第10話 日本の最低賃金は時給5円?


「もう一つの問題は、この国の人口減少だ。特に日本人の15~64歳の生産年齢人口が少なくなっている。いわゆる少子高齢化だ」


「2050年には人口が1億人を下回るとか」


「ここで問題になるのが、制度の維持費だよ。例えば道路、作ったらそれで終わりじゃ無い。割れたり穴が開いたりしたら直さなきゃいけない。資材もいるし人材も必要だ。作ったものを使い続けようとしたなら、維持費がかかる」


「形あるものはいつかは壊れると」


「分かりやすく数を減らして考えてみようか。世界を100人の村に例える思考実験のように。これまで一本の道路の維持に100人の税金が必要だったとする」


「なるほど、人口減少で税金を払う人が少なくなるのが問題というわけだ」


「その通り。これが人数が半分の50人に減ってもその道路を維持しようとするのならば、1人当たりの負担額が2倍になる。税金の個人負担を倍にしないとこれまでのような維持ができない」


「もう、その道路を維持するの、やめたらいいんじゃないか?」


「それも一つの方法だ。だけど、道路の他にも電気、ガス、水道などなど。一度広げたインフラを簡単に縮小できるものかな? それどころかオリンピックの為に新たな施設を作ったり、アメリカからイージスアショアを買ったりと、年々維持しなきゃいけないものが増えていく。今後も増えはしても減りはしないんじゃないかな?」


「年金の高齢者を支える生産年齢層の絵、みたいだ。昔は十人で一人、今は三人で二人を支えてるって奴。何処か壊して捨ててしまえば良さそうなものだけど」


「人口が少なくなったところから、道路も減らして電線も水道も減らしてみればいいのだけどね。そして同じ問題が、死刑制度にも刑務所にも言えるわけだ。しかも刑務所は年々利用者が増えて足りないくらいだ」


「人口減少してるのに刑務所に入る人は増えてるのかよ」


「刑務所の本来の役割より、別の側面から囚人が増えている。目的が違うから利用者と言う方がしっくりくる。現代では生活保護が受けられなかった人の最後のセーフティネットとして、刑務所の利用者が増えている。刑務所に入れば屋根もあるし布団もある。食料もあれば水もある。刑務所の中の方がホームレスよりもいい暮らしはできるだろうね」


「刑務所が避難所というか、救貧院というか」


「刑務所の中の方がシャバよりマシ、となった時点で、社会はずいぶんと病んでいることになるんだけどね。そして刑務所も維持するには金がいる。人口減少して税金を払う人が少なくなれば、一人当たりの負担額をその分増やしていかないと、維持できなくなる」


「囚人の衣食住に税金を使うのに、文句を言う人もいそうだけど」


「刑務所に使うお金をケチる程に、再犯率は上がり治安は乱れるのだけどね。だけど、作り過ぎたインフラの維持の為に負担が増えて、生活が苦しくなる人がいる。そんな人が生活保護を申請しても断られる。だったら仕方無い、軽犯罪でもして刑務所にでも行くか。ホームレスよりマシだし、と」


「生活を便利にしようとして作ったものが、イヤな負のスパイラルになってんぞ」


「日本では65歳以上の犯罪者が増えている。住む家も入れる施設もなくて頼る人もいない。もう盗みをするしかない。足元のおぼつかないような80代の人も、食べ物がない、お金がない、という理由で罪を犯して刑務所に入る。これは金銭的な理由よりも寂しさが原因ではないか? とも言われている」


「孤独死が増えていると聞くけど、その手前にはそういうのもあるのか」


「東京の府中刑務所は、受刑者の3分の1近くが60歳を超えている。まるで老人介護施設のようだね。そして刑務所に入る為の高齢者の犯罪には万引きが多い。200円のサンドイッチを盗んだ場合の刑期が2年とするなら、その2年の刑期にかかる費用が約840万円だ」


「その金で2年の生活費が余裕のような気がするんだが?」


「裁判手続きや収監にコストをかけずに、高齢者の面倒を見るほうがずっといいし、実は安上がりなんだ。ベーシックインカムを推奨する理由がこういうところにある。もっとも労働の対価として報酬は得られるもの、という風潮の中では、不労所得は悪徳とみなされる。その認識が変わらないと無理だろうね」


 感情で全体最適解を選べないのも、人間らしさというものか。


「刑務所についてはビジネスとして注目もされている。囚人を労働力として使うというものだ。人件費として見ると囚人に働かせるとかなり安上がりになる。なにせ月給は800円くらいだし」


「月給? 時給じゃなくて?」


「そう、一番安くて月給約800円。時給にすると約5円だ。この国の最低時給は、実は時給5円だったんだよ。それで企業もそんなに安いのならうちで雇いたい、ということにもなる」


