第13話「……まぁ、絶対に会いたくないんだけど」
信徒が神殿や教会で聖母神への祈りを捧げるのが聖母会だ。一日中、本部の聖母神殿では祈りの言葉が響いている。信徒は自由に祈り、去っていく。賛美歌の一節だけを口ずさむ信徒も、朝から晩まで無言で目を閉じる信徒もおり、様々な祈りの形がある。地方の神殿や教会でも同じ光景が続いているはずだ。
だから、女官や聖騎士たちも、交代で神殿に向かい、祈りが終われば戻ってくる。
ラウラは宣言通り聖女宮の居室で過ごしている。彼女が昨晩食べた果実の残りが並べられているテーブルを見て、サリタは唸る。
「苺とオレンジと林檎と梨……」
見るからに怪しいものはない。飲んだという果実水にもおかしなものはない。ならば、やはり別のものなのだろう。
「他に召し上がったものはありますか? 毎日、食べているものや飲んでいるものなど」
「あ、あるよ! お父様からもらった飴!」
ラウラは寝室から真っ黒な小瓶を持ってくる。サリタは思わず悲鳴を上げそうになったが、努めて冷静に説明を求める。
「それは、お父上から?」
「そう。わたしの体調が悪いことを知って、お父様が偉い人からもらってきた飴なんだって。お薬みたいなものなの。だから、毎晩舐めているんだよ」
「……これだわ」
特殊な瓶なのか、嫌な感じが全くしなかった。だが、目の前に置くとものすごく気持ちが悪い。祓いたくて祓いたくて仕方がない。
「……ラウラ様は、これを見ても何も感じませんか?」
「え? 何も? 美味しそうだなとは思うけど」
「預かってもいいですか? 体調が悪いときは、私が虫を取って差し上げますから」
「えぇ……その飴、好きなんだけどなぁ」
「ラウラ様、少し大事なことをお話しいたします」
ドロレスや女官たちから聞いているであろうことを、再度サリタの口から説明する。
飲食をする際は、必ずサリタに口に入れても大丈夫かどうかを尋ねること。もらった飲食物は勝手に食べないこと。もちろん、拾い食いはしないこと。
「お父様とか、偉い人からの差し入れも?」
「そうですね。大人にとっては美味しいものでも、ラウラ様の小さな体には毒であることもあるのです。例えば、果実酒がそうですよね? お酒は未成人の子どもが飲んではいけないものと定められています。子どもの体には合わないものだからです」
「そっかぁ……」
「でも、私が確認したものならば、口にしていただいて構いません。ラウラ様でも美味しく食べられるはずのものですから」
サリタの言葉に、ラウラは素直に頷く。すべてがダメだというわけではないのだ。内緒で食べなければ構わない、というだけなのだ。
「わかった。ちゃんとサリィに確認するね」
「お願いいたします」
サリタは小瓶を女官服の腰ポケットに隠す。隠すが、ゾワゾワと嫌な気分になる。小神殿の中で、祈って、歌って、祓ってしまいたい。そんな気分だ。
しかし、これが何なのかはっきりするまでは祓うことができない。祓う前にフィデルにも報告しなければならない。
「十日もこれを持っていなければならないなんて」
サリタはうなだれる。部屋に置いておくと誰かに取られてしまうかもしれないし、誰かに悪影響が及ぶかもしれない。気持ちが悪いが、フィデルに報告するまでは自分で持っておくのが一番安全だ。うっかり祓ってしまわないように気をつけなければならない。
だが、聖女宮内の小神殿で祈りを捧げただけでは、同じ敷地内にあった小瓶の中の『瘴気の澱』のようなものは祓えなかったようだ。やはり、瓶に何らかの細工がしてあるのだろうとサリタは考える。
「それにしても……」
小瓶の中身が気になって仕方ない。ラウラは飴玉だと言うが、『瘴気の澱』はほぼ気体だ。昏い靄だ。稀に泥のような液体が見つかることはあるが、固体になったものは見たことがない。
触れた瞬間に死んでしまうため、『瘴気の澱』を閉じ込めた飴玉のようなものは人の手では作れないはずだ。そんな技術は聞いたことがない。しかし、『瘴気の澱』を飴玉に練り込む技術があるとしたら、致死性の高い毒を生み出すことになる。死なない程度に体を蝕むくらいの弱い毒に変化させることも、できるかもしれない。
その技術を知っている可能性があるとしたら、同業者だろう。ラグナベルデ王国の勇者エリアスか、他国の勇者・聖女。
「エリアスなら知っているかしら?」
サリタと違い、現場で一番『瘴気の澱』を見て祓っているのはエリアスだ。この小瓶の中身がどのような手法で作られたものなのか、誰が作ったものなのか、知っているかもしれない。
「……まぁ、絶対に会いたくないんだけど」
絶対に会いたくないのだが、話は聞きたい。矛盾した気持ちであることを、サリタは知っている。だからこそ、その選択肢は頭からすっかり消してしまう。
「やっぱりフィデルを待つしかないわね」
早くフィデルが帰ってきますように、などと今まで一度も願ったことはない。今日は会いませんように、と聖女をしていたときに祈ることはあったとしても、早く会いたいなんて思ったことがなかった。
サリタは溜め息をつく。情報が少なすぎてどうしようもない。一番頼りたくない男たちに頼らざるを得ない。そんな自分が不甲斐なくて仕方ないのだ。
シャンシャンと、来客を告げる鈴の音が聞こえたのは、ラウラが昼食を食べ終えたときだ。聖母会のあとにラウラの父親カルド伯爵がやって来たのかと思い、女官たちは溜め息をついた。カルド伯爵の相手をするのは疲れるのだ。
しかし、扉へ向かった女官が慌てた様子で戻ってくる。ドロレスとサリタとラウラの顔を見比べて、「どうしましょう」とうろたえる。
「どなたですか?」
「ゆ、勇者様です」
女官の言葉に、ラウラは喜び、ドロレスは驚き、サリタは硬直した。
「聖女様に、ぜひお会いしたいと」
「わたしも会いたい! ねぇ、ドロレス、いいでしょう?」
「それはもちろん構いませんが……サリィ、ちょっと」
サリタはドロレスに続き、居室を出る。
サリタが聖女だった頃は、エリアスとは神殿内で会っていた。彼を聖女宮に入れたことはない。ラウラもそうするのだと思っていたが、ドロレスからは思いがけない言葉が続く。
「本来、勇者様は聖女宮に入ることができないのですが、ラウラ様の体調が悪いため、特例で許可が出ております」
「え」
「勇者様に会いたくないのであれば、部屋に戻るか、隠れるなどしておいたほうがいいかと……」
ドロレスの助言に、サリタは一も二もなく頷く。
「一応、ラウラ様の居室だけを行き来していただくようにはしておりますが、何しろ、行動の読めない勇者様ですので」
「わかってる。わかっているわ。ドロレス、ありがとう。すぐに隠れるわ」
サリタは大慌てで自分の部屋に戻ることにする。小神殿だと見つかりそうな気がしたからだ。ラウラがうっかり「サリィ」という名前を口にしてしまわないように祈りながら、サリタは女官たちの控室の前を通り、衣装部屋の前を通り、納戸に寝台を入れただけの部屋へと戻る。鍵がないため、扉のノブをしっかりと持ったまま、嵐が過ぎ去るのを待つだけだ。
どうか、エリアスに見つかりませんように。サリタの望みは、今、それだけであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます