第6話 無惨な死体を見てどう思う?
「もうひとつ、別の事件の話をしようか。こちらも殺人事件だ。親が自分の子供を刃物でめった刺しにして殺した事件だ」
僕先輩は殺人事件のことばかり調べているわけじゃ無い。そのときそのときで興味のあることを調べているだけ。ただ、そのベクトルがどうにも怖いとこに行くだけだ。
人が人を殺す状況なんていうのは、追い詰められた人の中身がかいまみえるものかもしれないが。
「その親が自分の子供を殺害したわけだが、このとき包丁で何十ヵ所も刺し、被害者の死体は凄惨なものだった。これで裁判官は犯人に、明確な殺意と残酷なやり口から、憎悪のままに殺人を犯す残虐な性格と、量刑を重くした」
「まぁ、そりゃそうなるか? 親の子殺しとか、家族相手の殺人って罪が重くなったような?」
「一方でこの殺人犯は恨みに依る殺人では無く、自分達を守り社会を守る為の殺人だった、と、動機を防衛の為だと主張した」
「正当防衛の主張? なんだか随分と問題の有りそうな家庭のようで」
「その殺された子供というのが、40歳過ぎて親に暴力を振るう、ちょっと困った子だったわけだ。親から見れば、その子の暴力がエスカレートしていき、このままでは殺される、と思ったらしい。また、その子が社会で悪さをすることも怖れた。子を育てた親として、社会に害悪を及ぼすような人を育てた責任を取るべく、自分の子を殺すことに決めた。つまり、この親は社会正義の為に自分の子を殺すことを決意したんだ」
「なるほど。製造責任者が製品のクレームがくる前に、製品の回収処分をしたのか」
「後輩君はドライだね。僕が気になるのはただひとつ。被害者を包丁で何十ヵ所も刺したのは残虐だ、という司法の意見だ。ここから犯人は被害者に苛烈な憎悪がある、と判断された。これが僕には疑問なんだよ」
「どこが? ザクザクにされた酷い死体となれば、犯人はそいつを相当、恨んでいたんだろうって、なるんじゃないか?」
「そこで想像力だよ。想像力を働かせるんだ。僕にはこの裁判官には、想像力が足りないんじゃないか、と思えるね。逆を考えてみよう。何十ヵ所も刺して殺すのが残酷ならば、では、包丁の一突きで人を殺すのは、残酷ではないのかい?」
「一人死ぬのは変わらないけれど、死体はわりと綺麗に残るのか?」
「包丁の一刺しで人体の急所を的確に刺し、確実に即死させる。こんなことができるのは人殺のプロだよ。人を殺したことの無い人には、どうすれば人が死ぬのか、具体的にはわからない」
「それは、首の頸動脈を切るとか、心臓を刺すとか?」
「首のどこを、どれぐらい深く切れば頸動脈に届くかわかるかい? 包丁から伝わる手応えで、これで頸動脈が切れたから死ぬ、とか、わかるのかい? どの角度で、どのくらいの強さで、どのくらい深く刺せば、肋骨の隙間を通して心臓を刺せるとか、わかるのかい? これまで経験したことも無い、一度もやってみたことの無いことを、初めてやってみて失敗もせず、包丁の一刺しだけで人を殺せるのかい? もしそれが可能というなら、そいつは人殺の経験者だ。人殺しのプロだ。余罪を疑った方がいい」
頸動脈や心臓、気管、人体の重要な臓器が破壊されれば人は死ぬ。それを知っているからといっても、医者でも無く、人の身体を解体して見たことも無い、そんな人が具体的な事が解る筈も無い。人を刺して、人が動かなくなったあとに、動揺もせず混乱もせず、倒れた人の脈と呼吸を冷静に確認できたら、そいつは経験者かサイコパスなんだろう。
他に一撃で人を殺せる者がいたとしたら、
「一発でクリティカルが出せるなら、きっとそいつは歴戦のニンジャなんだろう。なるほど、何処までやれば死ぬのかわからないから、めった刺しにしてしまったと」
「素手で首を跳ねられる人は、現代の日本にはいないと思うけどね。くわえて、殺人犯、この親は自分の子供の暴力に日々苛まれていた。
人がやり過ぎになるときとはね、反撃と復讐を怖れるときなんだ。相手に息があり、起き上がって自分を殺すかもしれない。これを怖れるからこそ、確実に相手を殺そうとしてしまう。殺し過ぎになってしまうんだ。
これは相手に対する恨みで殺すのとちょっと違う。報復を怖れるからこそ、相手が死んだと思えるまで止められない。医者でも坊主でも葬儀屋でも無いのに、相手が確実に死んだかどうかも、素人にはわかりにくい。残酷な殺し方になってしまうのは、殺人が初体験だからだ」
自分の子供を殺す、と決意したものの、人の殺し方なんて練習できるものでも無いか。確実に殺そうとすればやり過ぎに。殺し過ぎになってしまう。
しかし殺人という物騒なものに初体験という表現を使うのは、どこのピカレスクロマンの悪党だよ。バージン卒業おめでとう?
