第4話 この日の一回目の邂逅
新生活8日目。ちょっとずつ片付けを進めた結果ようやく完了した。男の一人暮らしにしてはいい感じに整理できていると思う。本棚にまだほとんど本が入っていないところは若干バランスを欠いている感はあるものの、これからの四年間の生活で徐々に埋めていくという寸法である。ちょうど明日資源ごみの回収日なのでこれさえ終わってしまえば部屋はきれいな状態になるだろう、ということでダンボールの類を縛って玄関に出しておく。
今日の残りの予定は近所のスーパーに買い物に行き、とりあえず一週間分の食材をそろえてしまうことだけだ。一人暮らしの宿命として、多めに食料を作ってそれをちまちま食べていくことになるが、流石に毎日作るほどの元気はないので仕方がない。何をつくるかは材料の値段と相談になるものの、まあとにかく行ってみよう。
色々とレシピを見たりしていて、結局夕方になってから一番近くのスーパーまで行く。徒歩十分程度で通うことができ、店舗規模も品揃えも中程度であるものの、必要十分な品揃えに申し分ない値段、と僕にとっては最高のスーパーといえる。色々考えたものの、鶏もも肉と野菜数種類にエリンギを加えたカレーを作ることにした。調味料は実家から持ってきていたので1500円程度の出費で済んだのは僥倖というほかない。これで何日保つかは実際やってみないと分からないが、せっかくの一人暮らしなのだから色々試行錯誤するのもよいものだ。
そういうわけで302号室に戻って、ささっとカレーを作ることにする。玉ねぎを飴色に炒めるとか、鶏もも肉に焦げ目をつけるとか工夫の仕方は色々あるだろうが、今回は極限にまで手抜きをしてみた。つまり、材料を適当にキッチン用のハサミで切断して煮込むだけという形だ。これだけの手順でも優秀なカレールウがあるので十分に美味しいものになると思う。
そういうわけで、材料を鍋に放り込み水道水をたっぷりいれ、いざ火にかける、というところで部屋の中に呼び鈴が鳴り響いた。
「え、誰だろう?」
もしかしたらたまたま家族がこっちに来る用事があったので僕の部屋によったのかもしれない。この部屋には呼び鈴を鳴らした相手の顔を確認することができるディスプレイなど存在しないし、なぜか扉にのぞき穴もついていない。つまり実際に玄関扉を開けるまでは誰が訪ねて来たのかわからないというなかなか攻めた仕様なのである。
「はーい、いまいきます」
とりあえず外にいる誰かに対して返事をしておく。居留守をしておけばよかったのかも、という考えが直後によぎるがもう後の祭りである。仕方がないのでガスコンロに火を点けていないことを念のため確認し、玄関に向かう。
躊躇してもどうしようもないが、万が一危ない人がいても大変困るので、せめてもの抵抗としてそっとドアを開けて闖入せんとする者を確認した。
「どーもです!」
「あ、こんにちは」
とても気持ちよく挨拶をしてくれたので、反射的に挨拶を返してしまうのは両親の教育の賜物かもしれない。
玄関の外には二人の女の子がいた。挨拶してくれたのは前にいる子のようで、妙にニコニコとしている。対照的に後ろにいる子は妙におっかなびっくりしている感じで、僕自身は何も悪いことをしていないのに申し訳ない気持ちになってしまう。端的な感想としては凸凹コンビといった具合だが、何者なのかはよく分からない。
これはもしや噂の宗教勧誘かと思ったが、二人がコートも着ていない状態であることに気づいた。
「はじめまして、私は
ペコリと頭を下げてくる。なるほど、やはり隣人さんだったか。今の挨拶からして、この元気な女の子ではなく、後ろの人が姉であり……。
「こ、こんにちは、隣の301号室に住んでおります仮巳
おどおどしたこの女の子が件の歌姫なのか。少しふんわりと仕上げた黒のボブカットで「私、おとなしいですよ」と全力で主張しているような雰囲気があり、僕の歌姫の印象とあまりにもミスマッチで内心動揺してしまう。その心の動きが表情に連動していないかやや不安になるが、自分の表情筋の頑強さを信じ、この場をやり過ごすしかないのであった。
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