さんざめく霊たち

 抜き放った刀の切っ先を天に、柄頭つかがしらを地に向けた平馬は、刃を東の方角に向けた。

 東はが生まれづる神聖な道のはじまりなのである。道は一より生ずる、と喝破したのは、古代大陸の思想家・李耳(老子)である。


 ちなみに、「王」の字の横棒の三本は、上からそれぞれ、天、地、人、を表している。それを縦に貫くものこそ地上の支配者=「王」に他ならない。

 そして、王の字は、それぞれの棒、すなわち「いち」を組み合わせたものであろう。呪法であれなんであれ、すべての基本はこの「一」なのである。

 平馬が唱え出した辟邪へきじゃの呪詞も、一よりはじまる。


「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ、いぃ、むぅ・・・・」


 ・・・・ここで読者は、さぞ呆気あっけにとられたことであろう。なんだ、ただ、かずを数えているだけではないか、と。


 まさに、モノを数える行為こそ、見えざる相手に対する最大の威嚇であり防御なのである。なんとなれば、『おまえはすでに、こちらの数の中にあるぞ』と宣言し、『こちら側の数のなかに納まるべし』と叱咤する・・・・これが辟邪の基本であった。数えられてしまったほうは、それ自体が存在事由を大きく揺るがされてしまうことになる・・・・。

 かの陰陽師は、なんでもかんでも、

急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう

と、唱えるが、律令とは、刑法(律)とそれ以外の法律(令)のことで、化け物や悪霊に向かって『いさぎよく、法律に従いたまえ』と叫んでいる滑稽ですら感じられる構図と比べると、この平馬の呪詞のほうが、より窮極的かつ実際的というものであったろう。


 この「ひぃ」から「」まで数える咒は、書紀にもしるされていて、俗に〈ひふみ呪詞〉ともばれる。


「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ、いぃ、むぅ・・・・」


 平馬の声は徐々に高く、やがて、音曲の調べのごとく早くもなり遅くもなり、四方よもの空気を振動させ、楕円を描くようにその波形が拡がっていく・・・・。

 すると、隣でが、平馬が発する振動の波に乗るかのごとく歌い出した。


《ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ・・・・》


 の声は、おそらく人の耳では捉えられない、獣畜生の類が本能的に感知する波のような振動ではなかったか。繰り返される二人の舌唱ぜつしょうが、遠く野犬や狼に伝わったようで、呼応するように遠吠えが響き渡った。

 陽はかろうじて下天のあたりにとどまっている・・・・。      

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