「恨みで痛めつけて気を晴らそうというなら、相手を縛りつけて、身動きできなくしてから、なかなか死なないように拷問するんじゃないかい? これと、カッとなって思わず刺した。その相手が怒ってやり返そうとする。怖くなってメッタ刺しにして殺す。この二つはちゃんと調べれば違いが解りそうなものだけどね。死体の状況だけ見て残酷というのは、人の気持ちというのが解ってないんじゃないかな?」
「推理小説のようになってきた。鑑識がプロの仕事をしていれば解ることか?」
「例え鑑識がしっかり仕事をしていても、無惨な死体に対する感想が裁判官の中で固定されていれば、裁判官の判断が優先されるだろうね。無惨な死体の写真を見せられた裁判員も同様だろう」
人殺の素人だからこそやり過ぎて、残酷な死体が出来上がる。プロの仕事は綺麗に終わり、後片付けも丁寧で残酷に見えない、と。
「そして日本の裁判の特殊性が問題になる」
「特殊性? 日本の裁判って何か変わったことでも?」
「かなり変わっているとも。オリエンタルジャパン、ここがスゴイぞ日本人、と自慢してもいいくらいだ。外国からは、日本の刑事司法制度には昔から問題があると見られている。一番大きな特徴は『自白偏重主義』だ。
自白に頼る日本の捜査については、最近では日本国内でも疑問視されている。例えば、イギリスBBCの記事では、有罪率が99%の日本では自供が『絶対的な証拠』になっていると指摘されている。さらに容疑者は可視化されていない小さな取調室で、自供するまで徹底的に追い詰められるとも書かれている。
アメリカやイギリスでは、自白に頼る捜査はしない。基本的には事実のみが争点になる。ところが、日本では動機も裁判で大事な要素となるために自白が重要になる。
そうだね。分かりやすく言うと欧米などでは裁判に人情はあまり介在しないが、その分、逆に人権はなるべく守ろうとする。日本では逆に人情を優先して人権は軽んじている、といったところ。
日本では、自供を取るために厳しい取り調べが今も続けられているし、留置所での長期拘留に厳しい取り調べは人権侵害だ、と国連拷問禁止委員会から何度も注意されている」
国連拷問禁止委員会とは、なかなかカッコいい名称だ。
「日本では真犯人で無くとも、犯人と疑われたなら留置所で厳しい尋問を受けたりする。容疑者の段階ではまだ罪人では無く、裁判で有罪と判決が出るまでは人権は保障すべし、というのが人権尊重派の欧米の意見。一方で冤罪でも犯人として疑われたなら、犯罪者同様の扱いを受けるのが当然、というのが人情尊重派の日本のやり方、というわけだ。欧米程に人権を重要視していない日本。なので、その中には真犯人で無いのに犯罪者扱いを受け、留置所での過酷な尋問に耐えかねて自殺した人もいる」
「日本では容疑者で、裁判が始まってなくとも実名で報道されて悪人よばわりされたりするものだし。有罪判決前に犯罪者扱いされたりもするか」
「犯人らしい、と疑われた時点でも犯人同様の扱いを受ける。これが日本の治安の良さにも繋がる訳だ。疑わしきは罰せよ、というものだ」
「それ、逆じゃ無かったっけ? 疑わしきは罰せず、だろうに」
「これも、理想と現実は違う、というものかな? 特に特捜事件で逮捕された事例では最終的に無罪が確定した事例は、ほとんど無いに等しい。特捜事件においては、疑われた時点で有罪率99%だ。証拠とか証言とか関係無い。これじゃ無罪でも海外に逃げたくなるだろう」
「それで日本は冤罪が多いと叩かれるわけだ」
「実際に日本の冤罪事件では、強要された嘘の自白からはじまっていることがいくつもあるからね」
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