第20話 ヴァーチャルへの逃亡

(一)

地下への階段は調理室のダクトの中に隠してあった。

注意して見るとこじ開けて入った跡がある。

「オーベットも紗耶香ちゃんも、それを追いかけるガブリエル様たちも中にいるはずだね。」

左近寺先輩が階段を覗き込んで言う。

「行ってみるか?」

「もちろん…。」

福西顧問の問いへの賀茂先輩の反応は早かった。

僕も望むところ、ごちゃごちゃ考えずに紗耶香ちゃんを助けるんだ。

「暗いのお…。」

福西顧問が大黒天を呼び出し、その金色の光を灯り代わりにした。

「わしの大黒天も戦闘には向かんが、色々と使い道はあるもんじゃろう。」

金色の光に守られて、まるで奈落の底へ落ちるような長い階段を下へ下へ。そのうち下へ降りているのか上へ昇っているのかすらあやふやになる。そんな感覚にとらわれながら歩き続け、ついに階段は終わった。

「ここは…?」

底には洞窟が広がっていた。

「何の音だ?」

賀茂先輩が耳を澄ます。

ザバーン、ザバーン。

水の音…それも波が寄せ返すような…富士の地下なのに?

「気をつけて…どんな仕掛けが待っているかわからない。」

左近寺先輩の緊張が高まる。

なんか…潮の臭い…海の臭いまでしてきたような。

カサカサ…

洞窟の壁で何かが蠢く。何だ…?

フナ虫だ…それもいっぱい。海の近くにしかいないはず…

だとするとやっぱり、ここは海とつながっているのかな。

遠くで何かがぶつかり合う音が聞こえる。

僕らは用心しながらそちらへ向かっていった。

波のような轟きはどんどん強くなる。

「な!」

足許に白い泡

洞窟に寄せては返す波

やっぱり海…こんな地下に

100メーターほど先、岩ごしに光と炎が交差する。

戦闘だ!

走る僕らにガブリエル様の声が聞こえた。

「危険だ…来るな!」

(二)

僕らが止まったのは警告に従っただけではない。

何か第六感的なものが足を進ませなかったのだ。

そして、それが正しいのはすぐにわかった。

クィアオオオオオオオオオオオオオオン…

なんだこの声………

聞いているだけで恐怖で頭がおかしくなりそう…。

僕はものすごい吐き気で倒れこんだ。

先輩たちは手で耳を塞いで突っ伏している。

集中していた福西顧問が叫んだ。

「金のチャクラ……大黒天の打出の小槌よ、防音シェルターを打ち出せ!」

大黒天が楽しげに踊りながら振る小槌が、半透明のブロックを次々に打ち出し、それが僕らの周囲に壁を作る。恐怖を生む声がだんだん弱くなってきて、僕の吐き気もだいぶましになった。

「顧問、この声は…。」

福西顧問が左近寺先輩に頷く。

「間違いない…これは邪神の声…聞いた人の正気を失わす声じゃ。」

邪神って…もしかしてクトゥルー?

「オーベットめ…施設の地下に既に邪神を召還していたのか。」

賀茂先輩が、伏せたままキッと唇を噛んだ。

遠くの岩ごしに、炎や光に混じって白い蛇の頭のようなものが見え隠れする。

一つではない…複数…。少なくとも7つ以上…。

「これは…………ハイドラ、ダゴンと一対をなす母なるハイドラですね。」

ハイドラ…クトゥルーじゃないんですか、左近寺先輩。

「ハイドラはクトゥルーに仕える邪神だよ。とは言え邪神には違いないから、これまでの敵とは段違いのレベルだよ。」

それでも、あれだけ強いAクラスが4人もいるんですから……。

「うーん、いくらAクラスでも人間だからね…。封じ込める準備があれば別だけど…。」

ええっ、やばいの…もしかしてとってもやばい?

そう言えば、岩ごしでも苦戦が伝わってくるような…。

「封じ込めるって…倒せないんですか?」

賀茂先輩に睨まれた。

「神ですら倒せずに封じ込めたものを、何で人間が倒せるんだ!」

ごめんなさーい。何にも知らないんですもん!

