神崎ひかげVS街の不良VSモンゴリアン・デスワーム ゴビ砂漠のならず者

武州人也

地上の暴れん坊VS地中の暴れん坊

 ある草むらの上で、アオダイショウとイタチが一対一で向かい合っていた。アオダイショウは食われまいととぐろを巻き、首をSの字に曲げながらしゅーっと噴気音を出して威嚇している。対するイタチの方もすっかり捕食体勢に入っており、牙をむき出しにして今にも飛びかかろうとしている。

 イタチとアオダイショウ。食う者と食われる者との対峙……それは、突然の地鳴りによって中断された。

 両者の立つ地面が、急にぐらぐらと揺れ出した。ヘビはとぐろと解き、一目散に逃げ出した。イタチは獲物を逃すまいと、それを追いかけようとする――


 どしんという音と共に、はイタチの足元から現れた。細長い体を持つ地中からの乱入者は、大きな口でイタチを丸呑みにして、そのまま再び地中へと潜っていった。


 後に残ったのは、ただが地面に開けた大穴だけであった。


***


 暖かな春の日の昼下がり。

 さんさんと照る太陽の下を、一人の女が歩いている。油断したラフな格好でありながら、どこか上機嫌な様子であった。

 この女こそ、限界酒乱OL、神崎ひかげである。彼女は先日、商店街のくじ引きでビール券一万円分(実際には10428円分である)を見事当てたのだ。私生活の奥深くにまでアルコールが食い込んでいる神崎にとって、まさに天の恵みともいえる賞品であった。神崎は親友である藤原と一緒に宅飲みする約束をしており、そのための酒を買いに出かけているところであった。


 彼女が目指していたのは、歩いて二十分ほどのところにある酒屋である。普段はその絶妙に行くのが面倒になる距離ゆえにあまり足を運ばないのであるが、この時ばかりは違った。何しろ彼女の財布の中には一万円分のビール券が存在しているのだ。せっかくなら専門の店であれこれと選んでみたいものである。


 もう少しで目的地の酒屋が見えてくる、という所まで来た時、神崎はぴたりと足を止めてしまった。

 左手側にある、白い校舎の壁にびっしりと落書きされている高校。その校門から、ぞろぞろと若い男たちが入っていった。ピアスやら金髪やら特攻服やら、見るからに荒くれ者の不良連中である。合計して三十人、いや四十人ほどはいるだろうか。

 彼らに絡まれたりしたら面倒である。厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ……神崎は校庭に入っていく男たちから死角になる場所に隠れた。彼らが全員中に入っていくまで、じっと蛸壺のように身を潜めて待つつもりであった。

 校庭から聞こえたのは、汚い俗語スラングと無意味な感動詞のみで紡がれる下品な罵倒と挑発の応酬であった。この仲島なかじま高校は偏差値が低く、風紀も乱れており、不良高校と評判であったことを思い出した。きっと、中にいる生徒と、外からやってきたあの者たちとで干戈を交えようというのであろう。


 これが、悲劇の序章にすぎないことを、まだ誰も知らなかった。


***


「オレのオンナに手ぇ出すとは、良い度胸してるじゃねぇか!」


 外からやってきた者たちの中で中央に立っている男が、声を張り上げて叫んだ。周りの取り巻きたちも、そうだそうだと同調していきり立っている。


「ははっ負け犬め、オンナのことでキレてカチコミたぁ情けねぇ」


 仲島高校の不良たちも、校庭に繰り出して来訪者たちと対峙していた。仲島側のリーダーである真ん中の男が、嘲笑交じりにこう返したのであった。

 外からやってきた男たちは、大路おおじ高校の生徒たちであった。こちらも地域では名の知れた不良高校であり、何かと他校生徒との争いが絶えない。

 大路高校が今こうして仲島高校に殴り込みをかけた理由は、言ってしまえば痴情のもつれであった。大路の不良グループのリーダーが懇ろにしていた女を、仲島側のリーダーが寝取ったのである。大路のリーダーはことを知ると嚇怒かくどし、下っ端たちを引き連れて報復に出たということであった。


 双方合わせて八十名以上になる不良生徒たちは、一触即発の状態であった。まるで上官の突撃命令を待つ兵隊の如くに、彼らは武器の鉄パイプやバットを固く握りしめていた。


 双方の緊張が最高潮に達した、まさにその時のことであった。


「ん? 何だこれは」

「地震か!?」


 突然、足元の地面が揺れ、地鳴りが響き出した。地面から響いてくる音は、高速で不良たちに接近している。見えない何者かが、こちらに近づいてきている。先ほどまでの威勢はどこへやら、若き荒くれ者たちはそわそわと不安に駆られ出した。


