第2話 お風呂「と」過ごす新生活


すでに新生活がスタートして一週間。大学の入学式までもう少しである。

今日のお風呂には入浴剤を入れた。入浴剤を入れる派と入れない派が存在するが、僕は断然入れる派である。

荷物の整理を行っている中で覚えのないダンボールが一つあったので、開けてみると父からのメッセージと大量の入浴剤が入っていたのである。値段が高いもの、というよりは日常使いできるお安いものがほとんどで、「これなら気軽に使えるでしょ」という父の配慮が伺える。「息子にはお風呂関係のものを送っておけば安牌」ということなのかもしれないが、よくわかってらっしゃる。いずれにせよありがたいことには違いなくお陰様で今年1年はしっかり楽しめそうだ。なお、1個500円もするお高いものもあったが、試験前とか誕生日とかの有事のためにとっておき、とりあえず湿気らない個包装タイプのものから使うことにしていた。

ちなみに僕のお風呂好きは両親から受け継いだものだと思う。話によれば、母方の祖父、父方の祖母もお風呂大好きということでもはや一族の伝統といっても過言ではない。

そういうわけで別に疲れているわけでもないが、しゅわしゅわという炭酸の音を楽しみながら肩までゆっくり浸かる。断腸の思いでカラスの行水とすることもあるが、基本的に本を読みながらの長風呂ばかりである。防水タブレットで動画を見たりなんだりということにも憧れるが、そんなお金はない。

「でんでん、でででででん、たったかたー!」

と、次のページに差し掛かろうというところでいつもの歌が響いてくる。

というところから察してもらえるとおり、この1週間において毎日欠かさず隣室の彼女はお歌を歌っている。多分僕が本を読むのと同じで、風呂では歌うというのが彼女のルーティンなのだろう。

しかし、生活リズムが似ているのか、お風呂のタイミングは結構被っている。まあ、21時前後というお風呂のゴールデンタイムなので仕方ないのだが。

それにこの奇妙ともいえる環境も結構悪くない、と正直感じていた。一人暮らしを始めた頃はホームシックにかかるからいつでも帰っておいでと両親から言われていたが、この環境ならそうなりようもない。

彼女の歌がAメロ、サビと進んだあたりを合図に本をお風呂外においてからさっと髪と体を洗ってしまう。こだわり、というほどでもないがまずは洗髪を最初にすることにしている。僕は肌が弱いので、シャンプーが身体に残っていると肌荒れしてしまうことがあるのだ。


◇◇◇


彼女の話をしよう。「彼女」といっても声からそう推測しているだけで、実はまだお目にかかれてはいない。結局引っ越しのご挨拶に伺っていないのだ。元来の引っ込み思案な性格もあるが、がそれに拍車をかけたのは言うまでもない。

簡単にいえば

ビビっている。

正直、どんな人間が出てくるかわからないし、どんな人間でも「このお方が歌っているのかあ」と変な表情になってしまう確信がある。彼女に不信感を植え付けてもいいことはない以上、ご挨拶に伺わないのは正解なのだ。

そんな言い訳を重ね、ご挨拶用に持っている菓子折りの賞味期限が気になり始めるという現在に至るというわけだ。


◇◇◇


おそらくこのまま何事もなければ、結局ご挨拶にも行かず「彼女はちょっと変わったお隣さん」というだけで終わっていただろう(菓子折りは僕のカロリー源と化す)。顔を知ることがあっても声までは知らない、そんな都会のお隣さんみたいなイメージだ。

しかし、思いもよらず彼女との関係性は進むことになる。引っ込み思案な僕と彼女だけでは絶対に起こり得なかったイベントがとある人物の登場により発生してしまったのだ。

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