第5話 京のみやこ

(一)

夢じゃないなら本当にタイムスリップしたんだ…。

馬の背で揺られながら僕は思った。

都に近づくと道の左右にちらほらと人家が目立ちだす。

人家の周りには、あの村より更に粗末で汚れた衣服を着た人々が虚ろな目をして座り込んでいる。

一様に痩せこけた姿、子供も大人も老人も目が落ち窪んで下腹がぽこんと出ている。高校の歴史教科書で見た餓鬼を思わせた。

こちらへよろよろ近づいて来る者たちがいる。

手にひびの入った椀を持って…

渡邊綱と名乗った侍は、ハエでも追うように鞭をぶんぶん振って近づかせない。他の侍も同様である。

「あ…。」

僕の乗る馬へも近づいてきた。まだ若い…女の子?

声にならない声で何事か訴えながらよろよろと

ピシッ

僕と女の子の間に馬を寄せた渡邊綱が、鞭で伸びてきた手を払った。

ひどい…。

僕の抗議の視線をにらみ返して綱は言った。

「ひどい飢饉ばかりでない。ひどい疫病、死病も流行っておるのだ。お主も死にたくなくば近寄らんことだ。」

そう言って馬の脚を早めた。

他の侍もそれに続く。

馬になれない僕も必死でついていった。

後ろで微かなうめき声が遠ざかる。

そうか、この時代は医者もいなけりゃ衛生も最悪なんだ。

乏しい歴史知識を引っ張りだした。

奈良から平安にかけ、大きい飢饉や疫病は何度かあったような…

ところで前をいく綱の馬には僕のリュック。

スマホはその中だ。

この状況を動画で撮りたい。

YouTubeにアップすれば100万どころか1億視聴行きそうな特ダネだ。

状況の悲惨さはさておき

リアル平安時代の映像だから

間違いなく億というスポンサー収入がっ…。

乱れ飛ぶ札束、金の延べ棒

タワマン、リムジン、高級ワイン、いい女たち

妄想でヨダレが出た。

ちょっとベタで陳腐なのはご容赦

普通の家の子供だからな。

彩芽のことはもちろん心配だが、生まれつきのお気楽な本性が出ちゃったぞ。


(二)

京の都というやつに近づいた。

中心に近づくと町の感じが明らかに周辺とは違う。

貴族の館なのか、外から見ても明らかに広大な庭をもつ荘厳で大きな屋敷が立ち並んでいる。

白壁に挟まれた広い道には、これまた白い玉砂利が敷き詰められている。

ゴミひとつ落ちていない綺麗な町

周辺とは大違いで、こちらがむしろ現実感が無い。

民衆の惨状に目を閉じ耳を塞ぎ、我が世を謳歌する権力者ってやつか。

そんなのに興味はない。興味ないけどなんか腹立つ。

さっきの妄想はさておいて

こんな僕でも

あんなもの見ちゃったから…

嫉妬じゃない、正義感ってやつ。

あれあれ?

綱に馬を寄せて部下の侍が何事か話している。

南西…凶方…方違え…

聞いている綱はイライラを隠さない。

「我らは侍っ、貴人でもあるまいし…そんなこといちいち気にして検非違使が務まるかっ!」

提案した侍は食い下がる。どうやら進む方向を一旦変えないと縁起が悪いらしい。この時代の人ってやっぱそういうの気にするんだなぁ。まぁ現代でも験担ぎって残ってるしね。わからんじゃあない。

綱はプンプン怒りながら十字路を右へ曲がった。

やっぱ無視できないんだなぁ。この時代の人は…。


ぶもぉおお


角を曲がると目の前に大きな黒牛が現れた。駕籠というのか後ろに大きな箱車を引いて、牛の周りには白づくめの衣服に黒い帽子の数名の男。車の背後には守護の侍だろうか馬にまたがり、背に弓矢を背負った2名の屈強な男たち。

気づけば綱たちは全員馬を降り、道の端で地面に膝をついて平伏している。きょとんと見ていると、綱が慌てて僕を馬から引きずり下ろし地面に引き据えた。

「何を…。」

綱の大きな掌が口を塞ぐ。僕の前で車が止まった。

御簾というらしい、白い服の男が走ってきて、箱に吊り下げられたござのようなものをするすると巻き上げた。

箱から何とも言えない良い香り、艶のある黒髪が外へなびいた。

「こっ…これは詮子さまっ!」

優雅に出た小さな頭を見て綱が地面に頭をすり付けた。綱の部下たちも次々と頭を下げていく。

何をやっているんだ?

