第4話 みんなが死刑と言ったから?
「被害者や、被害者の家族、被害者の友人などの気が済まない。命で購え、だから死刑にしろ、という意見は僕も理解できる。僕もそう思っていたときがある」
「お? ここまで聞いて、先輩は死刑反対派かと思ってた」
「どちらかと言えば、僕は死刑廃止論に傾いている。でも被害者の遺族の復讐心というのも理解できるんだよ。これでもね」
僕先輩は両手で紅茶のカップを持って、その中身に視線を落とす。
「更正の余地の無い、悪逆非道な人物は社会から永久追放するために死刑に処せ、殺してしまえ、というのも納得できる。かつては僕もそう考えたものだ」
「先輩が? なんだか感情に流されたような言い分は先輩が嫌いそうだけど?」
「理性は理解、感情は納得、両方無いと人は賛同しないよ。感情的なだけの説得、議論は見苦しいから気にくわないけどね」
僕先輩は思い出すように、窓の外に視線を向ける。
「僕にはね、ひいおばあちゃんがいた。歳のわりにしっかりしていて、僕を可愛がってくれるそのひいおばあちゃんのことが、僕は好きだった」
僕先輩の過去語り、珍しいと言えば珍しいのか? 俺は人の家庭のことにさして興味は無いが、僕先輩のことは別だ。
何がこの人の頭の中を育てたのだろうか。
「そのひいおばあちゃんが死んだ。轢き逃げにあってね。友達のところに遊びに行く途中、車に轢かれて死んでしまった。悲しかったし、頭にきた。僕は直接聞いてはいないけどね、ひいおばあちゃんを轢いた車の運転手がこう言っていたんだ。『野球の試合を見に行きたかった』って」
「そんな理由で轢かれては、たまったもんじゃ無い」
「野球の試合を見に行く為に、法定速度を超える速度で道路を走っていたわけだ。これを聞いて、幼かった僕はこう思った。そんな理由でひいおばあちゃんを轢き殺した奴なんて、死刑になればいい」
幼いころの僕先輩。いや、僕先輩で無くとも、優しいひいおばあちゃんが轢き逃げされて死んだら、そのひ孫は恨んで当然だろう。
「そして野球も嫌いになった。熱狂的な野球ファンは皆、死刑になるべきだ。野球の試合を見に行きたい、というだけで一般道路を激走するような、そんな熱狂的野球ファンを野放しにしては、交通事故で死ぬ人が増える。人が安全に暮らす為には、イカれた熱狂的野球ファンは全員、処刑するべきだ」
「いや、それはやり過ぎのような」
「なぜだい? 被害者遺族の恨みが、復讐心が、犯人一人殺しただけで晴れるとでも? 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。恨みは音も無く地に染み込む血の色にも似て、消えることも無く、だ。犯人が死刑になってもまだ気はすまない。その残虐な犯人を育てたのは誰だ? そいつの両親か? それならその親も死刑だ。そいつを止められなかった家族は? 親戚は? そいつらも死刑だ。そいつに教育できなかった小学校の先生は何処の誰だ? そいつも死刑だ。犯人に関わる者、犯人を育てた者、犯人を止められなかった者、一切合切全て処刑しろ。殺してしまえ。これが家族を殺された者の恨みだよ」
一族皆殺し、ときたか。それだと犯罪を産み出すのは社会の病理でもあり、社会を構成する人物全員が対象にもなりうる。
いや、それで死刑にされる野球ファンがちょっと可哀想にはなるが。でも、野球ファンなら別にいいか。
「ちなみに、後輩君は野球は好きかい?」
「この話を聞いた後では、野球大好き、なんて言うのは人の気持ちの解らない奴のような。俺は野球含めて団体競技は全部嫌いだ」
「それはいい。後輩君は死刑を免れたよ」
「野球禁止の恐怖政治だ」
僕先輩はくふふ、と笑う。
「と、言ってもそれは僕が幼い頃の話だ。ひいおばあちゃんを轢いてしまった人は、そのあと何度も謝りに来た。墓参りでバッタリ会ったこともある。いつのまにかお墓が綺麗で、回りの雑草が抜かれ、花が添えられていたのも、その人がやっていたことだった。事故を起こしたことを心から悔やんでいた。事故の反省から、野蛮な野球ファンもやめた」
なんだか、野球がアルコールか麻薬と同列のように聞こえてきた。いや、酔っぱらいを作るという点では同じものなのかもな。
「僕も高校生になるまで人生経験を積んだ。そうして解ったのは、熱狂的野球ファンは頭のイカれた人間が多いが、その中には良心のあるマトモな人も、僅かにいる、ということだ。犯した過ちを悔い改める良心を持つ者もいたんだ。もし、幼い復讐心のままに野球ファンを死刑にしていれば、野球ファンにもマトモな人がいる、ということを僕は知らずにいたことだろう。だから、復讐の為に野球ファンを処刑しなくて良かった、と、今では思う」