 そして、は地中から飛び出した。校庭の砂を跳ね飛ばしたそれは、大路のリーダーの足元から現れ、一口でリーダーを呑んでしまった。


「うわぁっ!」

「何だあれ!?」


 地面から姿を現したのは、細長いヒモ状の体をした、まるでミミズをそのまま巨大にしたかのような奇妙な生物であった。その先端部にある口の中には、鋭い牙が円形状に並んで白く光っている。体の一部は地中に埋まっていて分からないが、地上に出ている部分だけでその長さは六、七メートルはある。

 

「化け物だぁ!」

「逃げろぉ!」


 両高校の不良たちは、すぐに恐怖した。彼らは焦燥をその顔に浮かべ、蜘蛛の子を散らすように四散していった。

 赤褐色をしたミミズ状の巨大生物は、体を途中まで地上に出した状態で、まるで砲丸投げのように体をぐるんぐるんと回し始めた。そしてその大きな口から透明な液体をスプレーのように噴霧し、逃げ惑う不良たちに頭上から浴びせたのだ。


「熱い! 熱い!」


 透明な液体を浴びた不良たちの、苦しみ喘ぐ声が校庭に響く。液体を浴びた場所から、彼らの体が溶けだしたのだ。皮膚や筋肉の組織が破壊され溶け出していく際の苦しみを、彼らは「熱い」と表現したのだ。細胞が破壊されるという点では火傷と相違ないゆえに、感じ方が似ているであろう。


「クソッ! こうなりゃ大路魂見せてやる!」

「ミミズ如きが生意気なんだよ!」


 中には、逃げきれないことを悟って攻撃に転じる不良たちもいた。鉄パイプやバットを担ぎながら、剽悍ひょうかんな乱暴者たちが巨大ミミズに向かって突進していく。

 だが、その彼らも、毒液の餌食となった。この巨大ミミズに攻撃を届かせた者は一人としてなかった。


「おい、マサシのバイクあったろ!」

「そうだ! バイク!」

「オレのもある! こうなりゃ三ケツで逃げるしかねぇ!」


 大路高校の不良たちはほぼ全員液体を浴びて地面を転げていたが、仲島の方はリーダー含む数名が無事に逃れていた。彼らはバイクを停めてある場所に向かって必死に走っていたのであった。

 巨大ミミズはずるりと地面から這い出し、全身を太陽の下に晒した。ミミズはヘビのように地面を這い、バイクを目指す不良たちを追いかけ出した。


「こっち来るぞ!」

「早く、バイク!」


 彼らは背後から迫りくる巨大ミミズに怯えながら、一心不乱に駆けていた。そうしてバイクの所までたどり着いた彼らは、キーを取り出してバイクに差し込んだ。

 その時、突如、バチィ、という音が鳴った。


「え、何だ……?」

「嫌な予感……」


 それが、彼らの最期の言葉となった。バイクは不良たちを巻き込み、大爆発を起こしたのだ。


 校庭は、死屍累々の有り様であった。その犯人たる巨大ミミズは、倒れ伏して動かない不良の元へと這いずり、彼らを次々と呑み込んでいった。


***


 モンゴリアン・デスワーム。それが、不良たちを襲った巨大生物の正体である。


 この奇っ怪な巨大ミミズは、最近ゴビ砂漠で発見された新種のミミズである。長らく「ゴビ砂漠には毒液を吐き、電気ショック攻撃を行う大型の殺人ミミズが生息している」とその存在が噂されてきたものの、発見と捕獲までには長い年月を要した。それもそのはず、この生物は人のあまり住まない、極端に過酷な環境で暮らしていたからだ。

 捕獲される前のデスワームにはトカゲ説やヘビ説などがあったが、捕獲された個体が調べられると、この種は環形動物門の貧毛綱という分類に収められた。つまりミミズの一種だったということである。

 ミミズとしては規格外の体格を持つこのモンゴリアン・デスワームは、生息地におけるトップ・プレデター(頂点捕食者)である。成体となれば全長七メートルを超えるこのミミズは、その巨体を維持するために多くの餌を必要とする。しかし、彼らの住む荒涼としたゴビ砂漠には餌となる生物が少ない。ゆえに彼らは、捕食のチャンスを絶対に逃さないのだ。

 獲物と出会った彼らは、毒液をスプレー状に噴射する。この毒液は組織を破壊する毒成分が含まれており、獲物を殺傷するだけでなく消化を助ける働きもある。その後、デスワームは獲物をその大きな口で呑み込む。彼らは餌のない時期を耐え忍ぶために、夏から秋にかけて食い溜めを行う。そうしてゴビ砂漠の過酷な冬をじっと耐えるのだ。

