第6話 大陰陽師

(一)

ぼっ ぼっ ぼっ

庭のかがり火

人もいないのに勝手に火が灯った。

映画で似た場面があったような、

これが種も仕掛けもないなら、やっぱり陰陽師とは魔法使いのようなもんか。

蝶は相変わらず僕の周りを飛び回っている。

庭は青草が生い茂り足の踏み場もない。

夏なので、ぶんぶんと蚊や羽虫が飛び回っている。

ばちん、ばちん

綱は顔にたかる虫を平手ではたきつつ、伸び放題の草を掻き分けて進む。

僕も顔やももを叩きながら後に続いた。

草の向こうに屋敷が見えた。縁側や板壁にもところどころ穴が空いたり、ひびが入っている。

綱は偉い人のように言っていたし、実在したとは知らなかったが歴史上の有名人。それでもこの家の有り様は陰陽師ってよほど貧乏なのか、晴明本人が無頓着なのか。

聞いてみたくなった。

「あのお…。」

前を進む綱がなんじゃという顔で振り向いた。

最初は嫌なやつと思ったが、決して悪い人じゃないな。

僕はこのぶっきらぼうな綱が、少し好きになっている。

「ここに住んでいる人って、あの安倍晴明さん?」

綱は意外そうな顔をした。

「なんじゃお前、晴明様を知っておるのか?」

「はぁ、知っていると言えばそうですし…知らないかと聞かれてもそうかもしれません。」

「珍妙なことを…知っておるのか、知らんのかっ!」

ビクッとした。

「知っていますっ!」

「ほう、それじゃお前は晴明様の知り人か?」

「知り合いかと聞かれればそうじゃありません。」

「わしをたばかろうてかっ!」

綱の右手が振り上げられた。

「暴力反対、落ち着いてください!」

綱は左手で僕のTシャツの首もとを掴んだ。

ぎりぎり首が締まる。苦しい…。

ぱあっ…

一斉に屋敷の灯りがついた。

綱が振り返ると、廊下に忽然として痩せた老人が現れている。

ごほっごほっ

つかまれたシャツが離された。

綱が地面に平伏している。

老人は静かに僕を見つめていた。


(二)

ぶーーーん

蚊の飛ぶ音が静寂を支配する。

いつの間にか、真っ暗な天には白い大きな満月

白髪の老人は見つめたまま一言も発しない。

綱も地面に伏せたままじっと動かない。

だんだんイライラしてきた。

「あのぉー。」

緊張のあまり声が裏返った。

きっ、伏したまま振り返った綱が睨み付ける。

「よい…。」

老人の声は意外に若々しい。

「何か?」

中に光のない、吸い込まれるような黒い瞳だ。

勇気を振り絞ってと

「あなたは、あの安倍晴明さんですか?」

我ながら間抜けな質問、しかし老人はそう思わなかったようだ。

「あの晴明…と言うか。面白し、巷の噂で知っておる程度ではなさそうな口振りじゃの。」

誘うような言葉に思わず口をついて出た。

「ええ、映画やドラマで…。」

瞬間、晴明の目に光が宿った。

しまった!何かまずったかな…。

「この者、鬼に襲われ全滅した村の井戸に隠れておったのです。奇妙な格好をし、持ち物も理解できぬ珍品ばかり…妖しかもしれぬと思いここへ連れてきた次第!」

極度の緊張から解き放されたのか、綱が弾かれたように一気に喋った。

晴明は大きくうなづいた。

「承知しておる。わしはこの者、一緒に女子もおったが、この者どもが貴船に現れ出でたときより、ずっとこの眼で見ておった。」

えっ…なんだって!ずっと見てた?

綱は貴船のきの字も言っていないのに

それに現れ出たって言った。

しかも彩芽のことまで

…見てたとしか思えん。

でも、どうやって?

このじいさん…本当に魔法使いなのか?

「怪訝な顔じゃな…。」

晴明の口の端が少し歪んだ。笑ったのか?

しゅっしゅっ

僕の疑問を知ってか知らずか、老人は宙に向かって指で十字をきった。

「フナ虫っ…。」

先ほどの蝶が晴明の方へ飛んできて、顔の前で縦にくるくる旋回し始めた。

ぐるぐるぐるぐる

旋回スピードは考えられないくらい速くなっていく。

もはや白い軌跡、線にしか見えない。

うんっ…線がだんだん大きくなってきたような

ばんっ!

何かが弾けるような大きな音

目の前にいつの間にか女の子が立っている。

12、3歳かな

くりくりした大きな眼、可愛い顔立ち

茶髪を両サイドでお団子に結んでいる。

何より、すらりとスマートな肢体に薄絹一枚まとっていない。ヌード、全裸、まっぱ、僕はロリコンじゃないけど眼のやり場に困る。

その娘は僕にニッコリ微笑んだ。


(三)

 晴明は僕のリュックから取り出したスマホなんかを、興味深げにひとつひとつ手にとって眺めている。

「ああそれ…電波飛んでないからほとんど使えないですよ。」

 意味なんか分かるんだろうか?

