②妖怪保護法
受話器を取ったのは、言わずもがな俺だった。コンと出会ってからこいつが電話に出たためしがない。だから、電話番はいつも俺であるし、恐らくこれからもそうである。
「はい、白露(しらつゆ)です」
俺のではなく、コンの苗字を名乗った。これもいつものことであるし、何より事務所の名前が「白露妖怪相談所」だからである。
受話器の向こうの相手は、若い声の女性だった。要件を聞き、二つ返事で了承した。特別、深刻な問題や事前準備に関して問題は無いと判断したからである。
電話を切り、好物のからあげ弁当をつついているコンに案件の内容を伝える。
「次の依頼が来たぞ、日程は明日、場所は北の大地、北海道だ」
おおー、と珍しく歓声をあげるコン。
「北海道かぁ、美味しいもの食べられるかな、海鮮はもちろんスイーツとか超気になるよね」
「まぁ食べられるだろうが……仕事終わってからだぞ」
うんうん、と彼女は何回も頷いてみせる。小旅行気分で嬉しいのかも知れない。ここ何年も東京から出ていないし、いい気分転換にはなるだろう。
「で、問題の妖怪の種族は?」
「ええと、なんつったかな……カム……いや、キムナイヌだったかな?勉強した覚えがない」
それを聞いたコンの表情が少し曇ったのがわかった。
「げ、会ったことないやつだ。北海道特有種だもんなぁ」
「まぁ、大丈夫だろ。なにより名前が弱そうだぜ」
するとコンはにやりと笑い、何かを含んだように笑った。
「弱そう……ねぇ。くすくす」
「なんだよ、何かあったのかよ」
「いや別に。知らないで依頼受けたんだ、ぷぷ」
コンは質問に答えず、ただただ笑っていた。そして立ち上がると部屋の隅にある箪笥を開け、服を乱雑に引っ張り出し始めた。荷造りを始めたらしい。俺もそれに倣って始めるが、特別バッグに詰め込むものもなく、とりあえず開封済みのタバコのカートンとジッポライター、お気に入りのウイスキー瓶を数本放り込む。どんなに劣悪な環境でも最悪こいつらさえいればいい。
後ろのコンはせっせと支度をしている。よほど嬉しいのか、鼻歌が時折聞こえた。こんなに嬉しそうなコンを見るのは初めてかもしれない。たまには、どっかに連れ出してやるのもいいかも知れないと思った。帰ってきたら、仕事じゃなくちゃんとした旅行にでも出掛けようと思う。
一日前だったが、なんとかネットで飛行機のチケットも取れた。年末のせいかかなり高値ではあったものの、交通費も依頼人が出してくれるそうであるから問題はない。
支度を終え、ソファに横たわり目を閉じる。それほど疲れていたわけではないが、少し微睡んできた。このまま朝まで寝てしまおう……そしてそのまま出発だ。コンの下手くそな鼻歌を子守唄に、眠りについた。
突然の腹部への痛みで目が覚める。一瞬呼吸と思考が止まった。
「如月!おきろー!」
目を開けると、実に嬉しそうなコンが腹の上に乗っていた。というより立っていた。
「頼むから……おり……て……」
「あっ、ごめんごめん。さ、行こうよ」
コンの手を借り、立ち上がる。昨日まとめた荷物をもう一度確認し、出発しようとしたがお気に入りの酒瓶が無くなっていた。
「お前、また人の酒飲んだな」
悪びれる素振りも見せず、コンは
「妖狐はお酒が大好きなのよ」
とだけ言って玄関へと走っていった。いつもは妖怪と間違われたり妖怪扱いされることを嫌う割に、こういうときだけは妖怪であることを主張する。都合がいいというか世渡りがうまいのかわからないが、とにかく行く前に新しい酒を買わねばならなくなった。
コンのあとを追いかけ、コートを羽織り玄関を出る。外は猛烈な寒さで、一瞬で身体の芯まで冷えた。北海道はこれ以上の寒さだと思うと、少しだけ憂鬱になった。昔から寒いのは苦手である。歩きながら手を擦り合わせ、足早に最寄り駅へと向かった。
最寄り駅からはY線でH駅まで行き、そこからモノレールに乗り換えて空港まで一本で着く。ターミナルさえ間違えなければ迷うこともほぼほぼないだろう。
モノレールの車内でコンは、外の景色を見ながら少し落ち着かない様子で、不安げな顔をしていた。
「どうした?」
顔をこちらに向け、ぼそぼそと答えた。
「飛行機、乗ったことないのよね。少し不安」
これは面白いものが見れそうだ、と内心思ってしまった。軽い乱気流にでも遭遇しないか、少し期待してしまう。
「かかっ、大丈夫大丈夫。少し揺れるだけだ。電車と変わらん」
「ほんとに?」
ああ、と頷いて顔を背ける。こっそり、ほくそ笑んでやった。隣の席にいた全身真っ黒の一つ目妖怪が、ニヤケていた俺を見て少し俺から距離を置いた。そんなに不審者地味た笑いだっただろうか。どう見てもお前よりはマシだと思うのだが。
空港にはフライトの一時間前に着くことが出来た。早速チェックインを済ませ、受付で荷物を預ける。手荷物検査を済ませてしまうとロビーで一時間ほど時間を潰さなくてはならなくなるが、離陸する飛行機を見ながら酒が飲める店を知っていたので、そこに行くことにする。
「へぇ!お酒飲みながら飛行機みれるの」
先程の不安は忘れたのか払拭されたのか、元気を取り戻していた。いつもの怠さはどこへやら、ロビーを見回し、跳ね回りながら歩いている。
「あ、俺そこの喫煙所でタバコ吸ってくるから、ここにいてくれ」
「あっ、あたしも行く」
意外な返答に面食らった。コンはタバコを吸わないし、煙も臭いからといって好きじゃなかったはずだ。
「いいけど、煙たいぞ?」
「いいの、いいの。さ、いこ」
コンに背中を押されながら、喫煙所のドアを開ける。中にはすでに人が数人おり、紫煙を部屋いっぱいに燻らせていた。早速コンは顔を顰める。しかし、おもむろにパーカーのポケットに手を入れると、新品のタバコとライターを取り出した。
「え。お前タバコ吸わないし嫌いなはずじゃあ……ていうかそれ俺のだろ」
「まぁまぁ。今回の依頼で必要になるかも知れないから。で、如月。これどうやって吸うの?火がつかない」
依頼で使う、とはなんだ?もしかしてタバコの嫌いな妖怪で、タバコの煙を口から吐くと逃げていくとか?まあ、特定の何かが苦手という妖怪は確かによく居るが.......
