第21話 自律システムの恐怖

(一)

紗耶香ちゃんはどこに行ってしまったんだろう。

ガブリエル様たちは、彼女はオーベット・マーシュとプラズマの奔流に呑み込まれ分子レベルに分解された、つまり死んだと思っているようだ。

行方不明とされた人たちも、オーベット同様に死んだと結論づけられた。

首魁の一人である水無月源三郎らしき魚人間は、あの日役員室で死体で発見された。

法王庁もガブリエル様の報告を受け、一連の事件の終結処理に入った。富士のコンピューターセンターは跡形なく破壊され、平らにならされた土地は鉛の上貼りで固められた。今後はインクアノックの残党処理に入るのだそうだ。

顧問も先輩たちも、法王庁と同じ考えのようだった。

賀茂先輩など魂が抜けたように数日ぼんやりと過ごしていたし、左近寺先輩はグループを動かして情報収集しているが、オーベットや紗耶香ちゃんの生存を示す証拠は上がって来ないようだった。

福西顧問と入来院先輩は、いつもの日常に戻ったように感じられた。

僕だけが信じていない…

「堀田くん!」

一所懸命に手を伸ばす紗耶香ちゃん…

あのときの光景は毎日夢に見る。

きっと生きてる。

きっと助ける。

僕が信じなくなったら彼女は本当に終わりな気がした。

ぽん…

振り向くと顧問がなんとも言えない表情を浮かべていた。

「堀田よ…人はいつか死ぬ存在じゃ。死を悲しむな。」

冗談じゃないと思った。僕は悲しんでなんかいない。

彼女はどこかで生きてる。

「そうじゃ…魂は不滅。調べによるとオーベットは紗耶香ちゃんをクトゥルーの供物にしようと企んでいたとか…あそこで死ねて彼女の魂は救われた。よかったのだ。」

顧問、そういう意味じゃありません。

(二)

「それじゃお先に失礼します。」

窓の外をぼんやり眺めていた賀茂先輩が力なく右手を上げる。顧問は先に帰った。左近寺先輩は電話、入来院先輩はパソコンに夢中だ。

我ながらトボトボと校門を出た。

大きな夕陽が真横で沈んでいく。

あーっもう!、この河川敷を紗耶香ちゃんと歩いたことを思い出し、胸が張り裂けそうに痛む。

堀田くん…ニッコリ微笑む顔

堀田くん…風に揺れるスカート

堀田くん…すらりと細い脚

「紗耶香ちゃんは必ず生きてる。僕が…必ず助けるからね。」

「はい…生きてますよ。」

「!」

僕の影の後ろに大きな影があった。

飛びのいて振り向くと…

「な、な、な、ナイアルラト…!」

白いターバンが深々とお辞儀した。

「お久しぶりです…お礼を申すべきですかね。見事に海の邪神の臣下どもの企てを砕いていただいて…。」

そ、そ、それより…さっき確か…。

「あー彼女のことですか…はい、もちろん生きてます。魂だけでなく、分子転換されましたが、きちんと肉体も備えてね。」

そ、そ、それはどういう…。

「そのうち嫌でもわかりますよ。かの狂信者の長も同じく生きてますしね。」

オーベットも…

「企ては終わっていないということです。」

終わっていない…どうやって?

「それは見てのお楽しみです。今後の活躍を期待していますよ…。」

「!」

白いターバンは、夕闇にすっと溶けるように消えた。

(三)

「分子転換…なるほど。」

あわてて引き返した部室

左近寺先輩が顎を左手で触りながら言った。

「その方がヴァーチャルの侵食という概念にピタッと来ますね。」

バン!

賀茂先輩が左手のひらを右こぶしで叩いた。

「そうこなくっちゃ!」

左近寺先輩が肩をすくめながら言葉を続けた。

「実はね…コンピューターセンターを潰し、主要人物はいなくなったのにWorlds of Lovecraftの配信も案内メールも止まっていないんだよ。法王庁は残党がいて、どこかで密かに配信し続けていると、残敵掃討のカテゴリーに入れているようだけど…事前に調べあげて臨んだ作戦だったから、拠点の取りこぼしは考えにくいんだ。」

えっ…拠点が無いならどうやって配信し続けているんだろう。

「そこは今、入来院君に当たってもらっているよ。通常は考えにくいことだけど、分子転換という言葉がキーワードになりそうな気がするね。」

紗耶香ちゃんもオーベットも、行方不明の人々も分子転換されて生きているとしても…一体どこにいるんだ?

