第5話 被害者遺族の心情を鑑みて?


「凶悪な犯罪の被害者の遺族でありながらも、犯罪者の減刑を求める死刑廃止論者もいる。その体験を本にして、この本が死刑廃止論に影響を与えたりなど」


「よほど博愛精神に溢れた人なのか? それとも熱心な宗教者?」


「そこを知りたければその本を読むといい。世界で見るとキリスト教圏から死刑廃止が広がっているのかな? 一方で日本でも被害者遺族が死刑に反対したこともある。ただ、その結果が海外と日本で真反対になったことから、日本の民族性というのも見えて来る」


「結果が、真反対?」


「結論だけ言えば、とあるアメリカの裁判では被害者の遺族、殺人犯に殺された子の親が、殺人犯に減刑を求めた。これで殺人犯は死刑とはならなかった。一方で日本では、弟を殺された兄が殺人犯の減刑を求めた。弟を殺した犯人を死刑にするな、とね。ところが被害者の兄の訴えは退けられて、殺人犯は死刑となった」


 弟を殺された兄が死刑に反対した? それなのに殺人犯は死刑になった?


「不思議そうな顔をしているね? 被害者の遺族の復讐心を満足させる為に死刑にせよ、というのは日本ではありがちな意見のひとつ。だけど、それはどこまで現実に近いのか? この事件とその結末は、日本人の日本人らしいところがよく出ている。細かく説明しよう」


 僕先輩が空になったカップを傾けるので、俺は紅茶のお代わりを淹れる。


「ひとつの殺人事件の話をしよう。弟を殺されたの兄の話だ。犯罪被害者の遺族の話だ。

 弟を殺された兄は、最初は感情に流されて、誰もが想像するように犯人に極刑を求めていた。だが、時間とともにそれが変化し、心変わりしていった。

 変化の原因のひとつはマスコミ。興味本位で取材するマスコミの取材にうんざりして、マスコミの期待通りのことを何度も喋るのに疲れた、というもの。

 もうひとつは、世間の犯罪被害者とその遺族に対する同情が、最初の一時期だけのもので、あとは何の公的なケアも受けられなかったこと。犯罪被害者の遺族という、誰にも理解されない孤独の中で、家族関係もバラバラになっていったこと。

 自宅にはマスコミが押し寄せ、会社を休んで裁判を傍聴することに、冷ややかな会社との軋轢。被害者の遺族に対し冷たく距離を置く、社会の中で感じる孤独感。

 返還を要求された保険金も、弟の葬式の費用として使ってしまい、弟の残した借金の返済にもあててしまった。それが『返還しないと不当利益だ』と、まるでだまし取ったような言い方をされてしまう。すぐに返せる当ても無いのに、行政や弁護士に相談してもマトモにとりあってはもらえない。家族もまた世間から距離を置かれ、マスコミのうっとうしい取材の中、不安は高まり家族とも相談できる雰囲気ではなくなっていく。

 その兄いわく、

『事件が明るみにならなければよかったのに、とすら思いました。みじめで悲しい思いをすることばかりで、孤独と社会への不信感でいっぱいでした』

 被害者の遺族に対し、ここまで冷たく非道な行いができるのも、日本ならではのことかな?」

 

「被害者の遺族の気持ちを考えろ、とは聞いたことあるけど、ひどいなその会社も行政も弁護士も」


「これが日本の普通さ。マスコミも世間も、事件が起こった当初は、被害者とその遺族に対して同情的な姿勢を見せはするが、実質的な援助は何もしていない。ただ犯人を吊せと叫ぶだけだ」


 僕先輩は楽しそうにくふふ、と笑う。


「ここでおもしろいのはね、この孤独の中で気持ちがすさみ、家庭も崩壊していった兄の救いになったのは、なんと殺人犯の反省の態度だったんだ。

 殺人犯の反省の姿が、弟を殺された兄の気持ちを変えてしまったんだ。

 その殺人犯は弁護士の影響からキリスト教徒になり、自分が殺した人の兄に謝罪の手紙を何度も送っていた。

 この手紙によって兄はかなり癒されたようだ。さらに殺人犯と面会し、直接向き合うことによって、さらに癒されることになった。殺人犯の謝罪の気持ちを本気だと感じたという。

