⑫妖怪は人間の血を流すか

「ク、クロハネ……?」

返事は、ない。彼の左胸には、真っ赤な血がどす黒く滲んでいる。

「クロハネ!」

コンが叫ぶと同時に、研二とカエデが駆け寄って来た。

「あれまぁ、今度はクロハネかぁ。またキムナイヌの仕業かなぁ?」

研二がまたも挑発めいたことを言う。

「だからゴウリは犯人じゃねぇって……」

「まぁ待ちなよ、この足跡、またキムナイヌのじゃないの?」

振り返ると、クロハネが落ちてきた場所の後方、山の方角からゴウリのものと思われる足跡が行き、帰り共に付いていた。

「足跡だけじゃ、わからないわよ。私たちの足跡だってあるんだから」

「本当にそうなの?だって、見てたけどさ。今クロハネは屋根の上から落ちてきたよね。果たして人間に、屋根の上まで遺体を持ち上げたり、投げ飛ばしたりすることが出来るかな」

「投げ飛ばされた?何故そう言えるんだよ」

ちっちっ、と指を振り、研二はゴウリの足跡付近を指さす。そこには。

「えっ……なにこれ」

「クロハネはそこで殺害されたんじゃないのかな」

大人が雪の上で倒れ込んだような大きな穴が、そこにはあった。確かに人の形をしていて、深さもそれくらいだった。そして、血痕もあった。

「もう殺しちゃったら?いい加減待つの飽きてきたよ」

研二は怠そうに背伸びをし、こちらを呆れた様子で見やった。

「ま、まだ時間じゃないわよ……」

「粘るねぇ。まぁ、待ってあげようか。あ、アリバイ調査なんかに協力する気はさらさらないからね。それじゃ」

そう言い残し、研二は館へと戻っていった。

カエデはこちらに何か言おうとするが、結局黙ってしまった。

「……探さないと」

「え?」

「証拠、探さないと。ゴウリを助けるのよ」


それからまずはクロハネの遺体を調べた。胸に小さな円形の傷がある。

「これ、銃創じゃないか?」

傷を指でなぞり確かめてみる。小さく円形に穴が開き、服が少し焦げていた。

「銃創って、拳銃とかによる、あれ?」

「そうだ。拳銃かどうかはわからんが、間違いなく銃とかによる傷だろうな」

「猟銃があるって言ってたわよね」

「恐らくそれだろうな」

ということは、クロハネは地上で銃で撃たれ、屋根の上に移動させられた?いや、地上から屋根の上に運ぶ方法なんてあるわけない。ん……いや、あるかも知れない。

「なぁ、コン。ロープを使ってクロハネを屋根の上に運ぶことって可能か?」

「無理ね。もしこの場所でクロハネが殺されたなら、屋根の上に運ぶまでに雪の上を数メートル引き摺らなきゃいけない。でも、そんな跡はないわ」

そうか……これはダメか。くそっ。働け!萎縮した脳細胞!

「ん?なにかしら、これ」

コンが人型の穴の側の雪の中に、手を突っ込む。そして、何かを摘み出した。

「タバコの、フィルターね」

「んん?それ、俺のタバコのフィルターだぞ」

「えっ、あんたここで吸ったの?」

コンがびっくりした顔をしたので、慌てて弁解する。

「吸ってない吸ってない!でも、なんでこんなところに……」

「康一さんのタバコのフィルターってことはない?」

コンはそれをもう一度よく眺め、言った。

「ああ、銘柄が違うからな。まず茶色と白で色が違うんだよ。一発でわかる」

「そう……って、ん?」

コンは何かに気付いた様で、立ち上がって顎に手を当てている。

「どうした?」

「いや.......まさかね.......」

何かをぶつぶつ呟いたかと思うと、もう一度康一さんの部屋に戻ろうと言い出した。それに従い、後を追う。

「なんでまた康一さんの部屋に?」

「確かめたいことが出来たの」

そう言ってまた現場のドアを開ける。相変わらず外気が吹き込んでいるせいで寒い。

「如月、ちなみに今朝クロハネの声は聞いた?」

「聞いたぞ。それで目が覚めたんだ」

「それで、その後はどうしたの」

康一さんの部屋に飾られているウイスキー類の瓶をまじまじと見ながら、コンはそう聞いた。

「カエデに会って、裏口でゴウリに会って、窓が割れてることを聞いたな」

「なるほどね。となるとゴウリにももう一回会わないといけないわ」

そう言いながらコンはウイスキーが並べられていた棚を観察していた。そして指先でホコリを救い取ると、改めて部屋を見渡す。

「.......ないわね」

「何がだ?」

なんでもない、と言って部屋を出ると今度は裏口へと向かっていった。

「ゴウリからは何を聞くんだ?」

タバコに火をつけながら、一本をコンに渡して聞いた。

「おおよその犯行時刻よ」

「そんな大事な情報をゴウリが持ってるのか.......?」

「彼だからこそ、持っている情報よ」

そして突然の黒い影。やはり時間は要さなかった。

「ゴウリ、こんにちは。ちょっと聞きたいことがあってね」

コンがタバコを手渡す。

「ああ、答える」

そう言ってタバコを受け取り、彼はどしんと座った。

「あなたが窓が割れてるのに気付いた時、それはカラスの鳴き声がする前かしら?」

頭をボリボリ掻きながら、ゴウリは必死に思い出しているようだった。

「カラス.......この家のクロハネだよな。後だ。後で間違いない」

「うんうん。後、家の近くでタバコの匂いがしなかったかしら。これはさっきの事なんだけど」

ゴウリは頷き、答えた。

「した。行ってみたら、誰か倒れてた。人間の血の匂いがしたから、すぐ戻った」

「誰だったかまでは分からない?」

「すまん、よく見てない。でも人間の血の匂いがしたから倒れてたのは人間だと思う」

え.......?あそこで殺されていたのはクロハネじゃないのか?他の家人は誰一人としてあそこで死んじゃいないし、皆生きているはずだ。

「ゴウリ、血の匂いは近くまで来ないと分からないのよね?」

「そうだな、タバコはかなり遠くまでわかるけどな」

「ありがとう、大体分かったわ。また来るかも知れないけど、その時もよろしくね」

ああ、と言い残して彼はまた木々を揺らしながら山へと消えていった。

「どうだ?なんか分かったか?」

「まあね。でもちっとは自分で考えなさいよ、あんまり動かさないと脳みそ腐るわよ」

コンは何かを掴みかけているらしいが、俺にはさっぱりだった。むしろゴウリの証言で余計に混乱している。クロハネの事件であの場に倒れていたのが人間?どう考えてもクロハネだとしか思えないが.......しかしゴウリの習性を信じるならそれは人間ってことになる。そしてゴウリは「人間の血の匂い」がしたと言っていた。となると家人の誰かが怪我をしていることになる.......しかし、そんな奴なんてあの時点でいたか?

「あと少しで犯人も分かりそうね。後は未だ出てない物的証拠を押えるだけかしら」

「物的証拠?そんなもん何処にあるんだよ」

コンは右手の指を二本立てて言った。

「犯人を特定する証拠は恐らく二箇所にあるわ。一つは倉庫」

「倉庫って、二階のか。まあ、銃とか置くならきっとそうだろうな。で、もう一箇所は?」

コンは勿体ぶることなく、そしてどこか確信を持って言った。

「それは、浴室ね」

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