第12話「わたし、勇者様のお嫁さんになりたいんだぁ」

「ラウラ様、今日の体調はどうですか?」

「うん……ちょっとしんどい、かなぁ」


 朝。見ると、また背中に昏い痣が現れている。サリタはまたラウラを抱きしめ、痣を消す。『瘴気の澱』だとははっきり明言できないものだが、人体に害のあるものに間違いない。

「サリィすごい! 元気になったよ!」とラウラは無邪気に笑う。サリタは複雑な気分だ。誰がいたいけな聖女にこんな仕打ちをしているのか考えると、腹も立ってくる。


「ラウラ様は昨夜の食事のあと、こちらで何か召し上がりましたか?」

「うぅんと、果物をいくつか食べたよ。苺と、オレンジと、林檎と」

「随分召し上がられましたね……果物がお好きなのですか?」

「うん、大好き!」


 やはりこれは口に入るものすべてを管理する必要がありそうだ、とサリタは考える。

 サリタは聖女宮内の一部屋を借り、住み込みで働いている。ここに通って来ている女官と違い、長くラウラのそばにいられるからこそ、起きている間の飲食物の確認ができる。「今夜からは眠るまでラウラ様のそばにいますよ」と微笑むと、ラウラは嬉しそうに手を叩く。

 しかし、どういうものがあの痣を出現させるのだろう。見ただけでわかるだろうか。サリタは唸る。


「そういえば、モータはどこにいるのですか?」

「モータ?」

「はい。聖獣……のはずですが、ラウラ様の聖獣ではないのですか?」


 ラウラはきょとんとしている。


「わたしの聖獣はビリーだよ」

「ビリー?」

「そう。気まぐれで、いつもどこにいるのかわからないんだぁ」

「へぇ……今度紹介してくださいね」


 左腕のアンギスを撫で、サリタは微笑む。聖獣は聖母神が国に与えたものであるため、常に聖女や勇者のそばにいるわけではない。国中に存在しており、聖女や勇者と主従関係にならない聖獣もいる。

 だから、ラウラのそばに聖獣がいなくても特に気にすることではない。


「ねぇ、サリィ。今日の聖母会、わたしも行かなきゃダメかな?」

「ラウラ様は今までどうなさっていたのですか?」

「体調が悪いときは行けなくて……ずっと寝室にいたの」


 ゼロのつく日は神殿や教会に信徒が集まり、聖母に祈りを捧げる会がある。それが聖母会。月の最終日、三十日だけは大聖母会と名前を変え、信徒の多くが王都の聖母神殿・各地の神殿に集まる日となっている。今日は二十日のため、地方の各神殿・各教会に集まる信徒が多い日だ。

 とは言っても、聖母会に聖女は必要ない。ずっと神殿にいなければならないという決まりはない。サリタも、気分で参加・不参加を決めていた。


「どちらでもいいですよ。ラウラ様はどうなさりたいですか?」

「……行きたくない、かな。緊張するし、人がいっぱいいるところが苦手なの」

「では、私と一緒に過ごしましょう。ドロレス様にも伝えておきますね」


 ラウラはパァと目を輝かせて笑う。体が弱く、出席できないことを負い目に感じていたようだ。サリタも聖女宮からはなるべく出ないように心がけているため、利は一致する。


「でも、大聖母会には勇者様も来てくれるから、体調が悪くても頑張るんだぁ」

「……ラウラ様は勇者様のことがお好きなのですね」

「もちろん! 格好いいし、優しいし、気持ち悪い虫を取ってくれるし! わたし、勇者様のことが大好きだよ」


 十日後にある大聖母会には絶対に神殿に行かないでおこう、とサリタは決意する。そのときだけはラウラのことをドロレスに任せておこう、と。


「わたし、勇者様のお嫁さんになりたいんだぁ」


 無邪気に笑うラウラを見て、サリタは少し複雑な思いを抱く。もちろん、エリアスがラウラに取られてしまう、というような嫉妬心ではない。


「……苦労なさらない相手のほうが良いと思うのですが」


 支度部屋から居室へ向かうラウラを見下ろし、サリタは彼女の未来を憂う。束縛の激しすぎる男と一緒になると苦労するのではないかしら、という言葉はもちろん飲み込んで。




 ラウラの背中の痣や飲食物に関することをフィデルに相談しようとして、ドロレスに副神官長の所在を尋ねると、思いもよらぬ答えが返ってきた。


「フィデル副神官長なら、ロッソトリア王国へ向かわれましたよ」

「……え?  大陸の端から端じゃないですか。何日かかるんですか? 遠くありませんか?」

「副神官長になると他国の聖教会本部直通の『道』が使えるようになりますからね。行き来は簡単にできます。フィデル副神官長は月の半分以上は他国にいらっしゃいますよ」


 そんなの聞いてない、とサリタは驚く。サリタが聖女だった頃のエドガルド副神官長はずっと神殿にいて、『瘴気の澱』の報告をまとめたり神官たちの管理をしていた。フィデルのように他国へ出張をしているところなどほとんど見たことがない。

 だからこそ、副神官長室に頻繁に出入りをして、彼の仕事を手伝ったり、「いつか私と結婚して!」などと話したりしていたのだ。ラウラがエリアスに抱くような感情を、サリタはエドガルドに抱いていた。懐かしい話だ。


「大聖母会の頃には戻っていらっしゃるのではないでしょうか。新年の直前ですから。もっとも、大聖母会は六国大陸共通なので、もしかしたらロッソトリアか別の国で参加なさるかもしれませんが」

「そう……残念ですね」


 サリタが落胆しているのがどう見えたのか、ラウラは食事を摂りながら「サリィはフィデルのことが好きなの?」と尋ねる。ドロレスをはじめ、その場にいた女官たちは皆曖昧な笑みを浮かべる。サリタが勇者エリアスから熱烈な求婚を受けていたことを、皆が知っているのだ。


「まさか。フィデル副神官長は……上官ですから」

「じょうかん? あ、でも、聖職者と違って、神官は結婚できないんだよね?」

「はい。神官は、聖母神にお仕えする者、ですからね」

「サリィがどれだけフィデルのことが好きでも、結婚できないとつらいよねぇ」


 ラウラはオレンジトマトのスープを飲みながら、うんうんと頷いている。まるで、結婚できないのがつらい、と誰かから教わったかのような物言いだ。


「勇者様もね、前に言っていたんだよ。すっごい好きな人がいるのに、その人、結婚してくれないんだって。何百回も言ってもダメだったんだって」


 事情を知る女官たちは笑いをこらえるのに必死である。


「だから、すっごいつらいんだって言ってた。でも、諦めないんだって。わたしなら勇者様と結婚してあげるんだから、諦めればいいのにね。あ、サリィもすっごいつらい?」


 ラウラの無邪気な問いに、サリタは微笑みを浮かべている。何の感情もない微笑みを。


「私は平気です」

「そっかぁ。サリィすごいね。わたしは勇者様と結婚できなかったらつらいって思うのかなぁ?」

「大丈夫ですよ、ラウラ様。男は勇者だけではありません」

「そう? 格好良くて優しくて、変な虫を取ってくれる人、他にもいるかなぁ?」


「格好良くて優しい人なら溢れるほどにおりますよ」とサリタは微笑む。ラウラの無垢な心を守ってあげたいと思うが、エリアスだけはやめておいたほうがいいと忠告したい気持ちもある。

 しかし、私も早く結婚したいです、と微笑むだけにとどめておくサリタであった。



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