第11話「外は寒いものね。相変わらずここが好きなの?」

「モータ? モータ、どこ?」


 調子が良くなった聖女ラウラは、久しぶりに勉強をすることにしたそうだ。その間、サリタは聖女宮を歩き回り、聖獣モータを探している。しかし、モータの姿はない。少年の姿ではなく、本来の獣の姿に戻ったのかもしれない、と庭の茂みや花壇などを見てみるが、やはりいない。本来の姿がどういうものなのかもわからないため、闇雲に探すしかない。サリタは半ば諦め、鼻歌を歌いながらモータを探す。


「あら?」


 サリタは庭木の中にキラリと輝くものを見つける。細くて長い、金色のヘビ。サリタは嬉しそうにヘビの名を呼ぶ。


「アンギス? アンギスじゃない?」


 サリタの声に、眠そうな頭をもたげてヘビが動く。赤い瞳の金色のヘビは、サリタが差し出した左手のひらに乗り、その腕に巻きつく。一年半前まで、そうしていたように。


「外は寒いものね。相変わらずここが好きなの?」


 聖獣アンギスはサリタの腕輪に擬態すると、そのまま眠る。サリタが聖女であったときも、滅多に起きることはなかった。アンギスの頭を撫で、サリタは微笑む。十五年も一緒にいた聖獣だ。やはり愛着は残っている上、小さな重さがしっくりする。

 サリタはそのままモータを探し回ったが、結局見つからなかった。ラウラの近くにいるのかもしれないと考えて聖女宮に戻ろうとして、シャンシャンと鳴る来客を告げる鈴の音と、その声に気づく。


「ええい、娘に会わせろと言っておるだろう!」

「困ります、ラウラ様はお勉強中でございます!」


 一般信徒が自由に入ることができる神殿と、関係者以外立入禁止の聖女宮の間には、大きな壁と扉がある。聖女宮には鍵を持っている者しか入ることができないのだが、聖女の父親が女官を脅して侵入しようとしたらしい。

 サリタは慌てて加勢に向かう。扉の前には聖女宮を守る扉番聖騎士がいるのだが、聖女の父親相手に強くは出られないものだ。


「……カルド伯爵。ラウラ様は勉学に励まれておられます。親族とはいえ、聖女宮への立ち入りは禁じられているはず。お引き取り願います」


 ラウラの父親は、開いた扉に体を半分ねじ込んだ状態だ。サリタはいつかのエリアスを思い出す。「男って皆バカなのかしら」と溜め息をつきたくもなる。

 女官長であるドロレスが毅然とした態度でラウラの父親を睨むも、そのカルド伯爵は負けていない。


「娘は体調が悪いだろう! だから、毎日、この果実水を飲ませるんだ! 私が! 今すぐに!」

「お引き取りを」

「ラウラは苺の果実水が!」

「カルド伯爵、お引き取り願います」


 ドロレスの迫力に負けじと怒鳴っているカルド伯爵に近づき、サリタは彼が持つ果実水の瓶をするりと受け取る。知り合いかもしれない扉番聖騎士からは見えないように。


「では、我々女官が責任をもってラウラ様に飲ませておきましょう。お父上の手を煩わせるほどのことではございませんもの」


 突然現れた女官にカルド伯爵は一瞬怯むものの、ドロレスよりは話がわかると判断したのか、態度は軟化する。


「ん? あ、ああ、飲ませてくれるなら、まぁ、そうだな……本当は顔を見たいのだが」

「ええ、ラウラ様の顔をひと目見ておきたいお気持ち、心配するお気持ち、よぉくわかります。けれど、ご心配なさらずとも、十一歳のラウラ様はお父上の期待通り、しっかりお務めされておられます」