 獲物となる動物はラクダなどの大型哺乳類である。時にはヒグマやユキヒョウなどの強力な捕食動物をさえ餌にすることもある。当然ながら、人間だって例外ではない。

 餌を多く必要とする頂点捕食者が餌の少ない環境に生息していることから、その生息密度は決して高くない。そのことも、発見が遅れる原因ともなった。


***


 モンゴリアン・デスワームによる大虐殺、その一部始終を、神崎は見ていた。


「まずいまずい! 警察に言わなきゃ!」


 神崎はスマートフォンをズボンのポケットから取り出し、110番を押した。


 しかし、電話は通じなかった。何度やっても駄目であった。どうやら電波が届いていないようで、スマホを再起動しても通信できない。


「え、何で?」


 神崎には知る由もなかったが、実はこれはモンゴリアン・デスワームのせいであった。

 デスワームのもう一つの武器に、電気ショックというものがある。彼らは水を飲みに来る動物を捕食するために、水場で待ち伏せすることがあるのだが、そういった時、彼らはまるでデンキウナギのように体から電気ショックを発して獲物を気絶させるのだ。彼らデスワームが持つ、食事のチャンスを絶対に逃さないための第二の矢である。

 先ほどバイクが爆発したのも、この電気ショック攻撃によるものであった。もっとも、バイクが爆発しなかったとしても、バイクの近くにいた不良たちは確実に感電していたため、そのまま捕食されていたであろう。

 神崎のスマホが発信できなかったのも、デスワームの電気ショックによるものであった。デスワームが電気ショック攻撃を行うと、その周囲で電波障害が発生してしまうのだ。


 ――このままでは、まずい。


 あの生き物を放置しては、もっと被害が発生するかも知れない。それに、今日は藤原が自分の所に来るのだ。このままでは藤原も危険に晒される。彼女に電話して来ないように伝えたいが、生憎スマホは電波障害で使い物にならない。


 ――これはもう、倒すしかない!


 神崎は走って校門をくぐり、例の高校の校庭に出た。奇っ怪な巨大ミミズは、今まさに校庭に転がっている不良たちを捕食している途中であった。砂の地面を這い回る巨大ミミズ、その全長は目測で十メートル以上はあった。南米のアナコンダや東南アジアのアミメニシキヘビに勝るとも劣らない巨躯である。


 デスワームを前にした神崎は懐からスキットルを取り出し、その中身をあおった。この酒乱OLは、いつでもどこでもアルコールが手放せないのである。

 たちまちアルコールが体に染み渡り、酔いが回っていく。この酩酊状態こそ、神崎の戦闘モードであった。赤ら顔のこの女は、拳を固く握り、モンゴル出身の奇っ怪な巨獣と対峙した。

 対するデスワームは、当初こそ神崎を無視し、喉を鳴らして不良たちを呑み込んでいた。だが、神崎の酔いが回った頃になって、ようやくこの巨大ミミズは神崎の方を向いたのである。


 デスワームはキングコブラのように鎌首をもたげ、神崎を見下ろした。そして、その口から、あの毒液を噴霧してきた。

 あれを浴びたら一環の終わりだ……神崎は右側に走り、毒液を回避した。デスワームは神崎が走る方向に首を回しながら、なおも毒液を噴霧し続ける。

 神崎は勢いをつけてフェンスに向かって走り、そのまま駆け上がった。そしてフェンスの上まで登ると、デスワーム目掛けて飛び上がった。


「限界酔拳!」


 「限界酔拳」それは、アルコールが回れば回るほど威力を発揮する彼女の必殺拳である。肝臓へのダメージと引き換えに力をもたらしてくれるものだと言えよう。

 神崎は飛び降りながら拳を振り上げ、落下による位置エネルギーを乗せた一撃をデスワームの頭頂部に叩き込んだ。

 デスワームの方も、その攻撃に反応した。攻撃を躱そうと、その巨体が地面に引っ込み出したのだ。

 神崎の拳には、確かに拳が敵を打ち据える手ごたえがあった。とはいえ、その拳は引っ込んでいる途中のデスワームにかすめただけであった。あれではクリーンヒットとはいえない。


 地面の着地した神崎。彼女は、自分が今危機的な状況に置かれていることを瞬時に悟った。酩酊状態で思考は鈍っているはずなのだが、敵との戦いにおけるある種の嗅覚のようなものは、却って鋭敏になっていた。