良かったな世界中の野球ファン。世界から野球ファンが処刑される理由がひとつ消えて。僕先輩の優しさに感謝しとけ。
「復讐心を満足させる為、という理由での刑罰は歯止めが効かなくなる。行政が民間に復讐を認める仇討制度が廃止されたのは、こういう理由もある。ハンムラビ法典だってそうだ」
「目には目を、歯には歯を?」
「やられた分だけやりかえしたら、そこで終わりにしよう。とは、ならない。人の復讐とはそれでは納まらない。目には目を、で納得できるものか。目には目と歯と耳を、と、やり返さねば気がすまない。これで復讐の連鎖が凶悪化し、社会を脅かす。だから社会秩序を守る為には、復讐の量刑に拘ることになるし、暴走する復讐を止める為に、司法が遺族の復讐を代行する」
「仇討ちは私刑になる、か。仇討ちでもいいような気がするけれど」
「やり過ぎ注意と止められるなら、復讐を遺族に任せると行政は楽ができるかな?」
「鉄道や郵政のように民営化してみては?」
「それはそれで面白そうだが、現代に必殺仕事人が甦るのかな? それに殺害された人に遺族や友人がいない場合、復讐者はいない。犯人が野放しになる。また子供が父親を殺害した場合、その子供の死刑を執行するのは母親になるのかな?」
案外、死刑制度の問題は、復讐を他人任せにすることにあるのかもしれない。
「被害者の遺族が犯罪者に死刑を求めず、減刑を願い出たことが美談となったりする。今の僕ならその気持ちが解る」
「だけど、そんな人は少ないから美談になるんじゃ? 犯人に死刑を求める方が多いんじゃないか?」
「裁判で裁判員が死刑を求刑し、裁判官が死刑を認めない、というのは日本の裁判で問題になったりするね。陪審員は有罪か無罪かだけを判断し、有罪での量刑まで陪審員が口を出すのはどうかと思うんだが」
「それじゃ、裁判員の判断はあまり意味が無い?」
「意味が疑問視される判断まで、考える必要はあるのかな? ある裁判員は『よくわからないけれど、皆が死刑って言ったから、自分も、じゃあ死刑で、と言った』なんて、回りの空気を読んで死刑と判断した。こういう意見も参考にした方がいいのかな?」
「裁判員の質の問題か? いや、専門家じゃ無い素人がいれば、そういうこと言うのもいるのか。それで死刑にされたら、たまらない」
熱狂の中の処刑となると、魔女狩りと変わらない。いや、裁判員制度自体、魔女狩りの要素が中に含まれているのかもしれない。犯罪者への復讐心、ねえ。
「復讐の連鎖が争いの種、なんて人道主義者が言いそうだ。復讐を怖れて争わないも、死刑を怖れて犯罪を犯さないも、似たようなものか」
「それで言うと、イジメを無くすには、コンビニで銃や手榴弾が簡単に買えるようになるといいのかもね。誰もが手軽に簡単に、学校や会社の中で、銃乱射事件や自爆テロが気楽にできるようになれば、その復讐を怖れてイジメもパワハラも少なくなりそうだよ」
僕先輩は、くふふ、と笑う。
「なかなかいいね。イジメもハラスメントも少ない世界。代わりにクラスの中でAKを乱射したり、オフィスの中でセクハラ上司を巻き込んだ自爆テロが蔓延する世の中。正当な報復となると、ある意味では健全だ」
「治安がいいのが、日本の数少ない利点なのに。テロ多発して健全とか。弱肉強食の自然界の方がまだ平和そうだ」
「国のショッピングモール化が始まりつつある時代、国の利点は大事にしないとね。特に観光客を海外から増やすには、治安の問題は重要だ」
日本じゃ銃も爆弾も買えないから凶悪事件が少ないってのに。
「被害者の感情を鑑みれば、過度な復讐を容認することにもなる。だけど、その巻き添えになりたくないから、目には目を、歯には歯を、で勘弁してやってくれ、ともなる」
「誰だって無差別テロの巻き添えにはなりたくないだろうし」
「さて? 民主主義の国で本当に無差別と言えるのかな? 国民に主権がある、となればその国民はその国の政治の責任者ともなる。そうなると、誰もがテロの標的となる義務と責任もあることになる。自分は政治と無関係でテロに巻き込まれたく無い、となれば無政府の土地か、独裁者の国にでも行かないとね。くふふ」
自分がテロに巻き込まれるかもしれないことを、どうしてそう楽しそうに話せるのか。楽しそうに語る僕先輩は、やっぱり可愛いな。
「被害者の遺族の感情、というのも死刑在置派が言う説にあるが、そこをちょっと掘り下げてみようか」
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