第20話 怪力童子

(一)

「またおにぎり持ってきたよ。」

走りこんできた彩芽に詮子はにっこり笑った。

「おお、すまぬな。」

格子の間から差し入れられた竹皮の包みを開け、手づかみで握り飯に噛みつく。

「お腹が空いていたんだねぇ…おいしい?」

詮子は夢中で食いつきながら、美味美味と言った。

「ああ幸せ…鬼の食い物は不味くていかんな。」

差し出された竹皮を受け取りながら彩芽は微笑んだ。

「こんなもので良ければ、いつでも作ってきてあげる。」

山に夕闇が迫ってきて、周囲の木々が黒々となっていった。

「こんなところに一人でいて怖くないの?あたしが酒呑童子にかけあおうか…。」

詮子はフフンと鼻をならす。

「怖いものか…わらわは摂関家の娘じゃぞ。そこいらの娘とは違う。」

へぇ、さすがは将来の中宮様、これは言ってはいけないことのような気がするから話してないけど。

「しかし、捕まってびっくりとはこのことじゃ。捕まった女子供はとっくに犯され食われたことと思っておった。そうでなくとも、奴婢のようにこきつかわれているじゃろうと…まさか、こんなにのんびり、幸せそうに暮らしておるとは…。」

彩芽はここが褒められてうれしそうだ。

「一応逃げられないようにしてあるけど…誰も逃げようとはしていないんだ。みんな、ここにいる方が安全で豊かに暮らせるって気づいたから…。農作業も強制じゃないよ、自分たちの田畑を喜んで作っているんだ!」

しゃべりながら彩芽は、こういうの封建制のあとの共産主義って言うのかしらと思った。

「ふん…酒呑童子の奴め、何を考えておるのか?」

「そりゃ…」

彩芽はぴんと背筋を伸ばした。

「理想の国よ!」

詮子が上目遣いに彩芽を見る。

「理想…鬼に支配されてか?」

貴族の支配よりましよ!言いかけて彩芽は口をつぐんだ。

「酒呑童子は支配とか考えてない気がするけどなぁ。」

「支配なくして世が治まるものか!野盗の横行する無法の世となるわ!」

ああ、それには夜警国家ね。

ここまで話して、彩芽は詮子の賢さに驚きながら、時代のバックボーンを越えられない思考の限界があるのだろうと思った。いろいろあっての現代なんだなぁ…

「あれ、なんか聞こえてこない?」

 微かにだが、人の唸り声のような…

「どこぞの鬼でも唸っておるのではないか。」

うん…そうかも知れないけど、これ地面の中から聞こえない?

うーっ、うーっ、うーっ

苦しげな声、男の人のような…


(二)

「今までに無い鬼になり方だと…。」

酒呑童子の前に立つ茨木童子は得意そうだ。

「そうさ…このやり方なら苦もなく仲間を増やせる。不可能だと思っていた鬼の世が作れるんだ。」

酒呑童子はいぶかしげだ。

「いいかい…あの金太郎、普通の人間にしては鬼を超える怪力…おかしいとは思わなかったのかい。実はおかしくないのさ、だってあいつは、なり方こそ違うが鬼なんだから!」

茨木の熱弁が続く。

「あの金太郎は戦で家を焼かれ、死んだ母親の下で冷たくなっていたのをあたしの姉の紅姫、安達ケ原の鬼婆と呼ばれた鬼が拾ったのさ。そして死んだ赤子に自分の乳、つまり鬼の血を流し込んだ。そうすると、間もなく赤子は目を覚まし激しく泣き出した。これどういうことだい?」

茨木はニヤニヤしている。

「鬼は普通、死にかけた人間や死んだ直後の人間が強い恨みや生きたいという渇望からなるもんだ。しかも誰でもなれるもんじゃなくて、修行によってや生まれつき強い精神力を持てた者のみがなれる。そうだから、鬼はめったに生まれないし増えない。そう思ってきた…」

ふふふふ、ついに声を出して笑った。

「ところが別の方法があった。鬼の血だよ…死にかけた人間や死んだ直後の人間にあたしらの血を与えれば鬼になる。いや、血じゃなくてもいいんだ。乳でも…精でもね。もしかしたら、死にかける必要すらないのかも…。」

「鬼の世か…」

「そうさ、人間を鬼に変えられるんなら際限なく増やせる。不可能と思った鬼の世が出きるんだ。あんたのいう理想の世、人の世なら無理でも鬼の世ならできるんじゃないのかい!」

頬杖をついて考え出した様子の酒呑童子に茨木がささやく。

「だからさ…あの娘、抱いちまいなって…あんたの精をあの娘の奥深く注ぎこんで鬼にしちまえば、誰はばかることない鬼の夫婦の出来上がりさ。ひょっとしたら子供も出来るかもしれない。あんたに惚れてるあの娘だって望むところだろうさ…。」


(三)