車から出た顔は、真っ白く美しいがまだほんの子供

あどけなさは隠せない。

7、8歳というところかな…。

歴史に疎い僕は、その女子がときの権力者である藤原道長の娘・詮子で、数年後一条帝の中宮となる貴人だとは知るよしもなかった。


(三)

「面妖な格好じゃ。何者か…。」

箱から顔だけ覗かせた美少女は大人びた口調だった。

僕が答えるのを遮るように綱が大声で答えた。

「ははっ…。この者、鬼に襲われし村におった者にて、珍妙な風体で怪しげなる物を所持しておったゆえ、陰陽寮に引き立て陰陽頭のお知恵お借りに参るところでございまする。」

美少女は不快な様子で柳眉を逆立てた。

「ふん…晴明か。」

ちらと僕を見る。僕もじっと見つめ返す。気づいた綱がにじりよって僕の頭を地面にこすり付けた。

「無礼者めっ…命惜しくば平伏していよっ!」

美少女は怪訝そうに綱を見た。白服の一人を指し招いて、扇で口元を隠しながら何事か確認している。

「ほう…そうか、渡邊党の…。」

切れ長の美しい眼が妖しく細められた。

これが年に似合わぬ漂う色香というのかな…

「面白し、詮議が終われば屋敷まで引き立てて参れ。」

扇の奥の目が、きらりと光ったような気がした。

「はっ…されど…。」

まだ何か答えようとする綱をおいて、牛車はぎいぎい音をたてて出立した。

「噂どおり…若年に似合わぬ聡明さ美しいさ、したが得体の知れぬ御方よ。」

牛車が見えなくなるまで見送って綱がポツリとこぼした。

そして僕を見ると同情したように言った。

「お前もえらい御方に見込まれたの…。」

どういう意味だ。

聞き返そうとする僕を無視して馬にまたがり、片手で僕も馬に乗るように指し招いた。

「急がぬと日が暮れる。晴明様のもとへ、一条戻り橋へと向かうぞ。」


(四)

方違えという儀式に従い一旦北へ向かった僕らは

辻を西に折れ、しばらく進んで南へ向かった。

日は既に西へ傾きかけ、白壁も白砂利の道もオレンジに染まる。

ふと気がつくと僕の乗る馬の首あたりに

ひらひらと紋白蝶が舞っている。

まるで案内でもするかのように

馬の周囲を飛び回る。

綱はじめ男たちは一様に押し黙っている。

目的地に近づくにつれ緊張が増しているようだ。

確か向かっている先は安倍晴明のところ

歴史音痴の僕でも知ってる。

映画やドラマになったからな

しかしびっくり、実在の人物だったんだ。

映画みたく魔法使いのような人なのかな。

そんなに狐に似ておるか?

そんな台詞あったっけ…。

辺りが暗くなる中、蝶はひらひら飛び続ける。

目前、薄闇に小さな橋が浮かんだ。

明らかに朽ちてぼろぼろ、崩れかけた橋だ。

橋の先に小ぶりの屋敷が見える。

これも橋に負けず劣らず古くてぼろぼろ

白壁はところどころ破れ芯をなす割竹が飛び出ている。

屋根も穴があちこち目立つ、雨が降ったら大変そう。

僕は霊感など持っていないが、ぼろぼろは別としてその屋敷はなんとなく嫌な感じがした。

男たちは橋の手前で一斉に馬を降り、川のほとりの松につないだ。

「お前たちはここで待て。」

綱は僕を手招くと用心深く橋を渡っていく。

蝶が僕の周りをひらひら飛ぶ。

僕は足元に気をつけながら橋を渡った。


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