第5話 東の魔女の手紙

 イステの森の魔女から返信が来たのは、三日後のことだった。

 小屋の窓ガラスを割らずに突き抜けてきた大きなハナムグリを、緑の魔法使いが人差し指を出して止まらせる。すると昆虫はポンッと煙を上げて羊皮紙に変わった。

 フォリウムは封蝋を割って中を開く。さっと流し読みしてから、盥の巨大蛭に目を向けた。


「レナロッテさんを蝕んでいるのは、『パラタクルス』と呼ばれる寄生魔物のようです。動物の体内に侵入し、意識を乗っ取り暴れ回り、宿主が死ぬと出ていく」


「なんでわざわざ暴れるんですか?」


「魔物というのは恐怖や悲しみ、悪意という負の感情が好物なのですよ。だから生きている物を殺したがる」


 弟子の疑問に師匠が答える。


「普通は体の内部に留まるそうで、表皮まで変化するのは珍しいそうです」


「変異種ですか。どこまでも厄介な人ですね。で、治す方法は解ったんですか? 燃やすんですか?」


「燃やしません」


 過激な弟子をたしなめて、師匠は息をつく。


「東方ではホリーの葉とロウワンの実がパラタクルスを退ける力があるとされているそうです。どちらもこの森に自生してますね。ノノ、採ってきてください」


「えー! ボクがですかぁ!?」


 不満を叫ぶノノだが、


「返事は?」


「……はい」


 結局フォリウムには逆らえず、シュンと耳と尻尾を下げて小屋を出ていく。その後ろ姿はなんとも愛らしい。


「……して……」


「なんですか?」


 水を揺らして囁くレナロッテの声に、フォリウムは耳を傾ける。


「ど……して、わた、しをたすけ……る?」


「さて」


 長い栗色の髪を揺らし、魔法使いは優美に微笑む。


「助けてと言われたら、助けたくなるのが人情ですから。昨今、誰かに頼られることもめっきり減りましたから、お節介の虫が疼いたのかもしれませんね」


 自然な仕草でクスクス笑う。


「わた、しが……こわく、ない?」


「ちっとも」


 自分でも顔を覆いたくなるような奇怪な身体と汚臭にも、魔法使いは動じない。


「だから、レナロッテさんも怖がらないで」


 紫に濁った水に手を入れ、彼女の頭(らしき部位)を優しく撫でる。


「さっきも言った通り、負の感情は魔物の糧になります。なるべく心穏やかでいてください」


 ……この状況でそれは難しいが……。

 身動ぎして頷くレナロッテに、フォリウムは微笑み返す。意思の疎通ができるのは純粋に嬉しい。


「ま、ものなん、て、おとぎ話と、思って……た」


 自分がなる前は。


「おとぎ話ですよ」


 フォリウムは歌うように語る。


「魔物も魔法使いも、今、貴女の身に起こっていることも、みんな泡沫うたかたの夢です。目が覚めれば忘れてしまう、私達はそんな存在です。レナロッテさんも今は夢の住人ですから、何をしても自分を恥じることはありませんよ」


 夢ならば、これは確実に悪夢だ。でも、元に戻った時に全てを忘れていいというのなら、少しだけ心が軽くなる。

 森の魔法使いの言葉は春の煙雨のように柔らかく女騎士を包み込む。

 安らぎの中、聖水の海に揺蕩たゆたっていると、玄関から「ただいまですー」と高く元気な声が響いた。狐の子のご帰還だ。


「お師様、採ってきましたよ!」


 部屋に入ってきたノノは、ギザギザのホリーの葉とロウワンの赤い実のぎっしり詰まった背負い籠を下ろして、誉めて誉めてと期待の眼差しでフォリウムを見上げる。


「たくさん採ってきましたね。ありがとう、ノノ」


 三角耳の間の赤髪頭を撫でられると、弟子は嬉しそうに大きな尻尾をブンブン振り回す。


「あとね。ボク、これも獲ってきたんです」


 ノノは背中に隠していた右手をずいっと突き出す。握られていたのは、クタッと首を折られた一羽の鴨。これは植物採集中に偶然見つけた獲物だ。ノノは狐の子、狩りだって得意だ。


「今日のディナーは鴨鍋にしましょ! お湯沸かさなくっちゃ!」


 うっきうきで調理場に向かおうとした……瞬間。

 シュバッ! っと紫の触手が鞭のように伸びて、ノノの手から鴨を奪った!


「あっ」


 と被害者ノノが悲鳴を上げた時には、渡り鳥の体は巨大蛭略奪者の内部に飲み込まれていた。


「す、すまな、い。わざと……じゃ……」


 もぐもぐと身体を脈動させながら、盥の中のレナロッテが必死に言い訳する。

 ノノは小さな肩をふるふると震わせて……、


「お師様! ボク、あいつ嫌いです! 今すぐ捨ててきてくださいっ!」


 涙目で指を差し、師匠に訴えた。

 フォリウムは「まあまあ」と弟子をなだめながら、急ににぎやかになった我が家に笑みを零した。

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