コンにタバコの吸い方を教えると、コンは煙を深く吸い込んだ。同時に、派手に噎せ込んだ。
「お、おい。無理すんな」
「まぁ吸い方はわかったし。火もついたし。これでオーケーよ」
満足そうにタバコを指で挟んで見せるが、これがまた似合っていない。少し笑うと、「なんで笑った!」と足を蹴られた。
「じゃあ、カフェに行くか。出発前の乾杯といこうぜ」
エスカレーターを上り、目的のカフェへ入る。レジで俺はビールとソーセージの盛り合わせを頼む。コンはグラスに日本酒を注いでもらっている。つまみは……ナッツか。あとで少し貰うとしよう。
「わー!ほんとに飛行機見えるじゃん。あ!今飛んでったよ!」
そこそこ喜んではくれてるようで、よかった。ソーセージを摘もうと手をのばしたところで、腕をコンに掴まれた。
「なんだよ、食わせろよ」
「一本ちょうだいよ」
三本しかないんだ、タダでくれてやるものか。
「お前のそのカシューナッツとピスタチオと交換だ」
「ちっ、もってけ泥棒」
互いのツマミに舌鼓を打ち、酒をあおる。どちらも実に美味かった。するとコンが、真面目な顔で話し始めた。
「妖怪保護法のことだけどさ」
「うん?なんだ突然」
「流石に数が増えすぎてるわよね、妖怪が起こす事件」
あぁ、確かにそうだ。時に、現代は完全な少子高齢化により働き手不足が深刻化。そこで政府は絶滅したと思われていた「妖怪」をなんとかして地方の奥地からかき集め、妖怪がより暮らしやすくするため、という名目で妖怪保護法を制定。そして妖怪に職を与え、人間の負担を減らし少子高齢化問題を改善しようと考えた。しかし真面目に働く妖怪もいれば、もともとの基質なのか、悪さをする、もしくは意図せずしてしまう妖怪もいる。その悪さをする妖怪を退治するためにこれまた政府から派遣されているのが俺ら、ということだ。
「良い妖怪はいいのよ、ちゃんと仕事もする、普通の人間に混じって生活もできる。ただ、明らかに問題を起こすやつが多すぎるわ」
「だな、最近それが如実に感じられるぜ」
「まぁあたしたちにはほとんど関係ないけど、あんた妖怪保護法の条文覚えてる?」
すっかり忘れていた、なんて言えるはずもなく、必死にタバコと酒で萎縮している灰色の脳細胞を活性化させる。
「み、民間人及び権限をもたなたい者は妖怪に危害を加えてはならない」
「そうね。あとは政府から認められた妖怪は雇用を保証され、不当な解雇はされない。まぁここは詳しいことは人間と同じらしいけど……」
ビールで口を湿らせ、ああ、と答えた。
「あとなんかあったっけ」
コンは「それしか覚えてないの?」と言った顔で呆れている。
「妖怪の起こした問題は、政府派遣の退治人及び相談所に一任する、よ」
「あぁ、そうだったそうだった。俺達の仕事のことだよな、相談所」
ええ、そうよ、とコンは酒をあおりながら窓の外を見て答えた。
「もし、もしよ」
深刻そうな横顔。去りゆく飛行機を眺めているのか、かなり遠くを見ているようだった。
少しの沈黙のあと、口を開く。
「もし、妖怪が人を殺したら、あたし達はどうすればいいんだろうね」
俺は、何も答えられなかった。
「私たちが待ってる権限のうちに、妖怪を処罰できる権限があるわ」
俺は黙って話の先を待つ。
「.......私たちは、人を殺めた妖怪を殺せるのかしらね」
この仕事に就いてから初めて、妖怪と人間の境目が曖昧に感じられた。
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