第14話「……サリタ様に、会いたい」

 歌が聞こえる。相変わらず、音痴な歌だ。先代聖女サリタの歌声を、エリアスは毎日楽しみにしている。


「フィデルのやつ、裏切ったな……まぁ、いいか。サリタ様がラウラ様の近くにいるのなら、気づくだろ」


 北の村で、エリアスはそれに気づいた。サリタの祈りの歌声が、一年半前と同じ場所から聞こえてくる。つまり、聖女宮にサリタがいることを、彼はすぐに悟った。

 聖女宮には勇者といえども入ることができない。ただし、病弱なラウラの代になってから、聖母会の日だけは情報交換のために勇者の聖女宮への行き来が許可されることとなった。月に三回だけだ。利用しない手はない。


「次の聖母会になればサリタ様に会える……!」


 簡素な寝台から降りて、エリアスは伸びをした。

 勇者は主に神殿や教会で寝食する。どの村にも街にも、一つは聖教会の神殿か教会がある。世話をしてくれるのは、大抵そこに住んでいる子どもか、修道女であった。

 この村の教会にはたまたま若い修道女がいたため、彼女が率先して勇者の服を洗ったり、食事の準備をしたりしてくれている。


「勇者様、おはようございます。服はこちらに。皺も取っておきました」

「あぁ、おはよう。朝早くからありがとう」


 エリアスは自分の顔が割と整っていることを自覚しているため、にこやかな笑みを浮かべて応対する。笑顔を振りまいておけば、待遇が悪化することはない。修道女は顔を真っ赤にしながら「朝食の準備ができました」と付け加える。

 朝食を食べ、聖獣プルケルに乗ってエリアスは飛び立つ。修道女が何か言いたそうな顔をしていたが、エリアスには関係のないことだ。口説けば手に入る女が欲しいのではない。エリアスの望みはずっと昔から同じで、変わることがないのだ。


 祓っても祓っても、『瘴気の澱』の気配がやむことはない。サリタが聖女だった頃は、もっと余裕があった。しかし、ラウラが聖女になってからは酷くなる一方だ。移動が多く、教会で眠ることができず、プルケルの背で一晩を過ごすこともあった。ベルトランとサリタの邸で過ごしたくても、叶わない日もあった。

 エリアスが疑問を抱くのに、時間はかからなかった。


 エリアスがその疑問を打ち明けるべき相手に神官フィデルを選んだのは、彼が潔癖で、真面目で、融通がきかない男だったからだ。信頼はしていないが、エリアスと違う視点から物事を見ることができるという点を評価していた。

 しかし、フィデルはエリアスの疑問を一笑に付した。「神託と聖女様が偽物ですって? そんなバカなことがあるわけないでしょう」と、最初はエリアスを相手にもしなかった。

 風向きが変わったのは、エリアスがラウラの「虫」に気づいてからだ。『瘴気の澱』を自力で祓うことができない聖女――それを聖女と呼んでいいのか、フィデルに疑問を呈した瞬間から、彼は強力な味方となった。


 昔、ベルトランはエリアスに「勇者の素質がある」と言った。だとすると、「聖女の素質がある」者もいるのだろうとエリアスは考える。ラウラにはその素質があったのだろう。だから、利用されたのだろうと。


「ラウラ様は元気かい? あの子、あんまり体が丈夫なほうじゃないだろう」

「でも、まさかあのもらわれっ子が聖女様になるなんてねぇ」

「カルド伯爵は予知できる力でも持っていたのかしら」


 カルド伯爵領で『瘴気の澱』を祓ったあと、口の軽い人々から、ラウラがカルド伯爵の養女だと知らされた。ラウラに素質があったため、カルド伯爵が養女に迎えたのだろうとエリアスは考えた。

 だが、憶測だけで何もかもを決めつけるわけにはいかない。慎重に、証拠を集めなければならないのだ。気は進まないが、フィデルとともに。

 本物の聖女を聖女宮に迎え、余裕のある生活とサリタの愛を手に入れるためだ。聖職者たちの思惑も、ラウラの今後も、サリタが聖女であろうとなかろうと、エリアスには関係のないことなのだ。




「勇者様、大丈夫ですか? 目の下にくまが」

「顔色が悪いですよ。眠れていますか?」

「かなりお疲れのようですが、それほど激務なのですか?」


 会う信徒たち皆にそんなふうに心配され、エリアスは苦笑する。聖母会に出席するため、寝ずに『瘴気の澱』を祓い続けたのだ。体力はとっくに限界を迎えているので、フラフラにもなる。

