第4話 ノノ

「話を聞くに、貴女の身体を蝕んでいるのは寄生系の魔物ですね」


 顎に手を当ててふむと頷いてから、フォリウムは立ち上がった。


「聖水も効きますが、元凶の弱点が判れば更に効果的な治療ができます。東方の魔物なら、イステの森の魔女が識っているかもしれません。連絡を取ってみましょう」


 言いながら文机に向かうと、羊皮紙にペンを走らせた。そして書き終えた手紙をツバメの形に織り、窓から放る。すると紙のツバメは生きたツバメへと変わり、空へと飛び立っていく。


「返事が来るまでに数日掛かるでしょうから、今はやれることをしましょう。私は新しい聖水を調合しますので、ノノはレナロッテさんの水を換えてあげてください」


「えー!」


 途端に不満を叫ぶ狐の子だが、


「返事は“はい”です」


「……はぁい」


 やっぱり師匠には逆らえない。

 フォリウムが作業のために奥の部屋へ消えると、ノノはブツクサ言いながら手桶で紫の液体を掬っていく。


「なんでボクがドブさらいなんかやんなきゃなんないんだ。見ず知らずの他人のために」


「めいわ、くかけて、すまな……」


「まったくだよ!」


 恐縮するレナロッテに、ノノは容赦がない。


「大体、騎士って恥掻いたらすぐに死ぬイキモノなんじゃないの? なんで潔く散らなかったの? 騎士の訓練でなに習ってきたの? こんなバケモノになってまで生きたいの?」


 責め立てられて、紫の粘体はポツリと、


「し……のうと、おも……た」


 身体が崩れ、人間ひとでないモノに変わっていった時、レナロッテだって自決を考えた。

 生きざまより死にざまの潔さが評価される、それが騎士だ。

 このままではブルーノにも部隊のみんなにも迷惑が掛かる。いっそ自決しよう。そう思ったが……。


「で、も。おそ、かった」


「遅い?」


「ペンを」


 言われるままに、ノノは文机から羽根ペンを取った。


「刺、して」


 振りかぶって、遠慮なく粘体にペン先を突き立てる。……が、ぷにょんと弾き返された。


「わ! 刺さらない!」


 これでは刃物での自決は無理だ。


「毒とかは効かないの?」


「……わから、ない」


「ま、生のネズミ喰ってるくらいだし、中身も外身も頑丈なんだね」


 ノノは勝手に納得する。

 療養施設も、崩れながらも死なない患者に、為す術がなく地下牢に放り込んだのだろう。


「でも、わたしが、しななか…った、いちば、んの理由は……」


 レナロッテは、自分でも判ってた。


「わたしが、生きたかったから」


 最後の最後まで、『生』にしがみついた。


「騎士、しっかく……だ」


 水位の浅くなった盥の中で身体を揺らしているのは、自嘲しているからだろう。


「騎士としては失格でも、生物としては正解なんじゃない?」


 新鮮な水を注ぎながら、ノノが言う。


「生きたいって気持ちは、生物の本能だよ。それを悔いてもしょうがない」


 驚いて見つめるレナロッテに、ノノは不機嫌そうに眉を寄せる。


「こっち見んな、キモい」


 ……やっぱりこの子供は口が悪い。


「ま、お師様があんたを助けるって決めたからにはボクは従うしかないけど」


 取り替えた汚水の桶を手に立ち上がった狐耳の子に、どす黒い紫の彼女は、


「……ろ……か」


「ん?」


「もし、もどら、なかっ……たら、わたしを、ころせ……るか?」


 ノノは呆れたため息をついた。


「助けろとか、殺せとか。どんだけ図々しいんだ、あんたは」


 面倒臭げに、憐れなバケモノを言葉で切り刻む。


「自分の嫌なことを他人に押しつけんな。最初からボクはあんたを燃やすつもりだったんだ。それなのに、あんたがすがってきたから、お師様は手を差し伸べた。今更死にたいなんて言ったら、お師様が傷つくだろ。そんな姿になってまで生き残るって決めたなら、最後まで醜く足掻いてろ。戻らなくても、ボクがブニョブニョの身体に合うウエディングドレスを作ってやるよ」


「う……」


「せっかく水換えたのに、汚すなバカ」


 紫の涙を流すことすら許さない。

 太い尻尾を振って踵を返すノノに、レナロッテは躊躇いがちに尋ねた。


「……あな、たは……なに?」


 獣の耳と尻尾を持つ人間など見たことがない。

 女騎士の質問に、


「ボクはボクだよ」


 ノノはあっさり言い捨てて、部屋を出ていった。

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