第12話 僕先輩が怒るところ
頭の後ろで手を組み、椅子にすわったまま伸びをする。
「先輩、今の国際社会の中で、この国が新型のデスゲームはやれないと思うけど?」
「そうだね。特に生きている人の人権を大事にしようという国連と、敵対でもするつもりが無ければね。国際関係で言うなら、EU加盟国のように死刑制度廃止した国と付き合うには、日本は死刑制度を見直さないといけない。まあ、主義が違うと国交断絶する選択もある」
「鎖国時代に戻るとか? 今後も外国と商売を続けようってなると、あっさり死刑廃止になるかもな」
「他所から突っつかれて、金の為に変えるというのも、くふふ、日本人らしさかな? これで粗方、死刑在廃の問題点は出たかな?」
「で、先輩はどうすればいいと思う?」
「僕かい? 僕は、死刑制度を廃止して終身刑を導入すればいいと思うよ」
「それだと、凶悪な犯罪者は死刑に処せ、と言う人が多そうどけど?」
「実のところ、日本で死刑が廃止にならない理由のひとつは、被害者遺族への援助ができていないという事情もある。何のサポートもできない代わりに、相手を死刑に処したのでこれでいいだろう、とね。逆に被害者遺族のケアにサポートがしっかりできている国ほど、死刑廃止論が盛り上がる。おもしろいよね、助く者は助く、死なす者は死なす、と」
「そうなると日本は死刑廃止論が盛り上がる土壌にはならないか。極刑に処すからいろいろと諦めてくれ、と?」
「ふむ、なぜか死刑を極刑だと考える人が多いよね。終身刑は死刑よりも過酷な極刑だというのに」
「死刑よりも過酷な極刑?」
「そうだよ。死刑が廃止された国の終身刑囚がね、訴えたんだよ。どうか私を死刑にして下さい、とね」
「自分を死刑にしてくれ、とお願いするとはどういうことだ?」
僕先輩は、くふふ、と笑う。まるで人に優しい悪魔みたいだ。可愛い。
「死刑は極刑じゃ無いんだよ。殺さない終身刑は自殺も許さずに囚人を閉じ込める。自分で自分を殺して自分の人生を終わらせることすら許さない。その人に残された最後の自由、己の意思で己を終わらせる為の手段、自殺すら取り上げて、延々と生きる苦しみを味会わせ続けるのが、終身刑なんだ。
閉じ込めて、怪我をしても治してあげる。病気になっても治してあげる。寿命で死ぬまで、ただ生き続けるという苦痛。終身刑とはね、死刑以上の拷問刑なんだ。だから終身刑囚がこうお願いする『どうか私を殺してこの苦しみから解放してください』とね」
生き続けるという拷問か。それでは死刑の方が優しい刑罰にもなってしまう。
生きるという苦痛か。それを言うと、まるでこの世界は巨大な刑場で、誰もが生きる苦しみを味わう為に、この世に生まれてきたのかもしれない。死ぬことでようやくこの世界から釈放される。解放される。それでは死刑が救いにも思えてしまう。死ぬまでそこで苦しみ続けろと。そう考えると、誰もがこの世界という刑務所の終身刑囚のようなものか。
「終身刑が死刑以上の極刑だから、終身刑囚が暴れたり狂ったりといった問題もあるだろうけどね」
「また刑務官の仕事がたいへんになりそうだ」
「だけど、刑務官が死刑執行をするよりは、いいんじゃないかな?」
ちょっと引っ掛かる。僕先輩が死刑廃止論を支持するというのが、俺の知ってる僕先輩らしくない。俺の知ってる僕先輩のマトモさは、そうじゃない。僕先輩が引っ掛かるところとは、そこじゃないだろう。
「どうして先輩は死刑制度に拘る? 死刑廃止の国が増える風潮はあっても、死刑のある国が皆無というわけじゃない。日本に死刑があってもいいだろう?」
「そうだね。日本に死刑があってもいい。あってもいいけれどね」
