第13話 喫茶店再び
ランチで行ったお店は評判通り美味しかった。特にデザートで出てきたティラミスは、久々に食べたというのも相まってか、とても口に合った。また来てみたいと思うものの、お客さんの殆どが女性だったので流石に僕一人で訪れるのは難しい。
姉妹との散策もなんだかんだで楽しかった、と思う。陽さんは例の超能力云々ということが絡まなければ人懐っこく話しやすいタイプだ。加えて月さんも事前に聞いていた感じとはやや異なり、引っ込み思案という印象はあまり受けなかった。もっとも、ランチ中に沈んだ表情をしたと思ったら、一瞬で明るくなったりしてちょっと怖かった部分はあったが、別に気になるほどではない。
結局、姉妹とはランチの後すぐに別れ、僕はやることもないのでさっさと自宅に戻った。別れ際に二人と連絡先を交換したが、少なくとも僕から連絡することはあまり想像できない。怒涛の二日間はこれで終わりを告げて、再び僕にとって普通の穏やかな生活が始まるのだ。
とりあえず、入学式の準備をしておく。といっても、全く似合わない、着せられているというのにふさわしいスーツに皺がないか一応確認するくらいだ。また、本大学は総合大学ということもあり、新入生の数も相当多いので入学式は大学構内ではなく市内のホールで開催される。中々交通の便が悪い場所のはずなので一応地図だけ印刷しておく。もちろん実際にはスマホのマップを見ながら行くことになるとは思うが、念には念を入れて損はないだろう。
しかし、一瞬でやることがなくなってしまった。ということで、一冊だけ持っていた積ん読状態の小説を読む。今まであまり読んでいなかったSFというジャンルだが、タイトルにまず惹かれて紹介文を読んでみると、あまりによくわからない内容だったため、ついつい購入してしまったというものだ。
僕は着ていたカーディガンを脱いで、白いボタンダウンのオックスフォードシャツ姿になると、ベッドに仰向けになって本をめくり始めた。さて、あの紹介文は一体全体どういうことなのだろうか。
はっと気づくと、部屋の中は真っ暗になっていた。ベッドボードにおいてあるスマートフォンが震えている音で目が覚めたのだ。少なくとも中盤くらいまでは本を読んでいたはずだが、内容を全く思い出せない。結局、例の紹介文についてはよく分からないままである。その本は僕のお腹あたりで右手に潰され、数ページにはっきりとドッグイヤーがついてしまっていた。ちょっとだけ悲しい。できる限り本はきれいな状態にしておきたいものなのだ。
とりあえず、現在の時刻を確認するべく携帯を見てみると20時半を示していた。本を読み始めたのは15時過ぎだったはずなので、かなりの時間を眠ってしまっていたことになる。自分でも思っていた以上に今日の散策で気疲れしていたのかもしれない。
とりあえずバイブレーションの正体である携帯への通知を確認すると……一気に目が覚めた。
通知の正体は例の姉妹の一方からの連絡。一体全体何だ。気づかなかったふりをして、このまま朝まで眠ってしまいたいという欲求が頭をよぎったが、もうその通知に気づいている以上それを無視するのは忍びない。
ため息を一息ついてから、連絡内容を確認して……思わず渋面を作ってしまった。鏡を見るまでもなく自分の表情くらい分かる。
「行くのめんどくせえな……」
自分の感情をそのまま口に出してみると、意外なことにそんなに冷たい声は出ていなかった。感情と理性の間で揺り動いたものの、最終的には諦めた。とりあえず、長いお昼寝ですっかりしわになってしまったシャツを着替えることにした。
例の夜にしかオープンしていない喫茶店である。席に着いて思い出したが、実はこのお店の名前をいまだに知らない。『父さんのお友達のお店』とか『夜の喫茶店』とかいう程度の認識だったのだ。メニューに書かれているかと思ったが、『
約束は22時だったが、時間を潰すのも限界だったので21時半にはお店に入っている。例の文庫本を改めて一頁目からめくり始めるが、あまり頭に入ってこない。文字の列に四苦八苦しながら読み進めていると待ち人が現れた。
「あ、待たせちゃったね。ごめんなさい」
「いえ、お気になさらず。僕が早く着すぎただけだから」
そういうわけで、この場所で陽さんと二度目の邂逅である。
「今日はありがとう! 楽しかったよー」
もう夜だというのに彼女は朝見たのと変わらないくらいニコニコとしている。半分電源が落ちている僕にはそこまでの元気はないが、無愛想にするのも良くない。
「いや、こちらこそありがとう。普段はあまり行けないお店でランチできたし、楽しかったよ」
「あそこ美味しかったねー。頻繁に行くのは学生のお財布だと厳しいけど、また行きたいね!」
陽さんはパンがふかふか、スパゲティのクリームが濃厚、ティラミスが甘さ控えめなどと矢継ぎ早にランチの感想を述べる。その感想には全く同意だが、そこまでスムーズに感想を述べられるほど僕は口が達者ではないので、かすかに笑いながら相槌を打つくらいしかできない。電源オフ状態の僕だとこんなもの。大したコミュニケーション能力のないちっぽけな人間だ。
「それで、どうだったの?」
ランチの話題が終了し、全然関係ない雑談にジャンプする前にメールに記載されていた本題を切り出す。ざっくりと言えば、『月さんの件で共有しておきたいことがある』というように聞いていたのだ。
「はいはい。結論を言っちゃうと……ばっちりだね。少なくとも光太さんが一緒にいる間は変な感じはかなり収まっていたよ」
『変な感じが収まっている』と述べる彼女はあくまでもにこやかだ。でも、その言葉には嫌な留保がついていた。できれば気づかなかったことにしたいがそうもいかない。
「少なくとも……っていうのはどういうこと?」
「ランチの後、お姉ちゃんとぶらぶらしていたんだけど、ちょっとずつ元気が無くなっていって……という感じ」
何でもないように言っているが結構深刻な話のような気がする。
「はあ……それで僕に何かお願いがあるんでしょ?」
まだ出会って二日程度だが、これからの流れくらいは簡単に想像できてしまった。反対に、彼女からすれば僕がそれを断りきれないことも分かっているのだろう。
「えへへ。あの、昨日と同じ話なんだけど、改めてお願いさせて下さい」
「月さんと可能な範囲で、一緒に行動っていう話でしょ」
「流石、話が早いですねえ。そういうわけですねえ。後、もう一つ具体的な話がありましてですねえ……光太さんの授業スケジュールをお姉ちゃんにも共有してあげて欲しいわけですねえ」
なんだろう、正面切って『嫌です』と言う以外にもはや逃げ道がない。
僕はため息をついてスマートフォンを操作して自分の予定表のデータを探すのだった。
「あ、こちらにお願いします!」
そう言って彼女は自分のスマートフォンを見せてくるが、月さん、陽さん及び僕を含めた会話グループが表示されていた。どうもここに来る前にすでに作っていたようだ。
それを見た僕は……もう一度ため息をつくしかなかった。
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