第3話 経緯

 レナロッテの入ったたらいの前に椅子を持ってきてフォリウムが座り、彼の膝の上にノノが飛び乗る。そこは狐の子の指定席のようで、師匠は弟子にされるがままだ。


「わた、しは……レ、ナロッテ・アル……ドリ……ジ」


 途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 ──レナロッテは、貧しい小作人の子供として生まれた。

 口減らしの為に下女としてとある貴族屋敷に奉公に出た彼女は、侵入した盗賊を退治したことで屋敷の主に武の才を見出だされる。

 屋敷の主の名はセルジオ・ペルグラン伯爵。このデトワール王国の将軍だ。


「ペルグランって、ここら辺一帯の領主の名前だよね?」


 ノノが気づく。

 領主の屋敷は、この森のほとりの外壁を持つ大きな街に在る。

 レナロッテはペルグラン伯爵の推薦で軍事学校に入り、卒業後は武功を上げて騎士に昇格した。

 『騎士』という職業は、彼女にとって天職だった。

 剣技を磨く充実感を覚え、人のたすけになる喜びを知った。

 彼女は王国騎士団に所属し、各地に派遣されては国の安全のために戦ってきた。

 そして目まぐるしく過ぎる日々の中で……年頃の彼女は恋をした。

 同じ部隊に所属する二つ年上の同僚、ブルーノ・ペルグラン。奇しくも奉公先であったペルグラン伯爵家の三男である彼と、レナロッテは婚約した。


「婚約者ぁ!? しかも玉の輿!? ほぼ紫のこいつが!?」


「ノノ、酷いことを言わない」


 騒ぐ子供の口を、師匠が背後から手で覆う。

 見目麗しく聡明なブルーノに、レナロッテは下女だった頃から憧れていた。だから身分の差を超えて恋人になれた時は天にも昇る心地だった。

 婚約者という心の支えを得て、レナロッテはますます騎士としての実力を高めていった。常にブルーノの隣にいて、切磋琢磨できることを誇りに思っていた。

 しかし……幸せな時は長く続かなかった。

 ――ある日のこと。レナロッテの所属する部隊は、東の村が何者かに襲撃されているとの通報を受け救援に向かった。


 彼女達が駆けつけた時には、村はすでに壊滅状態で……激しく壊れた民家の軒先には、一頭の豹が横たわっていた。この地域では、野生の豹は珍しくない。この惨状も腹を空かせた猛獣の仕業だろう。騎士団が結論づけた、その時。

 豹が立ち上がった。

 首がありえない方向に曲がり、絶命していると思っていた巨大生物が、突如動き出したのだ。

 一人が喉を切り裂かれ、一人が爪で引き裂かれた。


『怯むな! 隊列を組め!』


 隊長の怒号に騎士達は必死に応戦した。豹を取り囲み、剣を振るい、動きを止めた。そして、レナロッテは渾身の力で豹の心臓を貫いた。


『よくやったぞ、レナロッテ!』


 仲間の歓喜の声が響く。彼女がほっと剣を下ろした……瞬間!

 豹はカッと目を見開いた。吼えるように開いた口から、毒々しい紫の粘液が吐き出される。レナロッテの顔へ飛ばされたそれを、彼女は腕を盾にして遮った。右腕にべしゃりと禍々しい粘液が絡みつく。


『大丈夫か? レナロッテ』


『ああ』


 心配してくれるブルーノに微笑みを返す。

 本当に大丈夫だと思っていた。……この時は。

 粘液はすぐに洗ったが、腕に紫のシミが残った。

 シミは日を追うごとに広がり、皮膚を紫に染めていく。それに比例して、レナロッテは体調を崩し始めた。

 彼女は故郷で休養を取ることになった。

 元々、この任務の後は結婚式の準備に入る予定だったので、丁度良かった。


「結婚式! ダメじゃん。『これが終わったら結婚する』は、絶対叶わない伏線フラグじゃん!」


 失礼な狐がキャンキャン騒ぐ。

 レナロッテは、この森の近くにあるペルグラン領の療養所に入った。

 最初のうちは度々見舞いに訪れていたブルーノも、時が経つにつれ足が遠のいた。親身に治療にあたってくれていた医者も、徐々に彼女の部屋に来ることを嫌がりだした。

 そして、一人で動くのも辛くなった頃……。

 彼女は療養所の特別室という名の地下牢に移された。

 異臭を放ち、崩れ行く体に、レナロッテは泣き叫んだ。絶望に打ちひしがれ、冷たい石畳に横たわって死を待っていた彼女は、ふと、幼い頃に亡くした母の言葉を思い出した。

『街の西の森には魔法使いが棲んでいる』

 と。

 魔法使いなんて、権力者に取り入って水晶片手に好き勝手に時勢を占うペテン師だ。レナロッテはそう思っていた。

 大昔は、天候を操り、強力な魔力でドラゴンを支配し、不老不死の薬さえ作ったと謂われているが、今は夢物語だ。この世の中には、ドラゴンも魔法も存在しない。

 でも……。

 レナロッテは、最後の気力を振り絞って、地下牢を抜け出した。

 あの森へ……魔法使いに逢いに行こう。

 だって、自分の身に起こっていることは、人知を外れた超常の現象なのだから。

 誰もが見限ったレナロッテを、きっと魔法使いが助けてくれる……。


「タスケ……テ」


 紫の体を震わす彼女に、フォリウムは優しく触れる。


「ここに来るまでに大変な苦労をされましたね」


 穏やかに微笑む。


「もう、大丈夫。私は本物の魔法使いです。貴女を治します」


 その瞬間、びしゃっと体液がほとばしり、ノノが「ぎゃー!」と師匠の膝から飛び退く。


「泣かないで、貴女は元に戻れますから」


「……今の、涙だったんですか?」


 紫の蛭をあやすフォリウムに、迷惑な泣き方だなとノノが引きつる。


「……で……か?」


 また喋り出したレナロッテに、フォリウムが耳を寄せた。

 彼女はもじもじと、


「は……るまで、に、戻り……ますか? けっこ、んしきが……」


「まだウエディングドレス着る気だったんかーい!」


 思わず盛大にツッコんだ弟子に、師匠はゲンコツを落とした。

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