 デスワームは、地中に逃げてしまった。次どこに現れるか分からない。ここで地中から奇襲をかけられるのも恐ろしいが、逃亡されて別な場所で暴れられるのも危険である。あの殺人巨獣が人の多い場所で暴れれば、どれほどの人が犠牲になるか知れたものではない。


 神崎は、静かに目を閉じ、すぅーっと深く呼吸した。酩酊状態の彼女は、視覚でも聴覚でも、触覚、嗅覚、味覚のどれでもない所謂「第六感」を研ぎ澄ますことができる。

 地中から感じるわずかな気配。それを、神崎は必死で探った。地中を掘り進むデスワーム、この怪物が次に取る行動は――


 神崎の体に、痺れるような衝撃が走った。それは今までに感じたことのない感覚であった。

 モンゴリアン・デスワームの持つもう一つの武器、電気ショックが神崎に炸裂したのである。回避のしようがない、まさしく反則の武器だ。

 

 神崎は、膝をがっくりと折って、その場に伏せってしまった。その耳には、ごごごごご……という地鳴りが聞こえてくる。その音は、徐々に近づいてきている。

 もう駄目か……死が、毒蛇のように忍び寄ってくる。今まで死にかけたことは何度かあった。その度に生をもぎ取ってここまで生き永らえたが、此度こたびばかりはもうおしまいなのかも知れない……諦めと弱気が、暗い夜のとばりのように神崎の心を覆っていった。

 その時、かさり、という音がした。視界に入ってきたのは、いつの間にやら財布から抜け出たのであろうか、くじ引きの賞品のビール券が風にあおられて、砂煙とともに舞っている様であった。


――負けられない。


 そうだ、今負けたら、藤原が危険に晒されてしまう。生きて、あのミミズを倒して、藤原と宅飲みするんだ――


 その烈心が、神崎の内側で消えかかっていた炎を再び灯らせた。彼女は四肢に鞭打って無理矢理動かし立ち上がった。

 ちょうどその時、神崎の足元がどしんと響いた。砂を散らして、デスワームが足元から飛び出したのだ。


「おっと!」


 神崎は間一髪、自分を食らおうとするデスワームの噛みつきを避けた。そのまま、神崎はデスワームの首に掴まった。

 そのまま、神崎はデスワームの首を抱きかかえるように絞め上げた。ぎりぎりと絞められたデスワームは、必死に首をぶるんぶるんと振るって振りほどこうとするが、それでも神崎は振り落とされることなく締め上げ続けた。物凄い腕力だ。

 この首根っここそが、デスワーム最大の弱点である。首を掴まれてしまえば、相手に噛みつくことも、毒液を噴きかけることもできない。唯一の対抗手段は電気ショックであるが、発電板と呼ばれる筋細胞によって作られた発電器官は尾の部分に密集しており、尾を近づけなければ電流を流せない。


 神崎は締め上げる力をより強めていった。そうしてとうとう、デスワームの体の方が耐えきれなくなった。デスワームの首の表面が裂けていき、白い汁が滲み出した。この頃になると、もうデスワームは力強く体を振り回すことができなくなっていた。


 腕を離す神崎。デスワームはもう事切れており、力なく地面に倒れて横たわった。十メートルを超える巨体は、風に吹かれて砂を浴びていた。


「ああ、ビール券拾わなきゃ……」


 死闘を終えた神崎は、校庭に散らばってしまったビール券をいそいそと拾い始めたのであった。


***


「いやーほんと大変だったよ」

「……あんまり無理しないでねひかげちゃん」

「ふぁ~い……」


 モンゴリアン・デスワームとの死闘を繰り広げた神崎は、その足で酒を買って帰り、藤原を出迎えて宅飲みへと興じたのであった。

 此度の戦いも、藤原には大分心配させてしまった。どうしてか、自分は厄介ごとを引き寄せてしまう体質らしい……神崎はそうした憂慮を酒で吹き飛ばそうと、ぐびりと一杯あおった。


 その後しばらく、ニュースは高校生八十余名を惨殺した凶悪な外来生物であるモンゴリアン・デスワームのことで持ち切りとなった。関係省庁はこの外来生物の移入経路を調べたものの、ゴビ砂漠に生息するはずのモンゴリアン・デスワームがあの場所に出現するまでの経路は不明であった。デスワームは胎生で知られており、加えて生まれたての幼体でも一メートル半を超えるサイズになることから、何かに紛れて運ばれたとするならばその経路は自ずと限られよう。


 デスワームに対する報道が熱を帯びる中、この巨大な外来ミミズを単独で倒した神崎も注目を浴び、各局の記者にさんざん付きまとわれることとなるのだが、それはまた別のお話……


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