 副神官長室で仮眠を取ろうとしたら、フィデルは出張中だと言われて入室すらできなかった。どこをどう歩いたかも覚えていないが、気がついたら聖女宮の前にいた。


「勇者様! こんにちは!」


 ニコニコと笑っている聖女ラウラ。自分が聖女ではないかもしれないなどとつゆほども思っていないだろう。いたいけな娘に罪はない。

 ラウラがいつもより元気そうなので、エリアスは少しホッとする。安心した途端に睡魔が襲ってくる。


「今日は元気みたいだね。虫も……取らなくても大丈夫そうだ」

「そうなの、サリィが取ってくれるの。だから、調子がいいんだぁ」


 周りの女官たちが一瞬息を呑んだのがわかる。エリアスは「サリィねぇ」と苦笑する。もちろん、サリタのことだ。もうちょっとわかりにくい名前にしたほうがいいんじゃないかな、とは提案しない。


「サリィって?」

「最近、ずっとそばにいてくれる女官さんだよ」

「今日はいないの?」

「あれ? さっきまではいたんだけどなぁ」


 女官長ドロレスは「席を外しております」とこともなげに言う。他の女官たちも頷いている。皆でサリタを匿っているのだろうと推察する。


「そっか、サリィが虫を取ってくれるなら大丈夫だね」

「……勇者様はわたしに虫がついていなくても来てくれる?」

「もちろん。ラウラ様は大事な人だからね」


 国にとっても民にとっても。エリアスの言葉に、ラウラはパァと笑顔になる。単純で素直で可愛らしい聖女だ。サリタも素直に自分の好意を受け取ってくれたらいいのに、と思いながらエリアスはあくびをする。


「ふあ……ごめんね、ラウラ様。仕事がきつくて、眠いんだ」

「勇者様、大丈夫? わたしの寝室を使う?」

「ありがたい申し出だけど、そんなことはできないよ。副神官長室が使えたら良かったんだけどフィデルはいないみたいだから、別の仮眠室を使わせてもらうことにするよ」

「でも、わたしの体調が悪くて、勇者様に負担をかけているんでしょう? それなら、聖女宮で休んでもらったほうがいいんじゃないかな?」


 サリタのそばで眠りたい。そんな叶わぬ夢を見てしまう。

 エリアスは力なく笑い、準備された果実水や菓子には手をつけることなくフラフラと立ち上がる。ラウラも女官も心配するが、「大丈夫、大丈夫」と笑う。


「勇者様、小神殿に毛布を準備いたしますので、そちらでお眠りくださいませ」

「大丈夫だよ」

「しかし、そのような顔色と出で立ちで民の前に立つことは許されません。あなたは曲がりなりにもこの国唯一の勇者なのですから、民に心配をかけてはなりません」


 ドロレスの言葉に、睡魔に負けてしまいそうになりながらも「それもそうか」とエリアスは素直に頷く。先程、勇者の体を心配してくれていた信徒たちの顔を思い出したのだ。晩年は病気がちだった先代勇者のこともある。確かに余計な心配をさせてしまうだろう。


「わかった、小神殿で寝るよ……案内して」


 聖女宮内であれば「サリタのそば」に違いない。サリタが現役だった頃は、神殿内で仮眠を取っていたのだ。それよりは多少サリタのそばにいると言える。

 エリアスは雲の上を歩くかのような感覚になりながら、廊下を進む。意識が朦朧としている。


「食べ物と飲み物を準備しておきます。自由にお食べくださいませ」

「ん……ありがと」

「起きたあとにも温かいものが食べられるようにしておきましょう。他に要望はございますか?」


 厳格な女官長に無理難題を言っても断られるだけだと知っている。しかし、考える能力が著しく低下したエリアスは、望みをそのまま口にしていた。


「……サリタ様に、会いたい」


 ドロレスがどんな顔をして、何と答えたかも、エリアスにはわからなかった。小神殿の扉を開けて入室した瞬間に、バタリと倒れて眠ってしまったのだ。

 今日じゃなくてもいいけど、とはどこで呟いたのかはわからない。サリタの居場所がわかっているのなら、聖母会のたびに近くには来られるのだ。会えなくてもそばに存在を感じられるのだ。

 それだけで幸せを感じられるほどにまでエリアスは飢えているのだが、本人はさほど気にしていないのだった。



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