映画やアニメに出てくるような異世界でも存在するんだろうか…

仮に異世界があるとして、そこにどうやって入っていくんだ。紗耶香ちゃんをどうやって助ければいいんだ?

「それと紗耶香のことだけど…うちのグループが調べたところでは、どうも水無月の血は流れていなかったようだね。」

どういうこと?不倫、浮気、それとも赤子取り違え?

「紗耶香ちゃんのお母さん…亡くなった智子さんは源三郎氏の二番目の妻だけど、婚約者がいたのに権力にものを言わせて強引に結婚させられたらしいんだ。智子さんは隠していたけど、源三郎氏と結婚したとき既に婚約者の子を身籠っていたらしいのさ。」

そうか…昔の探偵ドラマの設定みたいだけど、紗耶香ちゃんが魚人間でなくて本当に良かった。

「そんなことはどうでもいい!」

賀茂先輩がおっぱいを揺らして立ち上がった。

「入来院、まだか!」

キーボードを叩きまくっている入来院先輩が両手を頭の上に伸ばして×を作った。

「早くし……」

「おーっ!」

入来院先輩が食いぎみに叫んだ。

「メールハック出来ましたぞ!」

(四)

僕たちは一斉に入来院先輩に駆け寄った。

左近寺先輩が用意したハイスペックのノートパソコン

モニターにはハッキングしたメールが写っている。

「これはヨーロッパの18歳男性が受信したメールですな。ハッキングでこちらへ移したので本人宛てには届かずじまいであるが…」

そう言いながら、入来院先輩は息を整え心眼のチャクラを発動した。

黄色い蝶がヒラヒラとパソコン画面に吸い込まれていく。

辺りはもう真っ暗だ。

部室の闇にモニターの明かりだけが浮かんでいる。

入来院先輩がぶつぶつ呟く。

「相変わらず、メールの配信元の痕跡は配信と同時に消されておる。ただゲームとのリンクのみは繋がっているな………。どうされるな?」

どうするかとは?

「知れたことだ…。ゲーム起動、そうしなければ始まらんだろう!」

賀茂先輩がニヤニヤしている。

「ちょっと待って…これは既に法王庁案件だ。単独行動はまずい…せめて福西顧問に連絡を。」

左近寺先輩がスマホを取り出した手を賀茂先輩が押さえた。

「ことは急を要する。急がないと案内メールが消えるぞ!」

左近寺先輩はやれやれと肩をすくめ、スマホをしまった。

「入来院、やれ!」

リンクをクリック…

ぶん…………

モニターから周囲に光があふれでる。

えっ…………?

フォンフォン

前からレトロなオープンカーが走ってくる。

乗っているのは燕尾服にシルクハットの白人中年紳士と

銀のスパンコールのワンピースに身を包んだ若い白人女性だ。

僕らは歩道へと飛び退いた。

石畳の道を、車は女性の甲高い笑いと共に走り去った。

歩道を行き過ぎる人々が奇妙なものでも見る目をしている。

夜空には大きな飛行船が浮かび、ビル群に備え付けられたサーチライトがそれを照らす。

闇に明滅するネオン、ネオン、ネオン。

繁栄と廃退の臭いのする街

「ここは一体…。」

賀茂先輩が周囲をキョロキョロ見回す。

「様子からすると20世紀初頭のアメリカっぽいね。つまり…」

つまり?

「ラブクラフトが生きた時代…その小説の舞台…つまりはラブクラフトの世界さ。」

そう言えば入来院先輩は…?

周囲を見回す。

いたっ!ゴミ箱の上にノートパソコンをのせてキーボードを叩きまくっている。

駆け寄ってみると、脂汗をだらだら流しながらぶつぶつ独り言を呟いている。

「ない、ない、ない、ないっ!どこからも配信されていない!このプログラムはネット上にAIを持って自律的に存在しているとでも言うのか?そんなことあるのか、信じがたい。いや信じられない!」

えっ、どういうこと…よくわからない…。



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