これまでニヤニヤと楽しげに話していた僕先輩。その笑顔がスッと消える。表情が消える。伸ばした髪で片目を隠した顔、冷たい光を宿すもうひとつの目に睨まれ、ゾクリと背筋に冷たいものが走る。
「僕が死刑制度に興味が湧いて調べてみて、どうにも気にくわないのはね。刑務官に死刑の執行をさせることだ。させ続けていることだ。
罪人を生かして反省させ更正して社会を良くしようという、刑務官とはまるで熱血教師か聖人のようじゃないか。何よりその職務につく人は、誰よりも人を殺したく無いという人だ。殺さずに生かして人を更正させるのが刑務官の本分だ。
そんな人に人を殺せと命じているわけだよ、今の死刑制度は。こんな筋の通らないことは無い」
静かに語りながらも、僕先輩は怒っている。怒っている僕先輩を見て、俺はようやくスッキリする。ああ、それでこそ僕先輩だ。
筋が通らない。理が通らない。そこに怒るのがマトモな僕先輩だ。マトモ過ぎてどこかおかしい僕先輩の考え方だ。筋も理屈も無いことを誤魔化すことが赦せない、常軌を逸する正常さ。歪めることを無視できない、在ってはならないと怒りを覚える。
人を殺したい、という人が人を殺す。これは有り得ることと認める。
人を殺したくない、という人が人を殺さない。これも当然と流す。
殺されたくないという人が、殺人鬼に殺される。これはかわいそうという同情を感じつつも、世にあることだと納得する。殺されたくないと願っても、この世には災害、病気、事故と人を理不尽に殺すものはいくらでもある。
戦争とかテロとか理不尽な暴力の中に放り込まれて、相手を殺さねば生き残れない状況。そこで仕方無く相手を殺してしまう。
そこに巻き込まれた者に哀れと感じても、それは生きる為に他に方法が無かったと認める。
だけど、
人を殺したく無い、と願う人に、人を殺せと命令して、人を殺させる。
これはダメだ。僕先輩には、これほど世にあることを許せないものは無い。だから怒る。それでこそ僕先輩だ。
筋が通らない。理が通らない。何より平和な世の中で、その人を殺さなくても生きていけるというのに。
殺さねばならない、と命じる人がいる。だが、人殺を命じた人が殺さずに手を汚さずにいる。そんな人の命令で人を殺したく無いという人が、人を殺す。
そんな理不尽が、不条理が、在ることを許せない。許せるかと怒る。それが僕先輩だ。それでこそ僕先輩だ。
だけどね、僕先輩。
僕先輩の目の奥の冷めた怒りは変わらぬまま、続きを口にする。
「社会正義の為に死刑が必要というなら、死刑を維持すればいい。だけど、刑務官にその職務の本分から外れる殺人を強制することは、理が通らない。
刑務官は人を生かして更正させるのが仕事なんだ。『刑務官は被収容者にとって、社会人としての模範となり、彼らを更生に導く役割を担っています』と、法務省も言っているだろう。
法学者、小河滋次郎が書いた『刑法改正案ノ二眼目』1902年に出されたこの本には、死刑執行に応じる監獄の職員とは、監獄の職員としての適正を備えていない。そのような人物を監獄の職員として雇用するのは『監獄行政の汚辱にして又大不利なりと謂はざるを得ず』と書かれている。
死刑の執行をするのは監獄の職員では無く、裁判官か検察官に担わせることが必要だ、と述べている。
この問題を突き付けられたのは1902年、百年以上も前だよ? 刑務官が死刑を執行するのは正当では無い、という問題を、百年も前に突き付けられてから、なのに百年以上、何も変わっていない。いったいこの百年、何をしていたんだろうね? ここだけ見れば司法は百年もの間、何一つ進展も無いどころか、問題そのものを解決しようという気すら無い。
なんの進歩も無く、百年前の課題の答えを返すこともできないままにズルズルと、人を殺したく無いと言う人に人殺をやらせてきたんだよこの国は。百年も。こんなふざけた事があっていいものかい? この問題については、失われた百年と言うべきかな?」