ぐるるるるる…

地中深く鍾乳洞に作られた牢

熊童子は手足を鎖で縛られた大男を見つめていた。

ガチャガチャ、うーっうーっうーっ

普段剃り上げられていた頭頂は剛毛が伸びてボサボサになり、顔中に髭が生えてまるで熊のような姿である。

「元の主人の姿を見にきたのかい?」

いつの間にか後ろに茨木童子が立っている。

前に出て大男の姿を楽しげに見る。

「おお、なかなか鬼っぽくなってきたじゃないか。」

ぐぉおおおおおお

大男は茨木につかみかかろうとしたが、鉄鎖によって引き戻された。

「無理無理…、その鎖は特注でね。この熊童子だって引きちぎれやしないよ!」

ぐぅおおおおおおおおおお

大男は全身に力を込めた。くいしばった犬歯がにょきっと伸び、その額から2本の角が伸びる。

「いいよっ…とってもいい。見るがいい熊童子…新たな鬼、強い強い鬼の誕生だ!」

ぎゃううううううううう

むくり…大男の巨体が一回り大きくなった。

ばん ばん ばん

鎖が同時に引きちぎられる。

ごぉわああああああああああ

鍾乳洞が震えるほどの咆哮

それは怒りと歓喜の混じったような響き

「いいねいいね…この姿、もはや金太郎なんて名は陳腐だね。怪力童子…、そうさお前は怪力童子だ!」

哄笑する茨木童子の横で、熊童子は何とも言えない表情を浮かべていた。


(四)

僕たちは丹波の山中を進んでいた。

目的地の大江山は丹後山中でも海に近い奥地…。

みんな押し黙って山道を進む。

わかってる。みんな金太郎のことが心配なんだ。

口に出してもしょうがないから黙ってる。それだけ

…でもみんな知っている。進む先に金太郎がいることを

だから、疲れても足を止めないんだ。

「四大童子のうち虎と狼は討ち取った。残った敵の主なる戦力は熊、牛鬼、茨木、そして酒呑童子の四匹だ。万の軍勢でも敵わぬものを、なかなかの戦果ではないか。」

じいさんが珍しく口を開いた。この空気に耐えられなかったのかな…。

「しかり…しかも牛鬼については火に弱いことがわかっておりますし、熊にいたっては剛力のみが能力。襲ってきても十分対処出来まする。茨木についても奈良の戦いで私と千鳥殿で圧倒しており、もはや怖れるべき敵は酒呑童子ただひとり!」

ヤロウが偉そうに…しかも、奈良での僕の活躍を無かったように言ってるし。

「そうは言っても、酒呑童子の能力は桁外れ…仮に他の鬼がいないとしても手強すぎる相手でござる。」

綱さん真面目…。ヤロウいい気味。

「酒呑童子に何か弱点は無いのですか?」

金太郎がいなくなって、最も落ち込んでいたのは千鳥ちゃん…いじらしい。惚れてまうやろー

「わかっておりません。きやつは火の化身とも言われますが、かといって水に弱いわけではなさそうです。」

ヤロウ、いろいろ知っているなら何か考えろや!

「ふむ…。」

じいさんが考え込んで、周囲はまた重い沈黙が支配した。

ごっ……!ずどーん!

「きやっ!」

突然目の前に大岩が降ってきた。

全員飛び退いて避ける。

「鬼の襲撃かっ!」

綱さんが岩が落ちてきた崖を見上げた。

日の光に照らされた巨体

全身毛むくじゃらの獣人?

見たことのない鬼

ごぉわああああああああああ

凄まじい叫びを上げると崖から飛んだ。

「むっ!」

綱さんが鬼斬丸を抜き鬼に向かって飛んだ。

きん!

空中で金属どうしが激しくぶつかる音

「まさかりだとっ!」

弾き飛ばされ落下しながら綱さんが叫ぶ。

どぅううううううう

鬼が着地した。地震のような揺れ、縦横に地面にヒビが走る。

「金太郎さん?」

引く絞った神弓を緩めて千鳥ちゃんが呟いた。

これが金太郎…面影全然ないけど

鬼が振り向いて吠えた。

「金太郎さんっ!」

だから、千鳥ちゃんこれのどこが…

あれ、鬼が軽く怯んでいるような…

「金太郎さん…、金太郎さんなんでしょう!」

ここまでくると女の勘ってやつ…

そうなら金太郎、どうやって鬼にされた?

ぐぅわああああ

鬼が頭を押さえて苦しみ出した。

「今だ!」

ヤロウが呪文を唱えに入る。

「季武様、やめてください!」

鬼とヤロウとの間に千鳥ちゃんが両手を広げて立ち塞がった。

鬼が勢いよく空へと飛び上がり、みるみるけし粒ほどの大きさになった。

「金太郎さん…」

空を見上げて千鳥ちゃんが呟く

本当に、本当に金太郎なのか?

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