第2話 死刑にする金が無い?

 

 放課後の旧校舎、物置のようになった空き教室。


 論理学部、という怪しい部活が活動するところ。活動と言っても僕先輩のお喋りを俺が聞くだけのもの。実のところ、学校からは正式な部活動とは認められてはいない。僕先輩が名付けたクラブ活動。

 活動と言っても、誰もいないところで生徒が二人、ダラダラと過ごしているだけのようにしか見えないだろう。

 空き教室の扉を開ける。


「来たね、後輩君」


「来たよ、先輩」


 片目を髪で隠すような髪型の、やたら背の低い先輩。そのせいで中学生というか、下手すると小学生にも見える。このまま成人するまで変わらなければ、合法ロリと呼ばれるのだろう。

 人をからかう猫のようなニヤニヤ笑い。今日も調子がいいらしい。頭の中が残念で無ければ、可愛いと人気がありそうなんだが。同じクラスの女子生徒と比べても、女子高校生という感じがしない。除死校正と書いた方が僕先輩に近いかもしれない。

 僕先輩は俺を見て椅子から立ち、勝手に持ち込んだ電気ポットで紅茶を淹れる。僕先輩はコーヒーよりも紅茶の人だ。


 俺は椅子に座り僕先輩の淹れてくれた紅茶に口をつける。僕先輩が椅子に座る。


「さて、後輩君、手紙は読んでくれたかな?」


「あー、あの手紙? 今度は何?」


「何?って、死刑執行人のお願いだよ」


「なんでそんなもんをお願いされなきゃいけないんだか、わからない」


「想像力だよ。想像力を働かせるんだ」


 言って僕先輩は人指し指で自分のこめかみをトントンとノックする。そこに何が入っている? と。


「もしも、国から死刑執行人を頼まれたら、後輩君はどうする?」


「どうする?って言われても、やりたくは無いとしか」


「手紙に書いてあるだろう? これは国民の義務だと。義務を果たして福祉を得る。これで社会は成り立つ。死刑執行人を拒むということは、国民としての義務と責任を放棄することになる」


「やー、そんな法律は知らないんで」


「だから想像力だよ。未来においてどうなるかは解らない。裁判員のように、死刑執行人を民間人にやらせることになるかもしれない」


「なんで死刑執行人?」


「死刑制度の維持と廃止で議論になったりするから、ちょっと調べてみた。なかなかおもしろいよ」


「死刑がおもしろいってのは、不謹慎じゃ?」


「後輩君も、そういうのがおもしろいんじゃない?」


 ニヤニヤ笑いのまま、僕先輩が言う。僕先輩の頭の中は不謹慎のシチューだろう。今度は何をじっくりと煮込んでいるのやら。


「それに不謹慎であっても、死刑制度はこの世にあるものだよ。日本では約八割の人が、死刑制度は社会に必要だ、というアンケートもある。後輩君は死刑制度の維持派かい? それとも廃止派?」


 と、言われても、これまで考えたことも無いことに、賛成も反対も意見は無い。


「いきなり言われても、どっちとも言えないとしか」


「おや? 後輩君はてっきり死刑制度には賛成派かと思っていたんだが?」


「どっちか、と主張できる程に死刑に詳しくも無いんで。どっちがいいとか悪いとか、まだ解らない。今日は僕先輩がそれを教えてくれるんじゃ?」


「いいね。知ってるつもりで解った振りで適当に答えるよりは、ずっといい」


「ソクラテスも知らねえもんは知らねえよって言ってたような」


「おや? 後輩君はソクラテス派だったのかい?」


「おもしろいのは、キュルケゴールとウィトゲンシュタインあたり?」


「僕はカントとアリストテレスがお薦めだ。さて、日本には死刑制度があり、この死刑制度を維持したいという人もまた多い。一方で、世界を見れば死刑制度を廃止するところが増えている。それで日本でも死刑制度の維持か反対かで議論になったりするわけだが」


