④
「――というわけで、お得意様増加のために、死んでも解決してくださいっ!」
お店に戻ると、私はすぐさま先生に噛み付いた。
「なんですか、亀さん。藪から棒に」
夕餉の仕度を終えた先生が、呆れ顔で私にそう言った。
家に帰り、改めて間取りを顧みると、どうしても竹さんの家との差が浮き彫りになってしまう。
まず座敷、畳はうちにはないのだが、と台所、つまり火を使う竈との距離が、広めに取られている。言わずもがな、本対策だ。
火事と喧嘩は江戸の花。それぐらい火事が多い江戸に住んでいるのだから、そこまでしなくてもいいのでは? と先生に提言したこともあるのだが、そこは本馬鹿。何とこの家、土蔵に近い造りになっているらしく、隣の長屋が燃えてもこちらに被害が出ないようになっているらしい。そんな阿呆なと思いながらも、『貸本屋』の資本とも言える本を守る姿勢は、商人らしいといえば、商人らしく感じられた。
それでも、
「……火鉢ぐらい置きませんか? 食事がすぐ冷めてしまいますよ」
「ですから、冷める前に食べちゃえばいいんですよ」
先生はそう言って、食事を並べた。
うちに膳なんて洒落たものは存在していない。今朝先生が抱えていた空の千両箱の上に、食事が並べられていく。この千両箱も妙な作りになっていて、箱の裏には賽銭箱のように切れ目が入っている。更に首から下げれるよう、縄まで付いていた。切れ目が入った方に食器は置けないので、今は『千両箱』と描かれた表を上にしている。
そこに並べられている今晩のおかずは、豆腐と大根の葉の味噌汁に、沢庵、そして焼き海苔だ。魚は月に三回食べられればいい方で、そうそう野菜以外のものが食卓に上ることはない。お米も白米ではなく、雑穀が基本となる。雑穀を食べた方が脚気にかからないとは先生の言葉だが、どうにも貧乏暮らしを助長しているようにしか、私には思えて仕方がない。
食べ物や唾が本にかからないよう、屏風で本のための壁を先生が作るのを見ながら、私は味噌汁をすする。む、美味しい。
朝食は私が仕度するのだが、昼餉の弁当や夕餉は先生が作ることが多い。私が外で働いているからそうなってしまうのだが、先生の料理の腕にまだまだ私は及ばない。沢庵の漬かり具合も、海苔の焼き加減も絶妙だ。悔しいが、手が勝手に進んでしまう! ちくしょうっ!
「それで? 何をそんなに亀さんは荒れているんですか?」
そう言いながら、先生も千両箱の近くに腰を下ろす。そして、千両箱の上に置かれている箸を手に取った。
千両箱の上には、箸が四膳置かれている。私と先生以外の誰かを招いての夕食、というわけではなく、先生が三膳使うのだ。
右手に一膳、左手に二膳。右手で食事を取りながら、左手の四つの指の又を過不足なく箸で埋め、それらを使い、本を読んでいるのだ。
先生の左手、五つの指が、絡繰人形のぜんまい仕掛けめいた動きで器用に箸を動かし、二本の箸で本を支え、もう二本の箸で本の頁を捲っていく。
それを見ながら、私は竹さんの相談事について、話をした。
「なるほど。私が本を読んでいる間に、そんなことがあったのですか」
「仕事してなかったんですか? 先生っ!」
先生は笑いながら読み終えた本を本の山に積むと、今度は別の本を箸で引き寄せた。
「やだなぁ。ちゃんと洗濯物は洗って干しときましたよ?」
「そう言う問題じゃありませんっ!」
私は日頃の鬱憤を爆発させるために、千両箱を両手で叩いた。
「先生、今日という今日は言わせていただきます! まず、食事中に本を読むのはやめてください。行儀が悪いですよっ!」
「大丈夫ですよ、亀さん。本は汚しませんから」
「だから、そう言う問題では――」
「それから亀さん。今日の貸出帳簿を見ましたが、いくつか書き間違いがあったので朱墨で直しておきました。書き間違いが三箇所、金ではなく銀で計算していた箇所が二箇所ありました。まだ上方の癖が抜けてないようですね」
驚いて先生が読み終えた本の山を見ると、確かに今日私が付けた、誰にどの本を貸したのかを記した貸出帳簿が積んであった。そんなに早く読み終えれるはずがないと思いながらそれを捲ると、確かに朱墨で間違いが修正されている。
先生の前半の指摘は、帳簿の住所を記載している欄、本を貸した人の特徴や雰囲気を記載する欄、そして本を貸し出した日の天候と時刻を記載する欄に、それぞれ一箇所ずつ墨を入れられていた。後半についても、貸した本の値段を金ではなく銀で計算していた箇所が二箇所ある。
上方方面では銀貨を主流に使うのに対し、江戸方面は金貨が主に使われている。銀貨計算でも値段はあっているはずだが、江戸で商いを行う以上金貨で計算した方がいいと、以前から先生に指摘を受けていたのだ。
自分の失態に、羞恥で頬が赤くなる。基本的に放蕩同然の生活を送っている先生だが、読み書き算盤など商人に必要な知識を、私は全て先生から教えて頂いているのだ。
振り上げた拳の行き先をどこにしようかと考えを巡らしていると、先生が味噌汁をすすった後に、ぽつりとつぶやく。
「しかし、竹さんの件。どうしましょうね?」
「そ、そうですよ! 先生、竹さんの相談事ですっ!」
私は内心、しめたと思いながら、先生を右手で指さした。
「大体、先生が何でもかんでも相談事を聞いてくるから、こんなことになってるんですよ! わかってるんですかっ!」
「ええ、わかってますよ。ですから、困ってるんです」
「……ほほう? 流石の先生も、今回の相談事は手こずりそうですか?」
嘲笑を浮かべる私を余所に、先生は珍しく小首をかしげてつぶやいた。
「そうですねぇ。事が事だけに、落とし所が問題ですねぇ」
「ほら、見てください! 先生がちゃんと働いてさえくれるのでしたら、相談事なんて受け、ず、に……?」
私は先生の言葉に違和感を覚え、得意気に論っていた口上を止める。
「……先生、今、何とおっしゃりましたか?」
「ですから、落とし所をどうするか。それを今、悩んでおりまして」
「落とし所をどうするかって……」
それじゃあ、まるで。
「権助さんと定吉さんの様子がおかしい理由、わかったんですか? 先生っ!」
「九分九厘」
平然とした顔で味噌汁をすすりながら、先生はそう言った。
過去の経験から先生がそう言った時、相談事が解決しなかった事がないということを、私は知っていた。
「江戸っ子の塩辛は出来ないとは、よく言ったものですねぇ」
唖然と先生を見つめる私に向かい、先生はそう言いながら、ご飯を綺麗に、最後の一粒まで食べ終える。
「ご飯、もういいですか?」
食器を洗ってもいいのか? と聞く先生の言葉にはっとなり、私は急いで食事をかきこんだ。
食器を下げ、代わりに番茶を注いだ湯のみを千両箱へ二つ並べる先生に向かい、私は問いかけた。
「せ、先生! 何が? 何が問題だったんですかっ!」
「その前に、亀さん。一つ、わたしの質問に答えていただけますか?」
お茶をすするように飲んだ後、先生は私に向かってこう言った。
「権助さんと定吉さんが竹さんに送ったお祝いの品は、水瓶ですね?」
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