第7話 洋風の人権と和風の人権の違い?


「日本は冤罪があることを前提としているから、死刑制度がある、という説もある」


「いや、冤罪で死刑にしたら、取り返しがつかないだろうに」


「だからいいのさ。昔から言うだろう? 死人に口無し、と。死んだ人間の人権までは考慮しないというものだ」


 冤罪で死刑になることが前提で、死刑制度がある?


「重大な事件で真犯人が捕まらないとなると、警察なにやってんだ?となる。司法への信頼が落ちれば治安は乱れる。警察と司法の面子と信頼を守る為には、真犯人で無くとも犯人が捕まった方が都合がいい。

 そして国民も、罪を犯した者が、その罪に相応しい刑罰を受けることで納得する。だから刑罰を受けるのが真犯人でなくとも、無実の人でも、皆が犯人だと信じていれば良しとなるんだ」


「随分と酷い話もあったもんだ」


「罪人が処罰されれば皆が喜ぶ。そいつが真犯人か真犯人じゃないかは、わりとどうでもいいことなんだ。法律が守られ、治安が守られ、悪党が罰を受けるという見世物ができれば、皆これで納得してしまう。治安を守るためには冤罪でも、法のもとに処罰される、というのが都合がいいし、そういうショーを人は望んでいる。これが裁判で判決が出る前から容疑者が罪人扱いされる理由にもなる」


 真犯人を探す名探偵が泣きそうだ。なんでもかんでも自殺で片づける自殺刑事デカがマシに見えてくる。


「犯罪者と疑われる者も社会から放逐せよ、というのは実に厳しい世の中だね。疑われないように常日頃から規律を守らないといけなくなる」


「それでお行儀が良くなって、世界でも治安の良い国ができる、と。中身は疑われたら終わりの恐怖で満ちているけど」


「法律も人が作ったもので、間違うこともあるのだけどね。何故か法律は間違わないし、裁判は間違わない、と信じる人が多い。それが日本の有罪率99%を支える信仰なのだけど」


「つまり、日本人は人権意識が低いから、冤罪も多くて死刑制度が手放せ無い、と?」


 僕先輩は顎に拳を当てて考える。こういう仕草は可愛らしい。だけど僕先輩は、そんな仕草はここで考えに更けるときしか見せてはくれない。


「日本が死刑制度を手放せ無い理由は他にもある。自国に軍隊がある国は、自衛の為に戦うことが前提の法律ができる。戦争となれば自国の軍隊が、攻めて来た他国の兵士を殺すことは、殺人罪には問われない」


「戦争、となればそうなるのか? 個人の殺人と国家の殺人は違うし、国家間の戦争で個人の殺人を罪に問うと、裁判の数がえらいことになりそうだ」


「一方で日本は軍隊が無い。自衛隊は自国の軍隊では無いことになってるからね。戦争も放棄した。そうなると軍隊を持つ他国のように、国家の殺人を合法とするのが難しくなる。死刑制度が唯一、国が合法的に殺人ができる手段となる」


「そういうことになるのか? で、それが?」


「国家が殺人を許容するか、許容しないかは大きな問題だよ。死刑制度を廃止すると日本は国家としての殺人は一つも許されなくなってしまう。逆に国家の殺人を合法化する死刑制度が一つあれば、そこから法はいくらでも解釈して広げることも可能だ。国家が殺人という手段をひとつでも手元に残して置きたい、となると戦争放棄した日本では死刑制度しか無いんだ」


 くふふ、と笑う僕先輩の笑顔は死神のようだ。合法の人殺手段というカードを残しておくための死刑制度。それじゃ、


「日本が死刑制度を廃止するには、代わりの人殺手段の合法化が必要になる?」


「その為には、軍隊を合憲合法化し、いざというときには戦争も辞さない、という国に変える必要がある。国家としては国に都合が悪い人物を、合法的に処刑できる手段は残して置きたいものだろうし」


 死刑を廃止するには軍隊が必要で戦争に備えよ、と。戦争が嫌なら死刑制度に反対するな、と。どちらにしても国というのは、人を殺す手段を手放したくは無いらしい。邪魔物は消せ、死人に口無し、歴史は勝者が作る。どちらにせよ、これはどうかしてるような気がする。


