お風呂から始まる恋もある

みょうじん

第1話A お風呂から始まる新生活

「だだっだだらららららーん、そーらをやまをうみをこぉーえてー…いけ!いけ!いけ!」

往年のロボットアニメの主題歌である。国民全員が見ている、というほどではないがアニメファンの中でもコアな人たちの間では未だに人気があるらしい。

それにしても、なるほど、お風呂で響いていい感じの歌声となっている。このお風呂は一人暮らし用の部屋にしてはびっくりするくらい広く、僕の身長でも足を伸ばしてもまだ余裕がある。正直なところ、自分の後には誰も入る人間がいないことも加味すると、実家の湯船よりも快適といえよう。毎日こんな贅沢ができるのならば、一人暮らしに伴う諸々の雑事も悪くない。

ただ、熱唱される歌がことは気になるかもしれない。


◇◇◇


僕はお風呂が大好きで、毎日入らないと比較的気がすまない。おそらく寒冷地出身ということも大いに影響しているように思う。春はストーブをつけなくなり冷え込んだ身体を温めるため、夏はたっぷりかいた汗を流すため、秋は冷え始めた空気を噛み締め身体を温めるため、冬は極寒の外から帰って冷え込んだ身体を温めるため。同じことを繰り返しているだけだが、お風呂の本質がそういうものなのだから仕方がない。

そういうわけで晴れて大学に入学し一人暮らしを始めるにあたって家を決める際、お風呂を最も重視した。建物の築年数や温水便座などは諦めてでもである。

できる限り家賃は抑えて、しかし毎日帰る場所なのだからある程度の生活空間は確保して……と、自分なりに色々考えて不動産屋さんに相談した。

一軒目は間取りだけみると良さそうだったが、建築基準法に違反しているに違いなく、窓の外には大きなビルがあった。そのため日中も一切日が差し込まないというモグラ生活マンション。ドワーフのような地下生活を体験する趣味はないので当然却下である。

二軒目は1DKでやや高いものの、間取りも日当たりも全然問題ない。ここで決まりかと思ったが、よくよく条件をみると「プロパンガス」となっていた。プロパンガスは都市ガスに比べて光熱費が倍ほど違ってくるらしい。小市民な僕としては、毎日湯船をはる際に蛇口からお金が出ている錯覚に陥りそうだ。過度に光熱費の多寡を気にするとせっかくのお風呂も楽しめず、精神衛生上良くないような気がする。ということで保留にしていた。

そして三軒目。間取りはなんと1LDKで家賃も1軒目の洞窟マンションと大差ない。しかし、資料上ではなんと築50年というなかなかの大ベテラン。一応……ということで見に行ったところアパートの外観は確かにボロく、萎びたキャベツのような色合いである意味趣深い。空いているのは三階建ての三階二部屋。エレベーターなんかあるわけがないので、おばあちゃんの家にあるような、一段ごとの高さがちょっとだけ高い階段をぜえぜえ言いながら登っていく。温かみのかけらもない無機質な重い金属製の301号室のドアを開けると……なかなかびっくり。めちゃくちゃキレイな内装になっている。同行していた不動産業者の方もびっくりして、僕を残して1階の大家さんに確認にいってしまった。間取りの上では合計18畳ほどもあり、リビング場所の真ん中当たりでスライドドアがついており、実質的には2LDKということらしい。クローゼットは僕が両手を広げたよりもさらに大きく、衣装持ちと母親から揶揄される僕としては嬉しい限りである。キッチンも壁側からビルトインのふたくちコンロ、材料を切ったりできるスペース、洗い場と非常に使いやすそうだ。特に真ん中の材料スペースがある程度広めに作られているタイプで、実家で愛用しているサイズのまな板を広げることもできそうである。

そこまで確認したところで、不動産の担当者さんが部屋に戻ってきた。どうも、昨年末にリフォームを行ってすっかりきれいにしてしまったということだ。担当者さんといろいろ確認したが、築年数があるにしても頑丈な鉄筋コンクリートの作りで、少なくともキッチン横の壁とかはかなり頑丈で防音もしっかりしてそうだ。窓の作りには若干古さがあり、もしかしたら隙間風とかがかなりあるかもしれないが、おそらく許容できるだろう。一応の問題点としては①玄関を開けてすぐのところに洗濯機を設置、②いわゆる脱衣所及び化粧台がないことという二点のように思われた。しかし、男の一人暮らしであれば正直なくとも全然なんとかなるだろう。

ここまで確認して、正直僕の心はすっかり決まっていた。

「すいません、ここにします」

担当者さんも、「そうですよね」とにこにこしていた。ここまでしっかり付き合ってくれたこの男性には感謝しかないので、「ありがとうございます、引き続きよろしくお願い致します」としっかり頭を下げる。