 晴明は僕の言葉にうなづいた。

 綱はいちいち不審げな色を浮かべている。

「晴明様、おわかりになりましょうや?」

 晴明はドローンをしげしげ眺めながら答えた。

「わかることは分かる。わからぬことは分からぬ。」

 からかわれたと思ったのだろうか。綱の眼に一瞬怒りの色が浮かんだように思えた。

「何が分かり、何がわからぬのでございます。例えばその妙な形のもの、いったい何なのかお分かりでござろうや。」

 晴明は飄々として綱を見ずに答える。

「はてさて、何なのやら皆目検討はつかぬ。」

「ではっ…失礼ながら分かることとは何でござろうや?」

 晴明は顔を上げじっと綱を見た。見つめられた綱のこめかみを一筋汗が流れる。

「まあ、そう急くでない。」

そう言うとパンパンと手を叩いた。

奥からさっきの女の子が、お盆のようなものに白い徳利と盃を乗せて現れた。

さすがにもう裸じゃない。

ピンクの着物に、薄いグリーンのフワッとしたパンツのようなものを履いている。

こちらに流し目、ロリコンじゃないけど惚れてまうやろー。

「拙者はただ今、これでも仕事中ゆえ酒なぞは…。」

 綱の言葉に晴明は再び口の端を歪めた。

「申し訳ないがの…酒なぞという贅沢なもの、我が家には無いでの。」

「しかし、これは…。」

「水じゃ水。鴨川の清水…。」

女の子が僕に盃を渡し、とくとくと透明な液体を注ぐ。

臭いは…しない。色は…無い。どう見ても水でしょ。

くっと一気に飲んだ。

「!」

うまいっ!何これ?

女の子に盃を向けておかわりを促す。

うん…うまい。味はうまく説明できないけど、ほのかに甘くてジュースよりよっぽどいける。

綱も飲んで唸りをあげた。

ひとしきり感嘆していたが、思い出したように晴明に向き直った。

「それで…分かることとは何なのでござる?」

さすがの晴明もやれやれという顔をしたが、ドローンを床に置くと静かに綱を見た。

「分かることとはな…。」

ごくっ…綱が唾を飲む。

「こやつの正体じゃ。」

えっ!まさか妖怪とか言わないよね。

「こやつはな…。」

僕の喉もごくっと鳴った。

「稀人、まれびとと言う存在じゃ。」


(四)

「まれ……何と申されました。」

「ま・れ・び・とじゃ。」

「聞いたことがござらぬ。妖しか何かで?」

「そうではない。言ったじゃろう…まれびとと、つまりはヒトじゃ。」

「それでも、まれ何とかという以上、ただ人ではござらんのでは?」

「いや…ただのヒトじゃろう。普通より、やや助平ではあろうが。」

「ただの人なら、なんでまれなぞというややこしい呼び名がついておるのでござる?」

「この世の者ではないからじゃ。」

 綱の顔色が変わり、床に置いた太刀に手が伸びた。

「やはり、妖しの類いでっ!」

「よう話を聞け、妖しではないと言うたに。」

「それでは、怨霊か何かで!」

「ヒトだと言っておろうが…。」

「しかしっ、この世の者ではないとっ。」

「この世の者ではないとは、あの世の者ということではないぞ。」

 綱は首をひねった。

「分かりませぬ!晴明様は一体何を言っておいでか。」

 どう説明したものか…今度は晴明が首をひねる。

「お主、浦島太郎の話を知っておるか?」

「はっ…竜宮城へ行くあれでござるか?」

「そうじゃ…あの浦島太郎こそ稀びとよ。」

「えっ!あれは作り話では無いのですか?」

「あれは作り話よ。じゃが、竜宮があるかは別として浦島のような男が実際におったのじゃろう。」

「どういうことでござる?」

はぁ、分かりの悪い頭じゃ。

晴明はため息をつきながら話を進めた。

「千年前に生きていた男が、ある日ひょっこり千年後にやってきて周囲にその話をした。そういうことが物語となったのではないか。それが稀びとの話よ。」

「それではこやつは千年前の…。」

「そうではなかろう…。千年前は神代。そのころのこと、衣装やら何やらは一部記録にあるが、この男の格好、持ち物はそのどれとも違う。千年前からやってこれるなら、千年後からやってくることも出来るのではないかな。」

「それではこやつは…。」

「そうじゃ、千年後からやってきた稀びと。そうではないかな?」

晴明の視線が突き刺すように僕へ向かった。









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