「でもそれは刑罰としての労働なんだろう?」


「そうだね。時給5円で人を働かせる企業があれば、問題になるだろうね。だけど囚人を低賃金で働かせているから、日本では刑務所にかかる費用を抑えられる。その利益で刑務所の運営をしているのだから。これも人権軽視の日本ならではのやり方さ。そして国家が率先してブラックな経営をしているのを見て、民間企業も、じゃあうちもそれで、となるとブラック企業にブラックバイトが増えていく」


「安い人権費でモノ作りをする人が増えたら、デフレになるんじゃないか?」


「その視点は面白いね。そうなると囚人が増える程にデフレは酷くなっていくわけだ。しかし人権費を安く使えるのは企業にとって魅力がある。ここに刑務所の民営化の問題がある。

 アメリカ自由人権協会は『収益のために受刑者を収容するというシステムそのものが、良からぬ動機を引き起こす原因になる』と、言っている。軽犯罪で多くの人を刑務所に入れて、労働力にしよう、ということが考えられる。

 アメリカのルイジアナ州では、成人人口10万人のうち受刑者が1420人で、全米最大の比率。これに『受刑者を物と見なし、本質的に人間を商品化した司法システムがまかり通っている』と、ニューヨーク・タイムズ紙に書かれた」


「犯罪者にしてしまえば、奴隷として働かせられるということか」


「どれだけ時代が変わろうとも、人は奴隷を手離せないようだね。くふふ。だけど、僕は刑務所が民営化するのもおもしろいと思うのだよ。ファーストフード店が刑務所を運営し、囚人を店員として働かせるというのもいいだろう。脱走防止にGPSを身体に埋め込んだりしてね」


「お店の中でいらっしゃいませー、というのが全員受刑中の囚人というのは、なかなか凄そうだ」


「そして、政治犯ばかりを集めたファーストフード店とかね。スマイルゼロ円、政治討論ゼロ円だ。注文したハンバーガーを食べつつ、国家を相手に戦ったその人の哲学などを聞きつつ、議論もできるとなれば、僕はそのファーストフード店に通いたくなるね」


「そういう趣味の人は、先輩以外にはあまりいなさそうだけど」


「でも、企業から見るといいんじゃないか? 時給5円で雇えるアルバイト。日本の最低賃金が平均で900円だったっけ? 囚人を使えば格段に経費を下げられるじゃないか。人手不足の解消にもなる」


「いっそ人材派遣業が刑務所を運営したらいいんじゃないか?」


「そうなると人権費の価格破壊が起きるかもね。くふふ。実際にアメリカでは従業員をリストラし刑務所アウトソーシングを活用する工場もある」


「でも、刑務所は囚人を社会から隔離するのが仕事なんじゃ?」


「刑期を終わらせた者は社会復帰させなきゃいけない。隔離してからの復帰。どこで社会との繋がりを見いだすか? そこが難しいから再犯率はなかなか下がらない」


「それに囚人の働いてる店に行こうって人は少ないだろうし」


「前科者が就職できずに再犯というのも多い。前科者を社会から排除することで、また犯罪者へと復帰する。それにどうしたって、もと犯罪者と聞けば人は忌避するものだろうしね。これには僕に解決できるかもしれない一案がある。排除され社会復帰できないなら、既存の社会に頼らない方法を選べばいい」


「なんだそれ? もと受刑者で新しい国でも作るのか?」


「発想としては近いかな? 刑務所の中で農業と建築を受刑者に教えるのがいいと思うのだよ。畑を作って自給自足。オフグリッドハウスの建築を憶えて、電気と水の自給自足の家を作る。刑務所を出て就職先が見つからなくても、自給自足で暮らせるノウハウを身に付ける。その暮らしが刑務所暮らしよりもマシなら、再犯率も下がるだろう。そしてもと受刑者で新たなコミュニティを作る。既存の社会にも国にも頼らず暮らせるようになれば、かかるコストも減らせるというものだ」


「もと犯罪者に開拓村を作ってもらうのか?」


「そういうこと。地方から過疎化し空き家が増えるというなら、廃村になったところにNGOと協力し新たなコミュニティを作るというのはどうだい? そこで刑務所よりもマシな暮らしができる新たなローコストライフのコミュニティができれば、そこで前科者の高齢者を受け入れることもできるんじゃないかな?」


「なんだか流刑地みたいだ」


「社会は前科者を排除したい、というのが本音で建前だけを綺麗に取り繕っても実態は変わりはしない。それなら別個のコミュニティを作り、互いに平和に暮らせるならいいことだと思うのだけどね。それに人口減少していく社会には、ランニングコストを抑えた暮らしを考えないといけない。そうしないと個人の負担が増えるばかりになる」


「エネルギー自給自足の家屋が増えてるとは聞くけれど。そうか、人口減少が問題になるというと、これまで2人で維持していたものが、1人でやらなきゃならなくなって、負担が2倍になるのか」


「そういうこと。話を死刑制度に戻すと、これまで維持してきた死刑制度も、これからも同じように維持しようとすると個人の負担が増える。予算と人手をどう補うのか? 刑務官になろうという人は少なくて、刑務所に入りたがる人は増えて、刑務官の仕事量はパンクしているよ」

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