僕先輩が怒る。その小さな身体で持て余す怒りが溢れる。マトモ過ぎる僕先輩だからこそ、その怒りもまた大き過ぎる。
「死刑制度を維持すべきと言うなら、刑務官以外に死刑執行人を用意しなければならない。死刑執行人が用意できるまで、死刑は中止すべきだ。それを、別に今のままでいい、と言う者は下衆としか言い様が無いね」
「代わりに終身刑を導入すれば、刑務官が死刑を執行しなくてもいい?」
「その方がまだマシと言うものだろうね」
「だけど先輩、人はなかなか現状維持をやめられないものだ」
世の中、白と黒をハッキリと分けられる人ばかりじゃない。混ざる灰色が人の社会だ。嫌なことは見知らぬ他人にやらせて、好き勝手に言いたいのが人だ。何より今のやり方に慣れた人には、何が僕先輩をこれほど怒らせているか、理解できないだろう。
「先輩、刑務官だけに理不尽を押し付けて、丸く納まるならそれでいい、という人が大半じゃないか? それが百年以上、今の制度が続いている理由だろう」
「そこが納得いかないね。この国は民主主義なんだろう? 国民に主権があるとするのが民主主義なんだろう? そして、この国には社会の為に死刑が必要だという意見が多い。
それなら、その口で死刑が必要だと言う者が死刑執行に携わるべきじゃないかい?」
「それで『死刑の執行をしてもらいます』の手紙になるわけか。なるほど」
「死刑を必要だと言う人が死刑を執行する。刑務官に職務の本分に反する仕事をやらせるよりは、その方が理が通る。その方がずっとマシだ。
裁判員のように民間人にやってもらうのもいいだろう。だって死刑が必要なんだろう?
死刑は社会に必要だと思うが、自分は死刑執行なんてやりたくない。だから誰かやってくれ。そして、人を殺したく無いという人に命じて人を殺させている。これでよし? これで社会正義が守られる? はん、なんて無責任な言い様だ。その制度を主権者たる国民が支持しているというなら、この国の国民は全員下衆だと言われても仕方無い」
死刑は必要だけど自分はやりたくない。だから奴隷や非人にやらせてきたのが歴史から見て取れる。だけど誰だって、苦労は他人にやらせて自分だけはいい思いがしたいというものだろう。責任感も当事者意識も、ちゃんと背負える人の方が少ないのだから。
「それならそれで、この下衆な性分こそが日本人の民族性で伝統文化だと言うなら、いっそ堂々と開き直ればいい。人権の問題、司法の問題、それを国連や他所の国々からいくつも勧告を受けている現状。これが日本の民族性であり、これが日本のやり方だと、世界にキッパリ説明してハッキリ主張できなくてどうする」
「人権軽視の日本だからこそ、人を殺したく無いと言う人に人殺しをやらせることが、日本の文化だって? そうなってることを知らない人の方が多そうだ。現場の苦悩を知らない人が多いから、気軽に死刑にしろ、とも言えるんじゃないか?」
「その方が更に問題だね。よく知らないけど皆が賛成だから賛成? 知らないままに殺人強要をしているのだけどね。全員が罪人だよ」
「だけど強要罪にはならない。こういうのは罪外の罪とでも言うのかな」
だけどね僕先輩。知りたがりな人よりは、無知りたがりの人の方が多いんだよ。知らなかったを言い訳にしたい人には。知らないから仕方無い、そんなの知らない、と無責任に言いたいだけの人には。
誰もが僕先輩のように怒れるものじゃ無い。
例え時代が変わっても、奴隷とか非人とかいなくなっても、いつまでもやりたくない人にやらせ続けることに変わりは無いだろう。
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