん使わされ続けてたんですぜっ!」
「そうは言いますが、『葉茶屋』でそういったことがわかると、竹さんのお店の評判にかかわりますんでねぇ。お怒りはわかりますが、ここはどうかひとつ穏便にお願いしますよ」
先生の言うことにも、一理あった。確かに『葉茶屋』で、水瓶に『あれ』を使っていたなんて知れたら、店の評判はがた落ちだ。
「ここは事を大きくせず、ご内密に。新しい水瓶は、この二人のお給金から毎月引いてくってことで、どうでしょう?」
「そ、『相談屋』の旦那っ!」
「旦那の背中に、後光が差して見えやすっ!」
自分を庇ってくれる先生に向かい、権助さんと定吉さんは涙ながらに拝み倒している。その二人を、調子に乗るなと、また竹さんが怒鳴り散らした。
その様子を見ながら、私は事の顛末を振り返る。権助さんと定吉さんが普請のお祝いに買っていったのは、瓶だった。
ただし、瓶は瓶でも水瓶ではなく、肥瓶。つまり憚り、厠の下に埋められているあの瓶を、二人は竹さん夫婦に送っていたのだ。
事の発端は、新築祝いを買って行くと、権助さんが竹さんに言ってしまったのが原因だ。
竹さんの予想通り、懐事情がよろしくない二人は、二人のお金を合わせて新築祝いを贈ろうとした。しかし二人合わせても、安い水瓶すら買えるお金が集まらない。けれども兄貴分である竹さんに買って行くと言ってしまった以上、どうにかするしかない。
そこで二人は古道具屋に向かい、運がいいのか悪いのか、うんが付いている瓶を手に入れ、川で一通り洗い、水瓶だと言い張って竹さんに送ったのだそうだ。
私は昨日、先生とした会話を思い出す。
『どうして二人の贈り物が、水瓶だってわかったんですか?』
『二人とも、水を使う食べ物を食べていないからですよ。豆腐を冷やす冷奴、ほうれん草のおひたしは、湯でて水にさらします。覚弥の香々も、糠床から取ってきた後水で洗うでしょう? 井戸からわざわざ水を汲むのが面倒だから、水瓶に水を張ってるんです。普通は水瓶の水を使いますよ』
『でもお二人さん、最初はご飯を焼き海苔で食べようとしてましたよ? しかも喜んで』
『炊きたてだから、止めたんでしょう。瓶を送る前に炊いた冷や飯だったら、食べたかもしれませんねぇ』
『……それだけで、先生にはあの水瓶が肥瓶だってわかっちゃったんですか?』
『後は、形ですね。普段は埋まってるものですが、亀さんから聞いた瓶の形が、本で読んだ肥瓶の形と似ていたもので』
『……何でまた、肥瓶を水瓶だなんて偽ったんでしょうか?』
『普請のお祝いを買ってくると言った以上、引込みがつかなくなったんでしょう』
そして先生と私が話し合った結果を竹さんに伝え、竹さんが権助さんと定吉さんを問い詰めた結果、今に至る。
江戸っ子は、皐月の鯉の吹き流し、口先ばかりではらわたはなし。
確かにそれでは、塩辛は出来ないだろう。
仲裁が終わったようで、先生が相変わらずだらしなくにへらと笑いながら、こちらへやってくる。
「竹さんとは今日亀さんに背負ってもらってる本で、一番高いものを借りてもらうことで話が付きました。後はお願いしますね」
「……それだけ口が達者なのでしたら、普段から『貸本屋』としてやりくりしてくださいよ」
「嫌ですよ、本を読む時間がなくなってしまいますから」
「その割に、相談事には時間を割かれるようですが」
「助け合いは大事ですよぉ」
そう言って先生は、脇に挟んでいた読みかけの本を開くと、道行く人の波の中へと消えていった。それを呆れ顔で見送った後、私は二人にげんこつを振り下ろす竹さんに話しかける。
「あの、お取り込み中すみません」
「あぁ? あ、『相談屋』さん! どうもすみません。『相談屋』の旦那とは、貸本の駄賃、この二人持ちってことで話ついてるんで、うぅんと高いやつでお願いしますよっ!」
そんな話になってたのっ!
そこまでは聞いていなかったものの、本を貸すことには変わりない。普段通り帳簿を書いていると、竹さんが今思い出したとでもいうかのように、私に話しかけてくる。
「そういえば『相談屋』さんのことを探してる奴がいたって、本家の奴が言ってましたよ」
「本家というと、品川ですか?」
「そうなります」
『相談屋』を探しているということは、また誰かから先生への相談事だろうか?
品川と言えば、東海道の第一宿。江戸四宿の一つでもあり、旅人が多く訪れる場所だ。
まだ路銀を持つ旅人たちを狙い、岡場所と呼ばれ、飯盛女という名目の遊女がいる非公認の遊廓もある。それがらみの相談だと厄介だなと思いながら、私は竹さんにお礼を言ってその場から離れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます