第1話B お歌はお風呂でだけと決めています。

モブキャラという言葉があります。これは主要なキャラクターではないということ。具体例を上げるのならアニメのエンディングで「クラスメイトA」とか書かれていればそれです。私はそんなモブキャラの一人。いうなれば背景素材といったところでしょう。顔も表情も声もないシルエット。誰でもないし誰でもいい。そういうことです。

誤解がないように言っておくと、友達がいなかったとかあるいはいじめられていたということを含意しているわけではないので安心してください。普通に友達もいましたし、部活だって入っていました。言ってしまえば充実していたということです。

山も谷も乗り越えるべき壁も全然ない、なだらかな道を自分のペースで走る長距離走選手のような人生を送っていると自負しています。

そう思っていたんですが、第一志望の大学をあっさり不合格になり、私の道に急に大きな大きな穴が空き、死にものぐるいの走り幅跳びを仕掛けることとなりました。原因はわかっています。第一志望の二次試験、一教科目の数学で計算ミスを連発したのです。しかも絶対禁忌とされる「休憩時間中にさっきまで受けていた試験の答え合わせを友達とやるやつ」を実施してしまった結果そのミスが発覚したわけです。とりあえず、人生がかかった試験で私は変なテンションになる、という学びを得ました。就職活動の際はきちんと気をつけます。

そういうわけで、二教科目以降は本当に何も思い出せません。数学の失敗を引きずって、答案用紙を怪文書に仕立て上げたのは間違いないと思います。覚えているのはお家に帰ってから晩ごはんカツ丼泣きながら貪るに至ったということだけです。優しい両親と優しい妹には申し訳ないのですが、試験後にカツ丼を食べても験担ぎにはならないのではないでしょうか。そして今後、我が家では「勝てなかった丼」と呼称して欲しいです。「惨敗丼」でも可です。

とにかく、そんなだったため、試験の翌日からとにかく必死で後期試験対策に取り組みました。第一志望の大学には後期試験はないので、想定していた第二志望の後期試験に望むのです。いわゆる小論文と面接ですが、当然これまで全くやっていなかったので担任の先生と一緒に練習しまくりました。ちなみに先生も私が落ちるとは全く思っていなかったようで、ちょっと見たことないくらい動揺しており、そのおかげで私は少し落ち着くことができました。

先延ばしにする必要もないかと思いますので、結論を述べると無事に後期試験に合格し、春からは遠方の地にて大学生と相成る次第です。ちなみに今回は後期試験当日どころが、対策をしている期間もかなり変なテンションになっていたようです。妹が私のことを青い顔で心配していたことからすると、相当な凶相で狂騒しつつ競争に挑んでいたのでしょう。


◇◇◇


第二志望とはいっても、実は第一志望の大学と最後まで迷ってました。負け惜しみではなくほんとうに。第二志望に落とした理由は簡単で、私の実家から非常に離れたところにあり一人暮らしが必須になるためなんとなく抵抗があったというだけです。

といっても、いざ一人暮らしとなると何だかんだ楽しみになりました。

しかし、この時点で大きな問題が発生しました。後期試験に合格したタイミングで物件を探そうとしても全然ないのです。とにかく急げほら急げと内見はせずに様々な物件の紙面上で確認しましたが、最終候補は三つになりました。

一つ目はなかなか良さそうな間取りをしているところです。建築年数も十年を超すくらいのようで、オートロックもあるようです。日照については何も書かれておらず間近にビルがあるようですが、窓が南向きなのできっとよいのでしょう。しかし、駅からやや離れているのが気になるところです。豪雪地帯にある大学なのでもしかしたら困ってしまうかもしれません。

二つ目も間取りは優良なのですが、予算をオーバーしているのでちょっとむずかしいところです。実際に見て気に入ればあり得るのですが、内見にいけない以上ここに決めにくいというのが正直なところです。

そして三つ目ですが、お家賃からしても異常に間取りが良いです。何よりもお風呂が広いのが素晴らしい。しかし、リフォーム済みらしいですが築年数が滅茶苦茶いってしまっていまので、セキュリティとかに問題があるやもしれません。だとしてもお風呂が広いのは非常に魅力的です。魅力的です。魅力的なのです。


◇◇◇


お風呂。ああ、お風呂。

何を隠そう、私はお風呂が大好きなのです。適温は45度、異論がある人はかかってきなさい。両親や妹がいるため、わざわざ長風呂をするため17時には湯船に浸かることもありました。本当は21時ころに入るのがベストなのですが、家族が入りたがる時間帯なので長風呂は難しいです。背に腹は変えられず、学校から帰宅すぐの17時ころにお風呂に入ることもしばしばありました。すでにパジャマの状態で食べる夕食というのも乙なものですよ。

そして、恥ずかしながら、お風呂でお歌を熱唱することをなによりもの楽しみにしています。別に上手いとか自信があるとかではありません。分析するに、小学校の頃、担任の先生から「君は歌が上手だねえ」とみんなの前で褒められたことが一つの要因になっているのでしょう。しかし、シャイな私としては家族やご近所さんに聞かれてしまってはかなわないのでお風呂がベストチョイスというわけです。なお、このような趣味があることは家族にも知られたくなかったのですが、後期試験の際のわけらからん状態のときに熱唱しまくっていたらしいので、まあ公然の秘密になっていると思います。

こういうと「カラオケに行けばいいじゃん」という方がいらっしゃいますが、人に歌声を聞かれるなんて恥ずかしすぎて噴飯憤死のおそれありです。本当です。曾祖母の死因もそうだったと聞いています。実は人生で一度だけ「ヒトカラ」なるものに赴いたことがあるのですが、いざ歌わんという段階で店員さんに聞かれている可能性があることに思い至り、結局一時間室内で本を読んで脱兎のごとく脱兎しました。だっとだっと。


◇◇◇


そういうわけで、三つ目のおうちは非常に魅力的です。しかし、両親と話し合った結果、「女の子の一人暮らしは心配」ということで一つ目のオートロック付きのマンションにすることになりました。

がっでむです。

ここで話が終わらないこと幸いです。一つ目のマンションはすでに手続が進められてしまっていたということで、「住んでみて問題がありそうだったら引っ越す」という条件がありつつも、なし崩し的に三つ目のマンションとなりました。

しめたものです。


◇◇◇


とにもかくにも時間がなかったので、大慌てで荷物を詰め込んであっという間に引っ越しです。足りないものは後で送る、ということにして女の子の一人暮らしにしてはなかなか少ない荷物なのではないでしょうか。

しかし、実際に現地に乗り込んでみるとヨモギ団子のような味わい深い外壁のマンションです。それ自体はまあよいのですが、道路から見てかなり奥まったところにありそれと知っていなければ絶対にマンションとはわからないと思います(というか名称こそマンションですが、アパートなのでは?)。翻ってセキュリティ上も逆に良い、ということで自分を納得させます。ここの301号室が今後の私の城となります。

あっという間に引っ越し業者さんもいなくなり、室内には私ひとり。なんとなくホームシックな気分ですが無意味にフラダンス(らしきもの)をして気を紛らわせます。

とにもかくにも、手を動かしたほうがよいので荷解きをすすめることにしました。服、ノートパソコンなどなど。少ない荷物も相まってあっという間に完了しました。ダンボールの捨て方がわからなかったので、とりあえずクローゼットの隅に立てかけて忘れることにしましょう。しかし、母がいれたと思われる諸々の食器や調理器具。料理はあまりしたことがないですが、一人暮らしを機に挑戦するのも悪くありません。なので、早速ノートパソコンを立ち上げて「初心者 レシピ 超簡単」とか「ズボラ ご飯」とかで検索をします。

「やっぱり、これがないとね」

と、その前に欠かせないものがありました。ヘッドホンをつけて、私の受験期を支えた名曲たちを爆音で聞くのです。母の影響で見るようになったレジェンダリーロボットアニメーションの主題歌たち。これを聞くとなんでもできるような気が致します。気が大きくなる、ともいいます。そんなこんなで、本当にできるのかわからないレシピたちを眺めて過ごします。そういえば、と受験期には見る余裕がなかった諸々のアニメを消化しないといかんです。本来は前期試験を終わって、長めの春休みに消化する予定が狂ってしまいました。


◇◇◇


すっかり日が暮れていたのはわかっていたものの、「あと少しだけ、あと少しだけ」とアニメをみているうちにもういい時間です。夕食は事前に買っていたコンビニごはんで済ませていました。初日からコンビニごはんであることからも私の料理へのやる気が伺えるというものです。

「そろそろお風呂、おふろー」

荷物の片付けに部屋の掃除で何だかんだで軽く汗もかいてしまいましたので、入念に身体を洗おうと思う。あまり身体を洗いすぎないほうがいいと聞いたことがありますが、お気に入りのシダーウッドの香りがするボディソープでと洗うのがポリシーなのです。

がしがしもこもこ、ではありませんので悪しからず。

ほどなくして「お風呂が沸きました!」という元気のいいコールが聞こえます。実家のものと比べてやたらと砕けた感じがしますが、おそらくメーカーによる違いなのでしょう。しかし、入居してから気づいたこととしてこの部屋には脱衣所や洗面台がありません。どちらも当然に存在するという先入観で間取図を見ていたので、入居して少しだけ呆然としました。後者についてはどうとでもなるでしょうが、前者がないのは少々困ったものです。まあカーテン等はしっかりしているので、余人に見られることはないでしょうし、そのままリビングルームで洋服を脱いでいざお風呂。リビングにある扉を一枚開けると目の前にお風呂というのもそれはそれで悪くない気が致します。


「ういー」

おっさんのような声が漏れますが私の他には誰もいない以上、気にする必要はありません。ところ変われば水も変わるのか、実家と比べても肌への水あたりが柔らかいような気がします。温度はもちろん45度。実家にいるときは家族に気を使って42度くらいまで下げていましたが、ここなら全く問題ないです。意外と身体が冷えていたのか、この高音が身体に染み入ります。しかし、何かが足りない、そう思うのは私だけではないでしょう。

そういうわけで

「一曲歌わせて頂きます」

誰に聞かせるわけでもなく宣言して、湿度たっぷりな空気を一気に肺に送り込む。歌うのは一番好きな往年のロボットアニメ「哲学バトラーX」の主題歌。新居での一発目にこれほどふさわしい曲はありません。

「ぱぱ、ぱぱ、ぱらっぱー、でででんでっで、でですてですてたー!」

恥ずかしげもなくはじめから全力全開がぶっ放します。心の奥にかかえていた第一志望に落ちたことや友人も知り合いも全くいないこの大学生活への不安、その他のドロドロとした感情をかなぐり捨てるように。歌っている間はただの間抜け一匹になれるように。

「よ……しゃあっ!」

歌い終わった後は一発気合を入れて叫んで、湯船に沈んで一気に髪を濡らしそのままお風呂の中で髪も身体も洗ってしまう。簡易的な泡風呂みたいなものです。こういうときロングヘアではなく、ショートボブにしておいてよかったと思う。幸いにしてパーマも縮毛矯正もしていない、単なるややくせっ毛に過ぎないので、そこまでトリートメントやヘアパックをしなくても大丈夫。


きっとお風呂から上がるころには、すっきりとこれからの大学生活を迎えられるだろう。何だかんだで疲れた一人暮らし初日、甘い見通しなのかもしれないけれど、自分にそれくらいの期待をしてもいいでしょう。


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