第3話 バイト戦士
引っ越し作業が終わってから3時間ほどが経った。
昼ご飯は由美さんがお弁当を買ってきてくれたため頂いた。
しばらくぼーっとしていると、突然ベッドに転がっているスマホから着信音が鳴った。
着信先を見ると、俺のバイト先であるハンバーガーショップ『モック』の店長である
「もしもし、優斗です。なんでしょうか」
「あ、優斗くんにはすまないが、今からシフト入れる?一人風邪で休んじゃっててさ」
マジかよ。今から・・いくらなんでも急すぎるだろ。これが噂のパワハラってやつなのか?
「今からですか・・まあ、大丈夫ですよ」
「それは良かった!じゃあ、今から自転車かっ飛ばして安全運転で来てくれ」
心の中でどっちだよと突っ込みをするが決して口には出せないので素直に応じる。
「分かりました。できるだけ急ぎます」
「あーい、よろしく頼むよ」
それにしてもいきなりだったな。こういうのはもう少し早く伝えてほしい。まあ、ここで愚痴っていてもしょうがない。社会ってのはある程度理不尽なものだと本に書いてあったからな。挨拶だけして出るか。
まだ新築なため、木材の独特な香りが鼻孔をくすぐる。俺はこの匂いが意外と嫌いじゃないのだが、世の中には嫌いな人もいるらしい。心底どうでもいいが。
リビングに入ると義妹がテレビを見ていた。どうやら両親はそろって出かけているらしい。
「今からバイト行ってくるから。留守番よろしく」
「んー分かったー。いってらっしゃい」
「おう。行ってきます」
非常に事務的で淡泊な会話なため、見る人が見れば仲が悪いと思われるかもしれないが、それは間違いだ。無関心を掲げ過干渉を避ける。それ以上でもそれ以下でもない距離感が俺と彩花さんとの間で同居するにあたり唯一取り決めたルールだ。
家を出ると、春特有の温かく気持ちの良い風が桜の花びらを運びながら優しく吹いていた。それだけのことなのだが、今から自転車でバイトに行くという憂鬱な気持ちが少しだけ楽になった気がした。
ここは城下町であるため、天守閣のある公園があるのだがそこを取り囲むように咲き乱れる桜はテレビ番組や教科書なんかに取り上げられるほどに美しい。1年に1回春に開かれる桜まつりには県外や国外から観光客がこの桜目当てに訪れている。俺自身はいつからか行かなくなってしまったのだが。
「おはようございます」
店に入ると休憩室には店長である誉田さんが立っていた。その顔はどことなく疲れている様子で2人で店を回している大変さが窺える。
「いやー、よく来てくれたぁ。
「分かりました」
そうとだけ言い制服に着替える。ふと鏡を見て思ったのだが、相変わらずこの帽子が似合わない。昔から目つきが悪いとよく言われていたのだが、帽子をかぶると髪が隠れて目つきの悪さがより強調されている。一応コンプレックスなのであまり触れてほしくない。
なんにせよ、今日も1日長くなりそうだ。気合を入れて頑張りますか。
「あー、疲れた。マジで疲れた」
休憩室の椅子にもたれながら呟く。普段ならただの独り言なのだが、今は相手がいる。その相手とは茶色のポニーテールがぴょこぴょこ跳ねている後輩の渡ちゃんこと
「いや~、疲れましたね~」
「あ゛誰のせいだと思ってるんだ?お前、自分のミスに気づいてないとか言わせないぞ」
「その件に関しては本当に申し訳ないですね~」
くそ、つくづくムカつく奴だ。こいつは本当に気付いているのだろうか。しかも、まだ入って1か月も経っていないのにこの馴れ馴れしさときたら・・・
「大体な、バーベキューソースかケチャップソースかぐらいは覚えれるだろ。過ぎたことはあんまりぐちぐち言わんが、次からは気を付けてくれよ」
「はーい。でも私、そうやって正直に注意してくれるおっさんぽい先輩は結構好きですよ?」
「はん、馬鹿なこと言ってないで帰る支度するぞ」
スマイルが売りのこの店ではこいつの明るさが良い武器になるのだが如何せん他人との距離の縮め方がおかしすぎる。
こいつも彩花さんみたいにもっとフラットにやってくれれありがたいのだがな。
店内からでると、辺りはもう暗くなっていた。心なしか道路を行き来する車の数も多く感じる。帰宅している会社員なのだろうか。
昼間はそこまで車通りの多くないこの道でも帰宅ラッシュとあらばそうはいかないみたいだ。
追い越していく車の風を感じながら先ほどとは逆方向へと自転車を漕ぐ。
方向が違うだけで大分景色が変わるのはここが城下町だからなのかそれともそれが普通なのか。
それにしても怒涛の1日だった。まだ1日を振り返るような時間ではないがそうしたくなるくらいには色々なことがあった。
これほどに充実した日というのも中々に珍しい。基本インドア派なため今までは無理にイベントを起こそうとしてこなかったので今日という日はとても新鮮だった。
家に着くと、どうやらまだ両親は帰ってきていないようだった。どこまで行ったのやら。仲が良いのは嬉しい限りだがあんまり遅くに帰ってこられると少し心配にもなったりする。
バイトへ行く前と同じくリビングのドアを開けるとそこに彩花さんの姿は無かった。鍵は開いていたし自分の部屋にでもいるのだろう。もういい時間だしあの2人を待たずに晩御飯を作り始めるか。そう考えていると階段をゆっくりと降りてくる音がした。