ここで話が終わればよかったのだが、どうもタッチの差で予定していた部屋が埋まってしまったらしい。担当者さんも「なかなかの穴場だったのに、まさか埋まってしまうなんて」と若干しどろもどろである。当然、この方が悪いわけではないし、見学しなかった302号室は空いているらしいのでそちらで決めてしまった。こちらもリフォーム済みで部屋のつくりはほとんど一緒らしいので、なんとかなるだろう。正直、部屋探しがこんなに大変だとは思っていなかったので僕はすっかり疲れ切ってしまっていたので、わざわざ確認するのが面倒臭かったということも大いに挙げられる。


◇◇◇


なんだかんだと準備をしていたら、あっという間に引っ越し当日。両親と話しつつ、必要な家具などリストアップしていたが、こんなにお金がかかるのかとビックリした。嫌な顔一つせず払ってくれた両親には感謝しかないので、これからもしっかり親孝行して行こうと思う。

引っ越しも業者さんにお願いしており、配置もしっかり決めていたのでとてもスムーズにできたと思う。その結果として、あっという間に僕の部屋は静かになってしまった。正直な気持ちを言うのであれば寂しく、人恋しい。やはり防音がしっかりしていて、自分の心音すら聞こえそうだ。まさか一人暮らし開始十分で若干ホームシックになるとは思わなかった。

しかし、実家にもう帰るということはありえないので、若干面倒な荷物の整理を開始する。とりあえず端に寄せていたダンボール郡を一つずつ開封していくが、もちろん全然終了せず夜になってしまった。流石に初日から料理は無理でしょ、といってお弁当を持たせてくれた母は流石、僕のことを分かっている。ありがたく今晩はそれで夕食を済ませてしまう。一人の食事も寂しいのでテレビのボリュームを気持ち多めにする。普段はテレビよりももっぱら動画サイト派だが、PC関係のセッティングはまだしていないので、たまにはテレビというのも悪くない。

初日からこんなでいいのかとも思うが、疲れた身体で洗い物はしたくないので、かるく水をためてお弁当箱は放置する。今日だけは「明日やれることは明日やろう」の精神を自分に言い聞かせる。

そういうわけで、もう少し荷物整理を続けたい気もするが全部後回しにしよう。しかし、そうするとやることもないので……湯船をはろう。

実家は古い家屋なので、赤いマークの蛇口をひねると沸騰間近のお湯がでて、青いマークの蛇口をひねると水が出てくる。つまり、お風呂に入る際には両蛇口をひねって適温にしなければならない。いっぱいになったら自動でとまるということもないので、キッチンタイマーで図って自分でとめにいく。重労働ではないが面倒であが、一番風呂の栄誉を戴くために積極的に僕がこの家事をやっていたので、母から「風呂奉行」と呼称されていた。しかしこの家は違う。流石リフォームしたばかりということでスイッチひとつで設定どおりの温度のお湯がでてくるし、いっぱいになれば自動でお湯がとまり、「お風呂がわきました」とのコールまである。こんなワンタッチでできるのなら「風呂奉行」の称号は返さないとね、と少し切なくなる。

とりあえずこの間にPCのセッティングでも……と四苦八苦しているうちにあっという間にお風呂が沸いた。

「便利な世の中じゃのう」

とついつい呟いてしまう。こうやって世の中のおじさんのようにモゴモゴ独り言を言うようになっていくのかもしれない、くわばらくわばら。

なんとなくだけど、新生活一回目のお風呂が今後の生活を占うような気がした。


◇◇◇


「なるほどなあ」

誰にも聞こえないようにひとりごちる。流石に換気扇部分が隣の部屋と繋がっているなんて考えもしなかった。まあ、扉を閉めておけば普段の生活においては気にならないだろう。

隣は女性のようで、幸いなことになかなかの美声。お歌も大変お上手だ。ラジオ代わりと考えればそんなに悪くない、と自分に言い聞かせられそうだ。

しかし、実は隣人の人にご挨拶に行っていない。一応菓子折りを持たされているが、この状況を認識しているとなんとなく気まずい。もちろん挨拶に際して「お風呂に入っていると歌声が漏れていますよ」と伝える勇気をあいにく僕は持ち合わせていない。僕自身歌を聞いたり歌ったりするのは好きなのだが、誰かに聞かせる/聞かれるのは死ぬほど苦手なのである。仮に僕が彼女と同じ状況で誰かに熱唱を聞かれていたとすると……想像もしたくない。

そういうわけで(少なくとも我慢できるうちは)気にしないことにした。触らぬ神にたたりなし、くわばらくわばら。挨拶についても「明日やれることは明日やろう」。


新生活初日。ふと気づけばホームシックだとか人恋しさとかはなくなっていた。

ほら、やっぱりお風呂の歌声も悪くないのだ。





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