「死刑在置派の意見には、死刑囚の衣食住のために税金が投入されるのは無駄ではないか、というのもある」


「でも、死刑の方が無期刑よりもコストがかかるんじゃ?」


「それは人権意識の高い欧米の場合で、実は日本はそうでも無い。死刑という極刑を慎重にしようとすれば、裁判は長期化し専門家も必要になる。時間もかかり人件費も嵩む。だけどね、冤罪でも死刑にしていい、となれば調査もいいかげんでいいし、裁判も適当に終わらせてしまえばいい。自白さえあればいいんだ。さっさと死刑執行を終わらせることでコストダウンが可能だ。くふふ、真実も人の命もダンピングが可能とはね」


 そりゃ、何回も裁判するのは面倒だろうけれど。地獄の十王では最低七回の審理があったっけ? 地獄のようにしっかりやるのは、現実では無理なのか。理想と現実は違い、理想の裁判なんてのは閻魔大王のような人外じゃないとできないのかもな。人は間違うものだし。


「人権意識の高い国では、裁判で判決が出るまでは加害者の人権を尊重しよう、となる。しかし人権意識の低い日本では、そういう考え方にはならない」

 

「そりゃ、一神教の人権と日本の人権は別物だから」


「ほお? 後輩君は知っているのかい?」


「確か、人権宣言も神聖かつ不可侵の権利ってことで、神聖、つまり一神教の唯一神様が保証してくれてるんだろ」


「そこが多神教というか無宗教の日本人とは違うところだ。なので欧米的な人権思想は日本人には理解できない、なんて言われたりもする。欧米的な人権と日本的な人権とはかなり違う。

 社会の力関係を是正しようとするのが人権。それを単なる『思いやり』にすり替えるのが日本の人権だ、なんて言われたりね。特に日本では弱い立場のものまでも『思いやり』を持つことが要求され、弱者が人権保護を求めるのは『他人に対する思いやりに欠ける行動』と言われて非難されたりもする」


「自分の権利ばかり主張することが、他人の人権侵害につながる、だっけ?」


「権力者の強権から弱者を守るはずの人権が、弱者を抑圧するために正当化されるのが日本の人権、とも言われたりね」


「一神教背景の西洋人権とアニミズム背景の和風人権じゃあ、違って当たり前なんだけどな。向こうじゃ人間が他の生き物と違って特別だから、特別な人権があるってことだろ?」


「人間だけに特別な権利がある、というのは逆に言うと、人間以外にはその権利は無い、とも言える。神が人を特別に作った、という宗教がその背景にある。ただ、人権思想は弱者にも生きる権利はある、という同情から始まるところは、西洋東洋問わずに共通するところだろう。弱い者への同情から、弱い者いじめは悪とする。この悪に対し、一神教では神の裁きを恐れる。アニミズムでは、恨みから悪霊の呪いと祟りを恐れる。ここから加害者と被害者の扱いが変わってくる」


「そうなると人権も宗教じみている概念だ」


「無いよりは在ると仮定した方が、社会にとって都合がいい。だから見ることも触ることもできないけれど、在る、ということにしておこう、というものが人権だから」


「そうなると、人権は愛や正義と似たようなものか。触れもしないし掴めもしない。売って金にすることもできやしない」


「愛がなんだ、夢がなんだ、それが金になるのか? という歌もあったね。人は特別な権利を持つ、ということで裁きが終わるまで、加害者でも人権を尊重するのが欧米流。一方、悪霊の祟りを恐れて穢れを祓おうと、巻き添えを恐れて祟りの対象をさっさと排除しよう、というのが和風流。アニミズムだと人間だけを特別扱いはしない」


「祟りで言うと、蛇も猫も祟るから?」


「鶴の恩返しは、その逆のパターンだ。そこには人間以外にも心を持つ生き物がいる、人も獣も同じ生命というアニミズムがある」


「それで裁きが終わるのを待たずに、祟りが怖いから罪人を社会から追い出そうって?」


「そういうこと。欧米風人権と和風人権はそういう違いが根底にある。日本人が死刑で恨みを晴らそう、というのは穢れを祓う思想から来ているものでもある。冤罪でも構わないというのは、生け贄に命を捧げればいいからだ。日本で死刑容認する人が多いのは、文化的な土壌の違いから。その違いを曖昧なままにして、人権の認識が日本と海外で異なることをほおっておくから、日本は人権関連で何度も勧告を受けることになる。