「そ、そうか」

「聖女宮は祈りを捧げる場所。大好きなお父上の顔を見てしまったら、幼いラウラ様は気もそぞろになってしまうことでしょう。お父上もここはどうかお控えくださいませ」


 サリタがにっこりと微笑む。カルド伯爵は「いやしかし」などと口籠りながらも、強くは出てこない。サリタが彼の手を軽く握り、手の甲を撫で回しているからだ。伯爵の顔は真っ赤である。

 ドロレスも「カルド伯爵がいらっしゃったこと、ラウラ様もきっと心強く思われることでしょう」とサリタの対応に同調する。


「何かお伝えしたいことがございましたら、ぜひ、手紙を書いてくださいませ。お父上の手紙ですもの、きっとラウラ様もお喜びになりますよ」

「ラウラも? そ、そうか、手紙か」

「はい。手紙だと私たちが伝達するよりも正確にラウラ様に伝わりますもの。ラウラ様は幸せでございますね、お父上が気にかけてくださるのですから」


 カルド伯爵は鼻の下を伸ばし、少し照れた様子で神殿へと戻っていく。見送ったあと、ドロレスを見やると、額に指をやりながら溜め息をついていた。


「ありがとうございます、サリィ。あれしきのこと、女官があしらわなければならないというのに」

「構いませんよ。ああいった可愛いおじさまの対応には慣れておりますし、私も女官の一人ですので」

「可愛い……?」


 聖母神に祈ったあとは、毎日のように神殿に出かけていたためか、信徒の話を聞くことも、困った年長者のあしらい方も心得ているサリタだ。地方領のカルド伯爵とは会ったことがないので強気に出られた。先代聖女と懇意にしていた信徒が相手なら、絶対に見つかってはならないと心得ている。

「それにしても」とサリタは呟く。


「カルド伯爵はずっとあの調子なのですか?」

「ええ、一年半、ずっとああです」

「ラウラ様の体調を心配する気持ちはわかりますが、私たちを信用して、少し控えてもらわないと」


 サリタの両親は、彼女が聖女になる前に亡くなった。両親は毎日サリタを抱きしめ愛を説いたが、「ずっとお前を愛しているよ」という約束は守られなかった。まだ両親が健在だったらあんなふうに心配してくれただろうか、と想像しようとして、やめる。いない人を想っても虚しいだけだ。

 サリタは受け取った果実水の瓶を日の光に透かしてみる。小さな粒が動いているが、苺の果肉だろう。『瘴気の澱』に繋がりそうな悪いものではない。


「やっぱり、食事かしら」


 そう呟いて、サリタはラウラのもとへと向かうのだった。




 聖女宮の敷地内には小さな神殿がある。聖母神を模した青色大理石の球体と、椅子や机があるだけの簡素な小神殿で、サリタは引退するまでここで祈りを捧げていた。しかし、体が弱いラウラは小神殿を使わず、寝室で祈ることが多いという。

 サリタは掃除をしながら、適当な歌を歌い、祈る。国や民のために『瘴気の澱』を祓う。引退した聖女の力がどこまで通用するのかわからないが、祓いすぎてエリアスに感づかれるのだけは避けたい。


 ラウラの食事に悪いものは含まれていなかった。あの痣が何なのか、どうして浮かび上がるのか、サリタにはわからない。ただ、祓うことができるものだ、ということだけはわかっている。見つけ次第、祓ってしまえばいいだけだ。


「でも、根本的な解決にはならないわね」


 あの痣の原因がわからない限り、ラウラの調子が良くなることはないだろう。原因を見つけ、ラウラを救うのだ。サリタは使命に燃える。


「ラウラ様を健康にすれば、早く再婚できる……! 早くエリアスから逃げられる! 早く幸せが訪れる!」


 サリタの頭の中にはそれしかない。

 ベルトランとの結婚は間違いではなかった。深い愛はなかったのかもしれないが、穏やかな時間が流れる幸せな半年間だった。あの日々をもう一度、誰かと過ごしてみたい。それがサリタの望みだ。

 もちろん、その「誰か」にエリアスは含まれていない。そんな未来は夢見たことがない。ただの一度でさえ。



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