第3話 予想外の登場人物です。
「お姉ちゃん、ちゃんと生活できているの?」
空港で合流して開口一番、そんなことをいう私の妹である。事前に連絡していたとおり、しっかりとダウンジャケットを着込み完全防寒態勢です。こちらでは4月といえども雪が降るくらいの寒さはありますから、スプリングコートでは流石に厳しいのです。ええ、現在進行系の実体験ですよ。実家から持ってきていた少ない荷物の中には冬物装備などあるわけがないので、仕方なしにふくらはぎくらいまであるコットン素材のステンカラーコートに空港まで来る際に慌てて購入したマフラーをあわせて、ちぐはぐながらもなんとか寒さを凌いでいるのです。
「
まだ一人暮らしから8日しか経っていませんので、家族が心配するようなことが起きるはずもないでしょう。結構ホームシックになっているのは内緒ですが。もちろん、妹の顔をみてホッとしたこともです。
「それならいいけど……初日にレシピを調べたものの結局コンビニ弁当ばかりとか、道を確認するのに大学まで行ってみようと思っていたのにいつの間にか夕方になっているとかそういう感じじゃないのかなあって」
さすが我が妹、完全に私の行動を完全に把握していますね。
しかし、これは決して私が分かりやすい行動パターンをしているからというわけではない。陽は子供のころからなぜだか異常なまでに鋭いのだ。お母さんの顔を見ただけでその日の夕食を当てたり、嫌な匂いがすると言って1キロ近く走った挙げ句に転んで足を折ったお婆さんを見つけたりなど、こういう話題を挙げたらきりがない。
「本当に、昔から外山家には『しっかりものの姉と変わり者の妹がいる』と噂されているだけはあります」
「言われていたのは『しっかりものの妹と変わり者の姉』、だよ」
知っています。ちょっとじゃれたかっただけなのです。
「しかし、お父さんお母さんは大丈夫なのですか?」
さり気なく陽が持ってきた私たちの身体ほどの大きさのスーツケースを引き取って改札に向かいます。ありがと、と言いながら陽は私の隣を歩き、肩が触れ合う箇所が少しだけ温かい気がしました。
入学式ということで、私の様子も確認するべく本来は両親がこっちにくる予定だったのですがあいにく風邪でダウン。そこで陽に白羽の矢が立ち今に至ります。
「万が一でもお姉ちゃんに移しちゃったら大変だからってだけで全然大丈夫だよ。私が出るときにはもう平熱近かったしね」
「それなら安心です」
「んで、お姉ちゃん!」
この話は終わり、と言わんばかりに陽は胸の前で両手をぽんと合わせる。
「ちち様はは様から軍資金をたっぷり頂いています!」
「ほほう、それはそれは……」
お互いに口角を釣り上げつつ見合わせます。私には陽のような能力はないですが、流石に陽がいま何を考えているくらいは分かります。
「姉に任せてください。すでに美味しいランチの店はリストアップ済みです」
「話が早くて助かるねぇい」
へっへっへと姉妹揃って笑いつつ、寿司か海鮮かラーメンか美味しいランチ目指していざゆかん。
と、意気揚々とホームへ通じる改札を通ろうとしたら、ICカードの残高が切れていて通れませんでした。
いざゆかん!