「あら、帰ってきてたのね。おかえり」
「ただいま。今からご飯作るから待って・・」
「いや、いいよ。私が作るから。疲れてるでしょ?」
「え、いいのか?」
なんと気の利く良い人だ。どこぞのバイト戦士とは大違いだな。それにしても女子高生の手作りの飯か・・おっといかんいかん実乃梨に言われたようにおっさんの思考になっている。邪念を振り払い極めて冷静に努める。
「じゃあ、手伝おうか?」
「いや、大丈夫。お母さんが日中あまり家にいなかったから料理は作れるの」
「分かった。じゃあテレビでも見てるよ」
見た目で料理は作れなさそうと判断していたがどうやら間違っていたようだ。初対面のときは俺に気を遣って敬語を禁止にしてくれたり今もバイトに行っていた俺の代わりに料理を作っていたりと真面目な人なんだろう。
1時間ほどが経った。見ていたテレビもエンディングに入っていた。随分と手の込
だ料理を作っていたものだ。キッチンからは生姜の香ばしい香りが漂ってくる。
「豚肉の生姜焼き?」
「うん。でもお肉に下味付けてないから美味しいかは分からない」
そうは言うが目の前に並んでいる豚肉の生姜焼きやマカロニサラダはどれもクオリティが高い。俺が作る物よりもはるかに見栄えがよく多分だが美味しい。アニメの義妹キャラは皆一様にメシマズ属性を兼ね備えているものだが彩花さんはそれに該当しないようで安心した。
「いや、十分な出来だろ。俺こんなに上手く作れないぞ。下味なんて付けたことないし」
「時間があるときはやったほうがいいよ。食材の風味が増して何倍も美味しくなるから」
「勉強になります。あの・・いただいてもよろしいでしょうか・・」
「別に一々聞かなくても食べていいのに」
さいですか。帰ってきた反応があまりにフラットだったため少し困惑した。
「いただきます」
「どうぞ。おあがりください」
プレートに盛られた色とりどりのメニューを順番に味わっていく。下味を付けていないと言っていた豚肉の生姜焼きはそんなものを感じさせないほどに美味しくご飯にとても合う。
「やばい、めちゃくちゃ美味しいんだけど・・」
「大げさだなあ。タレと一緒に豚肉を焼いただけだって」
「逆にそれだけでここまでの物を作れるのがすごいよ。店のよりも何倍も美味しいよ」
「そんなに褒めても何も出てこないからね」
「いいんだよ。俺の自己満足だから」
こんな料理を毎日食べれるなんて・・感激だ。つい2日前まで赤の他人だった人の料理に感激している自分が少し面白い。その後も彼女の料理に舌鼓を打った。
料理を一通り堪能した後自室で勉強をしていた。俺が通う学校は一応県内で3番目くらいの偏差値をほこる学校であるため、少しでもサボると簡単においていかれる。元々地頭はそこそこいい方だと自覚しているがそれでも勉強し続けなければ不安になる。
俺がバイトをできているのは勉強をちゃんとやるという約束を父としたからであり、それを裏切るわけにはいかない。勉強というのは最初の方は面倒だが慣れてくると習慣化するもので今ではまったく苦でない。むしろできなかった問題ができると嬉しかったりする。
集中してノートにペンを走らせているとドアの方からノックの音がしそれとほぼ同時にドアが開いた。
「優斗くん、ちょっといい?」
どうやら彩花さんのようだ。こんな時間になんだろうか。
「いいよ。何か用?」
「まだお風呂に入ってないよね。どっちが先に入るか決めようと思ったんだけど」
そういえばお風呂がまだだった。勉強に集中していたから時間が経つのをまったく感じていなかった自分が怖い。
「ああ、それで・・彩花さんに任せるよ。俺はいつでもいいから」
「そう?うーん・・じゃあ優斗くんが先に入って」
「分かった。お風呂からあがったら部屋まで呼びに行くね」
「分かった」
女性からすれば自分の入った後のお風呂にあまり入ってほしくないのだろう。別に潔癖症なわけではないが俺がもし女性だったとしたら確かに少し不快だからな。
あがったらお湯を張り替えるくらいのことはするか。
「あ゛ー疲れたー」
本日2度目のこのセリフ。今度はベッドにダイブしながらの中継である。
いつもならゆっくり湯舟に浸かっていたところだが義妹がいるため長風呂は迷惑になるのを見越して15分ほどででた。お兄さんの気遣いってやつさ。
お風呂からあがると一気に疲れが体に出てきて、今日1日がかなりのハードスケジュールだったことを改めて実感した。
明日が勤労感謝の日でもなければ割に合わないというやつだ。
まさか2日前の俺は義妹ができるだなんて思ってもいなかっただろう。あれほど夢にまで見たシチュエーションだったがいざ当事者になると大変だな。気苦労が絶えん。
こんな充実した日が続くわけないが、それでも大変であることは目に見えている。
必要最低限の異性への配慮を大事にしよう。そんなことを考えている内に抗えない睡魔が襲ってきた。これはダメだ。寝るしかない。瞼が自然と落ち視界が暗転していく――――
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