第9話「これは、当分結婚できそうにないわね、私」
「では、本日から聖女様の相談役という形で、このサリィが聖女宮に入ります。基本的には聖女様の支援を行なうようになりますが、一女官としての働きにも期待します」
副神官長フィデルからそう紹介され、新品の女官服を来たサリタは彼を睨む。聖女の相手も女官の仕事もしろ、ということだ。慣れた場所で働ける上、勇者が来る心配がないのだから、仕事量が増えることに文句を言うことはできない。
「聖女宮で見聞きしたことは他言無用。わかっていますね? 彼女は『サリィ』です。間違えないように。決して『様』などをつけないように」
染粉で焦げ茶色に髪を染め、眼鏡をかけたサリタが「よろしくお願いいたします」と頭を下げると、顔見知りばかりの女官たちからは拍手が起こる。涙を浮かべている者もいる。一年半の間で、新しい女官は増えていないようだ。説明の手間が省ける。
聖女宮で働く者の口は堅く、聡い。そうでなければ女官にはなれない。先代聖女サリタが「聖女の相談役」という職で戻ってきたことを、それぞれが何となく理解した。
「ドロレス、聖女様の様子はどう? ですか?」
「サリィ、案内します。こちらに」
聖女宮の女官長ドロレスがサリタの前を歩く。サリタが去ってから、聖女宮はあちこちが改修されている。だが、基本的にはサリタが住んでいた頃と同じだ。懐かしい気分になる。
「聖女様……ラウラ様は、体調が優れない日々が多く、寝たきりで過ごしてばかりです。先代様のように、神殿で信者と話しをするというようなことは、一切できておりません」
「それは心配ね、心配ですね」
「ふふ。二人きりのときは言い直さなくても構いませんのに」
ドロレスはサリタの前の聖女から、聖女宮にいる女官だ。サリタの状況――夫と死別し、勇者から熱烈に求婚されていることも知っている。
「ごめんなさい。まだ女官言葉には慣れないわ」
「じき、慣れますよ」
「そうだといいけれど……ねぇ、窯はまだ残っているかしら?」
「ええ、もちろん。また存分に菓子を焼いてくださいませ」
聖女の居室の前にたどり着く。ここが聖女の生活の場だ。広い居室があり、隣に支度部屋、その奥に寝室がある。岩風呂もある。間取りはサリタがいた頃から変わらない。
居室の窓を開け、ドロレスに続いて寝室へと向かう。大きな
「可愛い……」
「先代様も同じでしたよ」
「あら。ドロレスったらそんなふうに私のことを見てくれていたの?」
「聖女様は皆、娘みたいなものですよ」
窓を開けると、寝台の中にいた少女が身じろぎする。ドロレスが優しく「ラウラ様、朝ですよ」と揺り起こす。幼かった頃は毎朝ドロレスから大声で「朝ですよ! 起きなさい!」と起こされていたサリタは、若干衝撃を受けている。「私もそうやって起こしてくれたら良かったのに」という呟きを、ドロレスは無視する。
「おはよぉ、ドロレス」
体を起こしたラウラは、初対面のサリタを見てきょとんとしている。聖女の引き継ぎなどはないため、ラウラは先代聖女の顔を知らない。それはサリタにとっては都合のいいことだ。
寝台の縁まで近づいて、サリタは幼い聖女に微笑みかける。
「初めまして、ラウラ様。私はサリィ。今日から女官としてここで働きます。よろしくお願いいたします」
「はぁい、よろしく」
「ラウラ様、今日のお加減はどうですか?」
「今日は大丈夫みたい。ほら、歩けるよ」
寝台から降りてぴょんぴょんと跳ねるラウラを見て、ドロレスは「ようございました」と涙ぐんでいる。娘ではなく孫を見ているかのようだ。
サリタは、窓の近くに立ったラウラの体に、一瞬だけ靄がかかったような気がして目を凝らす。服に隠れていてわかりづらいものの、やはりモヤモヤしたものが体から漏れ出ているように見える。
「……ドロレス様、ラウラ様の着替えを手伝います」
「大丈夫だよ、サリィ。わたし、一人で着替えられるもん」
「では、見守ります」
ドロレスが準備した服を着るために、ラウラが寝間着を脱いだときだ。彼女の背中に、昏い痣が浮かんでいるのが見えた。
「ドロレス、ラウラ様の背中に……!」
「背中?」
「見えて、ない?」
「えっ、なに? なに? また虫がついてる? この間、勇者様にも取ってもらったのにぃ!」
勇者様に取ってもらった虫――サリタはその言葉ですべてを理解する。ドロレスには一旦寝室から出てもらって、ラウラを椅子に座らせる。
「ラウラ様、私も虫を取ることができるので、ちょっとおとなしくしていてくださいね」
「うん、わかった」
か細いラウラを抱きしめて、サリタは祈る。『瘴気の澱』が消えるように、ラウラの中から追い出せるように、祈りを捧げる。
「ふふ。あったかぁい」
ふわりと風が吹いたあと、ラウラの背中を確認すると、綺麗さっぱりと痣が消えている。「やっぱり」とサリタは呟き、ラウラに服を手渡す。
「はい、大丈夫ですよ。気分はどうですか?」
「わぁ! 勇者様に虫を取ってもらったときと同じ! 体が軽いよ!」
「では、今後もしんどくなったとき……そうですね、毎朝、虫を取り除いてあげますからね」
「ありがとう、サリィ!」
モータが「助けてあげて」と言っていたのは、おそらくラウラのことなのだろう。なぜか、『瘴気の澱』に近いものに蝕まれている、聖女。祓う力が弱いというのも本当のことだ。自分の中のものでさえ祓えないのだから。フィデルが心配するのも無理はない。
「これは、当分結婚できそうにないわね、私」
聖女が本領を発揮できるようになるのは、いつになるかわからない。十年かかるかもしれないし、ラウラが結婚するほうが先になるかもしれない。
「困ったわね」
そう言いながらも、サリタは微笑んでいる。自分の力にも使い道があった。力を失わなくて良かったと、心底喜んだのだ。
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