 俺は適当に言っただけで、詳しく読んでもいない、ざっと目を通しただけの哲学者の名前を言ってみただけだ。僕先輩はじっくり読み込んだ上で言ってるのだろう。

 もっとも、僕先輩は、マルクスはマルクス主義者では無いし、フロイトは弟子がフロイトの名前で広げ過ぎ、とも言ってる人だ。人におすすめしといてその後で、僕は違うと思うけどね、なんて言いそうだ。


 僕先輩は美味しそうに紅茶を一口飲む。その小さい頭で今度はどんな不謹慎を煮込んでいるのか。それが好物になってきた俺も、僕先輩に毒されているのかもしれない。


「死刑という極刑について議論するとき、自分の死生感を相手に押しつけるような言い方になり、感情的な言い合いになってしまうことが多い」


「あー、死刑は残酷だ、とか、切腹は潔い、とか?」


「では、どうして世界では死刑制度を廃止するところが増えているのか? というのも疑問だ」


「そこは宗教感の違いから、死生感が違うとか?」


「そういう人の精神や道徳感、倫理から死刑は残酷だと廃止になっているのなら、人はまだまともで、考える葦と呼べるのだろう。しかし、実態はもっと現実的だ」


 僕先輩は親指と人指し指で丸を作る。


「金だよ、金が無いから死刑を廃止にしているんだ」


「金って、そりゃえらい現実的だ。リアリティ溢れる話だ」


「アメリカでは州ごとに死刑のある州、死刑の無い州がある。その中で、州の財政が厳しい為に、財政負担の高い死刑制度の廃止が検討されるんだ。死刑を執行するまでにかかるコストが終身刑の十倍になるケースもあり、死刑を廃止することで財源節約効果がとても高い」


「死刑の方が終身刑よりもコストが高い?」


「その通り。死刑については、冤罪の可能性を減らす為にも裁判が長期化する。極刑であるために審理が慎重になり、何度も裁判をすることになる。また、死刑を求刑される被告は自費で弁護士を雇えないケースも多いから、公選弁護人の費用もかかる。収監施設、死刑執行のための設備維持費なども財政の負担だ」


「人件費に設備と、あぁ、死刑が廃止されれば死刑の為の設備も装置も維持しなくていいし、廃棄できると」


「カンザス州では、死刑囚一人にかかる費用が126万ドル。一方、終身刑囚にかかる費用は74万ドル。単純に比べるだけでも、死刑囚を終身刑囚に変えることで、約52万ドルのコスト削減ができる」


「死刑にする金が無いから終身刑、というのも世知辛い話だ」


「更には、刑務所の中で囚人を働かせるにも、死刑囚とは既に極刑が決まっている。労働させられない。死刑になると解っていてマジメに働くものか。無期懲役でも、更正されたと認められれば釈放されるかも、となれば頑張って働く者もいる」


「刑罰も金が無ければできないと。意外と切実な理由だったとは」


「いやいや、金が無いのは首が無いのと同じこと。高い理想を歌っても、それで誰もがボランティアをしてくれるわけじゃあ無い。それで、あの手紙になる」


「死刑執行人のお願い、と?」


「その通り。社会に死刑制度が必要だと言うなら、死刑制度の維持に貢献するのが、社会の一員の義務。そうだと思わないかい?」


「それで死刑執行人? 個人的には会ったことも無い、まるで恨みも無い人を、さくっと殺せる人もそうそういないだろうに。社会正義の為にって、死刑囚をその手で殺せる熱血正義の人も、そんなにいないと思うけど」


「国に税金の無駄使いをやめろ、と言うなら、これほど財源節約になることも無いんだけど。これで死刑制度を維持するためには、オリンピックのようにボランティアに頼るのも、ひとつの手段だと思うんだけどね」


「死刑とオリンピックが同列とは」


「昔はギロチンも見世物として人気があったんだよ。どちらも国家のイベントとして見れば大差無い」


 ギロチン処刑が見世物の時代を持ち出すとは、物騒な比較だ。だが、


「コストがかかっても、死刑は必要だ、という人もいるのでは?」


「刑罰に金の話を入れるのは間違いだ、という死刑維持派の意見もある。金の話になると下衆に感じられるみたいで、死刑制度にコスト面の話をするだけで、真っ赤になって怒る人もいる。くふふ」


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