(三)

「ゴッドソード!」

ガブリエルの腕から伸びた光の剣が、ぬるぬるとした白い巨大な蛇の胴体から生える無数の頭を切り裂く、しかし切られた頭は物凄いスピードで次々に再生していく。

そこを目掛けウリエルの吐く炎が襲いかかるが、蛇たちにはあまりダメージは感じられない。

「これは…神話のヒュドラそのままでございますな。話が違うのは再生スピードが早すぎて焼き払うのが間に合わないということで…。」

バラキエルがシャボンバリアを張りながら叫んだ。

その後ろでラファエルが、ピンク色の霧を吹き出している。

「ガブリエル、消耗が激しすぎてみんな、このままでは持たないわ。」

神の軍団の軍師には十分わかっていた。邪神がいることは想定外だった。油断と言われても返す言葉がない。

ハウル様に申し訳ないと思った。

ここは退却しかないが、この責任はきっちり取らねばならぬ。

「私が邪神を引き付ける。その間に全員退却せよ。そしてハウル様に連絡して、この地下の入り口を封ずるのだ。」

それが何を意味するのか…他の3人には分かった。そして、それがどんなに過酷でも12錬士たるものの役目であるということも…。

ガブリエルは全員に目配せすると、白い翼を広げ邪神目掛けて飛び上がった。

(四)

「しかし、よくもこの富士に召還できたものじゃ。ハイドラは海の邪神…海の近くでなければ条件が整わぬものを…。」

福西顧問の問いに左近寺先輩が答えた。

「偶然かどうか…こんな地底に海の名残りがあったからでしょうね。これもオーベットの運なのか、そういう運命なのか。」

海…海ねえ…僕はなんとなく近くの泡を掬って舐めた。

あれ…塩辛くないぞ…水は…これも塩辛くない。ただの地下水だ。

「先輩、これ海の水じゃないです!」

「なんだと!」

賀茂先輩も水を掬って飲んだ。

「ただの水だ…そう言えば足許で波が動いているのに、身体が全然引っ張られない。これは…」

左近寺先輩が立ち上がった。

「ヴァーチャルだ。潮の香りはリアルな映像に脳が騙された錯覚だ。」

福西顧問がポンと手を打った。

「そうすると、どこかで映像が流されているのか!」

左近寺先輩が頷く。

「そうです。この地下の空間に流す程度の映像なら大がかりなシステムはいらない。この空間のどこかで流しているはずです。」

じゃあ邪神も映像か何か…

「いや、邪神は本物だね。感心しちゃいけないけど、邪神ですら海と勘違いさせるほどのヴァーチャルだ。何かオーベットのやろうとしていることが、うっすら透けて見えた気がするね。」

じゃ、状況はちっとも好転してない…。

「そうとは言えない。召還条件である海が消えれば邪神も存在理由を失って消えるはずだ。」

つまり…

「システムを探しだしてぶっ壊せばいいのさ、入来院っ!」

もうやってますよ…そう言わんばかりに入来院先輩は集中している。

「心眼のチャクラ…胡蝶の夢。探せシステムの糸!」

黄色い蝶がヒラヒラと…入ってきた階段の方へ

大きな岩の辺りでヒラヒラ舞い続ける。

「そこか…緑のチャクラ、きたれラウンドナイツ!」

地中から甲冑を着た骸骨が現れた。彼らは蝶の舞う辺りへ殺到し岩をうち壊しだす。

ブィーン…バチバチッ

辺りの景色が揺らぎだした。

海が消えていく…波も岩もフナ虫も…

「どうしたことだ…。」

ガブリエルは呆気にとられた。

クィアオオオオオオオオオオオオオオン…

邪神が苦しみだした。

その姿が徐々に薄くなっていく…。

薄くなる風景と反対に姿を現したのは…

破壊されたコンピューターシステムと

「オーベット・マーシュ!」

コンピューターの後ろから現れた男女

賀茂先輩が突撃していく。

「紗耶香ちゃん!」

僕も走った。紗耶香ちゃんは無反応

「紗耶香ちゃん!」

もう一度呼んだ。彼女は目をパチパチしてる。

「堀田くん!」

紗耶香ちゃんが叫んだ。オーベットが彼女の手を引っ張る。

「どういうことだ…我が術が解けるとは…。」

周囲の映像が歪んでいく。

僕らはオーベットと紗耶香ちゃんを取り囲んだ。

「もう逃げられないぞ!」

賀茂先輩が叫ぶ。ガブリエル様たちも駆けつけた。

「フフフ…もう少しで我が宿願が成るのだ。ここで捕まるわけにはいかん。」

オーベットは紗耶香ちゃんの手を掴んだまま不敵に笑った。

「堀田くん!」

紗耶香ちゃんが叫ぶ。もうすぐ助けるからね…。

ガブリエル様たちが距離を詰める。

バチバチッ…オーベットたちの真上で空間が蠢く。

オーベットが上方に手を伸ばした。

シュルルルルルル…

なっ…まるで掃除機か何かに吸い込まれたように

二人の姿が空間の歪みに消えていった。

「紗耶香ちゃん!」

何が起こったのかわからないまま…空間の歪みは消え

辺りには静寂だけが残された。








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