 2014年に国連自由権規約委員会から出された、日本政府へのLGBTに関する指摘は五つ。

①性的指向、性自認による差別を法律で禁止すべき

②被害をちゃんと救済すべき

③被害の防止施策を練るべき

④意識啓発をやるべき

⑤公営住宅に同性カップルが入居できるようにするべき。

 2013年には『国連社会権規約委員会』から、日本政府は年金の受取人や社会保障について、同性カップルが法制度から排除されていることに勧告。

 2016年には『女性差別撤廃委員会』から、女性が教育、労働などで受ける差別を是正すべきだという勧告。

 2019年には『こどもの権利委員会』から、LGBTの子供への差別を禁止し、防止するための措置をとるべきだ、という勧告。

 こういうのも、日本の人権が国連の国際基準の人権とは、ズレがあるから出てくるものがある。人権に関しては権利では無く、権理と書いた方が、国際基準には近くなるかもしれないね」


「トイレは洋式に変わったけれど、人権はまだまだ和式から洋式に変わってないってことか」


「変える必要も無いんじゃないかな? 単純に、日本は人権より人情を重視し、欧米では人情より人権を重視する。だから裁判でも、気持ちやら動機やら恨みやら憎しみやらを持ち出して来る。長さも重さも測ることもできない感情なんてものを、在るとか無いとか言い合って、それを裁判官の同情と思い込みで決めつけることができるのが、日本というわけだ」


「人権より人情か。そういうのが同調圧力とか、空気を読めってのに繋がるのか」


「そういう同調圧力から、法に対する考え方というのは、日本人は特殊になる。たとえば法に厳格なユダヤ人と比較すると、ユダヤ人は議論が全員一致で決まることはまず無い。ユダヤ人には『人間に絶対的な無謬むびゅうはありえない』という思想がある。全員一致とはつまり、全員が間違っていることになるんだ。少数の反対意見があれば、わりと正解に近い、ということになる。

 日本人は全員一致で物事が決まる。長いものには巻かれろ、白も黒と言えば黒になる。一方で全員一致で決まった法でも、法外の法は無視できない」


「法外の法? それは法律に書かれていない法、ということか?」


「法外の法、理外の理。満場一致の議決も法外の法を無視することを得ず、という、日本人の不文律だ。文にあらぬ律、言外の言。なにせ、かつての日本では闇米禁止の法律があった。これを皆がキッチリ守ったら餓死者がドンと出る。だから、その法律を破った者が話題に登ることも無く、逆にその法律を守って餓死した裁判官の方がニュースになった。くふふ、誰もがときには破って良しと書かれたのが文書化した日本の法律。それでも治安が守られたのは、日本人が法外の法を守ってきたからさ」


「法律を守ったら飢え死にするってのは、酷い話だ」


「そこから日本の裁判もそうなっていく。法と法外の法、両方が勘案されて判決が下される。そこに情状酌量、お目こぼし、思い遣りと、裁判官の人徳に委ねた人間味あふれる判決となるんだ。これはそのまま、立派な独裁者と暗愚な独裁者に繋がる問題でもあるけどね」


 なるほどね。日本では国の最高機関と定められた国会の法律でさえ、完全に国民に施行されるわけでもない。だから、厳守すれば必ず餓死する法律が出来たからって、別に誰もが守ったりはしてはいない。法律を守って餓死した人の方が話題になるなんてのは、そっちの方が珍しいってことだ。だからといって日本が無法状態とはならない。書かれた法律よりも大事な、書かれていない法がそこにある。それで、お目こぼしに思い遣りで、ときに法律を無視することが前提にあるから、物事を決めるときは満場一致で決める、となるのか。それは人情と法外の法で解釈を変えてもいいものだから。


「ところが、昨今ではこれまでのコミュニティが変化し、共通概念の法外の法が揺らいで来てもいる。日本のこういうところは、文書化された法に厳格な民族性の外国人には、理解されにくいところだろうね」


「それが、被害者の遺族の感情を鑑みて?」


「こういうのが日本流、おもてなしの心、という奴なのさ。くふふ」


 おもてなし、持て成し、裏表うらおもて無し、おもて無し。虚飾無く真心で相対すべし、という日本の美徳。

 だが、裏を返せば、外面そとづらを外して本心で向き合えば、数の暴力でマイノリティを感情のゴミ捨て場にして、穢れとして払うのも、おもて無しだ。それでも秩序は保てる。おもてなしがあるから、イジメもある。同じものの表と裏。性善説ならおもてなし、性悪説ならイジメになる。

 学校だけで無く、社会でも大人のイジメが問題になる日本。イジメも死刑も手離せないのは、日本人の民族性が根源にあるのかもな。


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