第36話 対決

 白刃から閃光がはしる。

 男の振り抜いた剣先に、老女の着ていたブラウスの切れ端が引っかかっている。一瞬、彼の視界を女物の衣類が遮る。ふわりと人型に浮かび上がり、地面に落ちた老女の服の背後には……。


「……っぶないなぁ!」


 生成りのシャツに半ズボン姿の、五歳くらいの子供がいた。ピョコピョコ動く茶色の三角耳とふさふさ尻尾に、男は驚愕の声を上がる。


「キツネ!? 面妖な。貴様、魔物か!」


「……お師様の芸術作品を、そんな陳腐な言葉で片付けないでくれる?」


 ノノは頭を低くし警戒しながら、男に吐き捨てる。


「いきなり斬りつけるなんて失礼だね。レナといい、あんたといい、騎士って野蛮な奴ばっかなの?」


 子狐の台詞に、男が食いついた。


「レナ? レナロッテのことか!? 貴様、彼女を知っているのか!?」


「新婚さんには関係ないだろ。こんなところで何やってんの? 異国に移住したんじゃないの?」


「新婚? ……貴様、外遊のことを知っているのか?」


「自分で言ってたじゃん」


「は?」


 男は数ヶ月前会った薬屋が、この狐の子供と同一人物だなんて思いもよらない。


「いや、今はそんなことどうでもいい」


 彼は頭を一つ振って、優先順位を整理する。


「狐、貴様はレナロッテを知っているのか? レナロッテは……生きているのか?」


「教えない」


 ノノはべーっと舌を出す。


「あんたのせいで、ボクは大変だったんだぞ。半分になりかけたりしてさ。だから教えてやんない!」


「……ならば力ずくで聞くまでだ!」


 ビュン! と横薙ぎに振り抜かれた剣を、ノノは仰け反って躱す。……が、


(はやっ!)


 レナロッテよりも格段に速く重い太刀筋に、冷や汗を垂らす。相手はノノを生け捕りにしたくて加減しているようだが、当たれば重傷は必至だ。

 しかし、ノノだって負けてない。


「てい!」


 数個の狐火を出しながら、足元の落ち葉を蹴りつける。


「……うっ!?」


 舞い散る木の葉と狐火の光が万華鏡のように揺らめき、男の方向感覚を狂わせる。いわゆる『狐に化かされた』状態だ。

 激しい眩暈に襲われ、空と地面の区別さえつかなくなる。目にぼんやりと霞がかかる。

 狼のように集団で囲まれると無理だが、人間と一対一ならノノにだって対処法はある。


「ずっとそこで迷ってなよ」


 木の葉の檻の中で虚ろに円を描いて歩き回る彼に鋭い犬歯を見せて笑って、ノノは踵を返す。ブルーノが幻覚に囚われている間に小屋に戻り、フォリウムに彼の処遇を仰ごう。そう思っていたが……。


「むんっ!」


 突然、男は自分の太腿を剣で斬りつけた!


「ひぇ!?」


 びしゃっと噴き出した鮮血にドン引きするノノを、男が睨みつける。その目には強い光が戻っている。痛みで幻覚を打ち破ったのだ。


「どこだ……」


 巨大な掌が狐に迫る。


「レナロッテはどこだ!?」


「……ひっ!」


 胸ぐらを掴もうとする大人の手に、子狐が涙目で首を竦めた……その時。


 ヒュン!


 二人の間を、一羽のツバメが横切った。

 驚いた男が手を止めた隙に、ツバメはノノに向かって忙しなく囀ると、そのまま空へと消えていった。

 ノノは不機嫌そうに唇を尖らせ、上目遣いに背の高い軍人を見上げた。


「来いよ。お師様があんたを呼んでる」


 顎をしゃくると、そのまま振り向きもせずずんずん森の奥へと歩いていく。


「な……、どういうことだ?」


 何が起きているのか、さっぱり判らない。

 それでも男は、藁にもすがる思いで面妖な子供の後をついていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る