◇◇◇
道中あれでもないこれでもないと議論を交わした結果、無難に回転寿司を食すことになりました。私も陽も初北海道回転寿司三昧でしたが、やはりといってやりましょう、美味しいことこの上なしです。もしかしたら久しぶりに家族と一緒に食べたからかも、と思いましたが口には出しません。恥ずかしいので。
でも察しの良すぎる妹は、いつものように瞬時に把握して少し照れているようですね。
「じゃあ、ここで解散で」
「そんなわけないでしょ。ちゃんと部屋まで連れて行って」
家族といえども自分の部屋に人を上げるのは恥ずかしい、という気持ちも察して下さい、妹よ。
「それは察しているけど、軍資金を多めに出す条件としてお姉ちゃんの部屋の様子を写真に収めて報告することが挙げられています」
言ってなかったっけ、ととぼけるすがたは可愛らしいですが間違いなく言ってませんね。姉は陽ほど察しが良くないのですよ。
そういうわけで我が城の前です。
「これは……なんというか、よもぎ?」
「まあまあ。いいじゃないですか」
「別に悪くないけど、まさかここまでボロボロだとは思っていなかったよ。でも、確かにこの立地なら安全面はあまり心配しなくてよさそうだね」
「そういうことです」
そんなやり取りをしながら普段でも微妙に疲れる階段を登っていきます。今日は手に巨大なスーツケースがあっていつもよりも格段にしんどいです。
ここは姉の威厳をという気持ちもありましたが無理なものは無理なので、陽の手も借りつつよっこらよっこら。見た目よりは重くないものの、一体何が入っているのやら。
触れたものすべて傷つけるタイプの無機質な301号室の扉にまた何か言われるかと思いましたが、むしろ陽は隣の302号室が気になっているようです。なんだか落ち着かないようにも見えますが、ここで立ち止まっても寒いだけなのでさっさと中に入ることにします。
「へえ、中は全然いいねー」
とりあえずスーツケースは玄関に置いて置きます。陽は流れるように窓の外を見てみたり、台所の使用形跡を見てみたり、ゴミ箱の中を見てみたりとチェック&撮影に余念がありません。この流れは予想していたことなのでお弁当のゴミだけは今朝捨てておきましたので、毎日ハンバーグ弁当しか食べていないことはばれないと思います。
「ちゃんとご飯作らなきゃだめだよ。スーツケースの中にレシピ本いれてあるし、ハンバーグのページには付箋つけているから、あとで確認してねー」
……。
ばれてないですね、私の理解では。
「あ!」
「どうしました?」
これ以上は特に何もないと思いますので、驚いたふりをしたって騙されません。
「これ、お隣さんに渡す用の菓子折りでしょ! なんで一箱開けてるの?」
そういいながら陽が手にしているのは、地元の銘菓が入った贈答箱です。賞味期限はまだまだ先ですが、昨日小腹が空いていたので我慢できずつまみ食いしたのでした。
「つい?」
「つい?じゃないでしょ。ちゃんと挨拶しないとだめじゃない!」
陽は優しい子なので怒ったりはしませんが、すこし困ったような悲しそうな顔をしています。私が一番彼女にさせたくない顔です。
「ごめんなさい。でも聞いて下さい」
「なあに?」
「流石にお隣さんにどんな人がいるか分からない状況ですので、女の子たる私が行くのは厳しいです」
別に面倒だとか、後回しにしていたとか……そういう気持ちも否定できませんが、何よりも単純に怖いのです。
「まあ、分かるけど……」
私が言っていない言いたいことまで察してくれるのはこういうときありがたい。
「なので、」
もう一箱も開けちゃいましょう、と言おうとしたところで陽に遮られてしまいます。
「じゃあ、一緒に行かない?」
「はい?」
いいことを思いついた、みたいな顔をしないで下さい。
「私もお姉ちゃんの隣に誰が住んでいるか不安です。お姉ちゃんも今後の生活で不安です。なので一緒に確認しましょう」
「でも、実際にちょっとアレな人が住んでいたらどうするんです?」
「お父さんとお母さんに相談して、即引越しだね。もしかしたら寮とか学生会館になるかもだけど」
それは本当に嫌だ。確実に私は共同生活とかいうものに耐えられないと思います。
私の悲壮感が伝わったのか、陽は極めて軽い調子で私の背中を叩きます。
「大丈夫大丈夫。とりあえず、私が直に確認してOKならお姉ちゃんも安心できるでしょ?」
「まあ、陽のことは誰よりも信頼しているつもりですが……」
そう、陽の驚異的な直感は人物にも当然働くのです。一般的な善悪ということよりも、「その対象が陽や私にとってプラスなのかマイナスなのか」とかが分かるみたいです。どういう感覚なのか聞いてみたことがありますが、あまりに抽象的でよく分かりませんでした。しかし、その陽の直感は私にとっては絶対とも言える基準です。
「ということで今から行こう!」
「え、明日に……」
「しません。もし本当に引越す必要ありなら急がないとだめでしょ?」
正論に次ぐ正論で、少々正論酔いしてきました。二日酔いにならないといいのですが 。
私の返事を待たずに、陽は私の右手を掴んで隣の302号室前まで行ってしまう。
「なんだか随分積極的じゃないですか?」
「んー、まあいいじゃない!」
なぜかは分かりませんが陽の興味がマックスに達しているようです。私にも心の準備というものがあるのですが、私が静止する前にすでに陽左手は302号室の呼鈴を力強く押していました。
こういうときにぴったりな言葉があります。
もう、どーにでもなーれ。
格好良く言えば、後は野となれ山となれです。
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