第15話「お、お父様は独身です……!」
「絶対、嫌です」
ドロレスが呼びに来たため、エリアスがもう聖女宮からいなくなったのかとサリタは思ったが、どうも様子がおかしい。廊下にドロレスと幾人かの女官が並び、頭を下げているのだ。
サリタはもう、どういう状況なのか理解している。断固拒否する構えだ。
「そうは仰っても。勇者様があれほど憔悴なさっているのを見るのは、久々でございます」
「ええ。ベルトラン様との結婚が決まったときよりも酷い状況です」
「どうか、勇者様に少しでも顔を見せてあげられませんか」
勇者エリアスという人は、人たらしの天才である。特に母性をくすぐる存在らしく、サリタが聖女であった頃も女官たちの中には勇者の恋路を応援する者もいた。「勇者様と結婚なさいませ」と助言してきた女官も多かった。
もちろん、サリタの敵だ。勇者には見つからないが、ここにはサリタの敵しかいない。わかりきっていたことだ。
「絶対、嫌です。絶対、会いません」
「勇者様は大変お疲れのようです。少しだけでも」
「小神殿に入った途端に眠ってしまわれたとか」
「嫌です」
「お願い、サリィ。わたくしはもうあんな勇者様の姿は見ていられません」
「かわいそうで、哀れで、本当に涙が出てきてしまいます」
「嫌なものは嫌なのです!」
部屋に籠城しようとしたら、既にドロレスが扉を押さえている。無理やり突破しようとしたら、彼女の細い腕が折れてしまうだろう。
「どうして、そんなに嫌なのですか?」
女官たちの視線に、サリタは溜め息をつく。「何となく」が通じない人たちだ。説明をしないと納得しないという表情だ。サリタは覚悟を決めた。言い返されても、反論をしないという覚悟だ。
「まず、顔が嫌」
「あれだけ整っている美青年は他にいませんよ」
「そうですよ。格好いいではありませんか」
だから、理由を説明するのが嫌なのだ。サリタの「嫌」と女官たちの「嫌」には大きな隔たりがある。それを理解してもらえないのだから、説明しても意味がないというのに。
「声が嫌」
「低くて素敵な声だと思いますよ」
「ええ。優しくて穏やかで、安心いたします」
もちろん、サリタはそんなこと思ったことがない。だが、反論はしない。
「細い体も嫌」
「結構鍛えていらっしゃいますよ、勇者様は」
「見えないだけで、筋肉質な体ですよ、あれは」
反論したくても、反論しない。
「何より性格が最低最悪。本当に受け入れられない。何であんなに『結婚したい、ずっと愛している』なんて言うの? 意味がわからない。怖い。私は七年も断っているのに、全然諦めてくれない。ベルトランと結婚したら諦めるかと思ったのに、全く諦めてくれない。毎日毎晩、うちに来て、使用人たちを懐柔して、厚かましくも泊まって行って、あまつさえ……! 本当に怖い。気味が悪い」
反論しないと覚悟を決めたはずが、サリタの口からエリアスに対する悪口がボロボロと出てくる。
「とにかく、私の好みではないの。本当にダメ。美青年だから何をしてもいいわけではないの。格好いいから受け入れなければいけないわけでもないの。ダメなものはダメ、嫌なものは嫌、怖いものは怖いの」
サリタの言葉に、女官たちは顔を見合わせる。そうしてやはり「そうは言っても」と納得していない表情を浮かべている。
理解してもらえない、ということは絶望そのものだ。ここには絶望しかない。サリタは溜め息をつく。
「私、エドガルド副神官長とか聖騎士のレグロが好みなのよ」
「えっ?」
女官の一人が声を上げる。サリタは彼女の顔を見て、頷く。
「そうよ。ソラナのお父上のことよ。聖女宮の警護をしてくれていた、レグロのことが好きだったのよ」
女官たちは「あぁ……」とそれぞれが呟く。サリタの結婚相手も高齢だった。レグロも定年を迎えて先日引退したばかりだ。つまり、サリタが好きなのは。
「失礼ながら……サリィは、その」
「私は、筋肉質な、おじさまが好きなの! 深く刻まれた皺も、乾いた皮膚も、後退した頭髪も、白髪も、大好きなの! だから、同年代の男にも年下の男にも、全く興味がないの!」
女官たちはようやく納得したような表情を浮かべる。サリタは顔を真っ赤にしている。まさかここで自分の嗜好――かなりの年上好きを話さなければならないとは思わなかったのだ。
「……わかりました、サリィ。勇者様があなたの好みではないということが、よくわかりました」
「ドロレス、ありがとう。わかってくれるのね!」
これでもう女官たちから「勇者様と結婚なさいませ」などという言葉を聞かなくてすむ、とサリタは喜ぶ。
「しかし……あの状態の勇者様を回復させられるのは、あなただけなのです。あのまま勇者様を聖女宮から出したら、いずれ死んでしまうでしょう」
ドロレスの言葉に、サリタは逃げ出したくて仕方がなくなる。絶対に見つからないとフィデルは豪語していたが、まさか女官たちが裏切るとは思っていなかっただろう。
「ここは、国のため、民のために、サリィの力を貸してもらえないでしょうか」
「お断りいたします」
「サリィ、お願いよ」
「お願い。ラグナベルデのためよ」
再度「お断りいたします」と言おうとした瞬間だ。ソラナが慌てて声を張り上げた。
「お、お父様は独身です……!」
眼鏡の奥の、サリタの紺青の瞳がギラリと光る。
「サリタ様の結婚と同じ時期に、母が亡くなりました……父は、独身です」
「つまり?」
「勇者様を元気にしていただけるのでしたら、その、父にサリ、サリィを紹介してあげられるかもしれません! いえ、紹介します! 再婚相手として!」
ソラナの言葉に、サリタは躊躇なく「やりましょう」と応じる。レグロは「筋肉質なおじさま」というサリタの好みのど真ん中だ。やる気に満ちたサリタは、満面の笑みで「小神殿でしたね?」と廊下をずんずん歩いていく。
ドロレスをはじめ、女官たちは顔を見合わせて喜び、そうして、知りうる限りの「独り身の筋肉質なおじさま」を挙げ始めた。サリタのエサになるような人を選んでおくことが、この先も必要になると女官たちは知っているのだ。
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