『彼から直接謝罪の言葉を聞くことで、誰のどんな慰めよりも癒されていくように思ったのです。長い間、孤独の中で苦しみ続けてきた僕の気持ちを、真正面から受け止めてくれる存在は、彼だけだと感じたのです』

 社会の無理解、世間への不信、その中でたった一人、被害者の兄の気持ちが解り、癒しを与えたのが誰あろう、彼の弟を殺した殺人犯、その人ただ一人だけだったのさ」


 なんだそりゃ。世間は冷たいと言うが、そりゃ殺人事件に積極的に関わりたいという奴はあまりいないだろうが。

 それが殺人事件の加害者もその家族も、被害者の遺族も、まとめて遠ざけていて、解り合えるのが当の殺人犯と被害者の遺族だけとは。いろいろと終わっている気がする。


「病気だろうが殺人事件だろうが、会社を休む人に対して冷たいのは、日本の企業の特徴だろうね。この日本の社会にはこういった、排除の構造がある。いったん事件が起きると被害者も加害者も社会から排除されてしまう。

 その中で兄は、弟を殺した殺人犯に同情的になっていく。それはそうだ。冷たい世間の中で解り合えるのは彼だけなんだから。

 そしてその兄は何度も法務省に申し入れをした。どうか彼を死刑にしないでくれ、と」


「弟を殺されて、それを許す。なんだか宗教的な美談のようだけど、そこに人を追い込んだのが社会の無理解というのがなんとも」


「そして、死刑にしないでくれ、と訴えたその兄を更に社会は追い詰める。死刑に反対する彼のことを、被害者の遺族なのに、被害者のくせに、死刑に反対するなんて、と非難する人たちが現れる」


 なんというか、何処まで被害者の遺族に厳しいんだか、この国は。


「しかし、死刑にしないでくれという、この兄の申し入れは聞き入れてもらえず、裁判では死刑判決が出た。このときの裁判官の言った言葉が、実に振るっている。くふふ」


 僕先輩は淹れ直した紅茶に口をつけ、一拍間を持って、やや芝居過剰気味にもったいつけて、続きを口にする。


「被害者感情を鑑みれば、死刑もやむを得ない、と裁判官は言った。どうだい?」


「いや、その被害者の兄が死刑はやめろって言ってなかったか?」


「その通り。だから裁判官のセリフはちょっと文章をはしょっているんじゃないかな? 正確には、被害者の遺族に勝手に同情して喚く周りの観客の感情を鑑みて、になるんじゃないか? 結果、被害者の遺族の訴えを無視する形で死刑が執行された」


 なんというか、なんだそりゃ。その兄って人、社会に絶望したんじゃないか? 周囲に追い詰められた挙げ句、唯一の理解者が死刑にって。そんな裁判が日本にあったのか。


「言葉では、被害者感情を鑑みて、なんて言いながら、被害者の遺族が、死刑は待ってほしい、と主張しても無視されて執行される。おやおや、何処で被害者感情を考慮しているんだろうね?」


「他人の気持ちは悪魔でもわからないって言うけど、なんつーか、刑罰は被害者の為にあるんじゃ無いってことか」


 死人に口無し。だからってイタコでも無いのに死者の気持ちがわかる筈も無し。


「しかし、その裁判官、自分が口にした日本語の意味が解ってるのか?」


「被害者感情を考えろ、と死刑判決が出たわけだが、被害者感情を真剣に聞いたならば、この兄の言ってることはただひとつ。困っているときには助けてくれ、だ。しかし、このケースではまったく助けは得られず、行政からも世間からも、支援も援助も無かった。しかも死刑に反対したことで、被害者のくせに、と非難されるおまけつきだ。しかし、ここから日本の司法の、日本ならではの特徴も見えてくる」


 日本の司法の特徴? 日本の裁判が、何か日本人ならではの民族性でもあるのか? 


「日本の司法では、裁判官が被害者と加害者の気持ちを決めつけることができる」

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