怨霊の残像

 ・・・・平清盛たいらのきよもりの死から、およそ四百八十年っている。

 清盛の邸宅といえば鴨川の東、六波羅ろくはらが有名だが、そこはむしろ平家の武士団の集住地、軍事拠点であったろう。

 御所の西南部に位置する西八条第にしはちじょうだいを、清盛は重要視していたふしがある。北側を八条坊門はちじょうぼうもん小路、南側を八条大路、さらに大宮大路、坊城大路に囲まれた広大な五十を超える邸宅が、かつて厳に存在したのである。

 

 ・・・・いまは雑木林のなかに民家が点在しているだけで、疫病や大火のおりの緊急の避難場でもあるだけに、平馬は道なき道に遭遇して困惑していた。それを横から・・・・いや、膝下からが繰り返し指摘するものだから、たまったものではない。

 ひとに道をたずねようにも、どういうわけかすれ違う人影ひとつない。もっとも一条邸がある中立売町界隈のような人通りの多さはないにしても、まだ陽は中空に燦然とあって、家の中にもる刻限でもなかった。


(はて、これは・・・・)


 背にある短刀のつかを後ろ手に右の手で押さえ、襲来に備えた。平馬が得意とする〈始針の構え〉である。

 なにげにえるのは、やや濃紺の〈色〉。その小さな粒が数カ所にかたまって流れ漂い、ときに一斉に四方よもに散らばるさまを、平馬はじっと眺めている。物の怪や亡霊が〈色〉として感得できるのは平馬の特殊な能力である。


 ・・・・すると、ひょいと身の丈を伸ばしたは、平馬の頭一つ分抜き出て、周囲を舐め回すようにうかがい出した。


「あ!」

《あ、ではないぞえ!気配がない気配、が漂いきたることに気づかぬ平馬ではあるまいに・・・》

「や!」

《や、ではない!おや・・・・こ、これは、悪霊おこしの呪法ぞ!》

「あ、悪霊おこし・・・・」


 たしかに平馬はその詞章ことばを何度か耳にしたことがある。

 怨霊になりきれない力の弱いなかに火をおこすがごとく、を一つに合体させる禁じ手ともいえる呪法である・・・・。

 では、だれとだれを、どの大元おおもとを一つに合体させ悪霊を生み出そうというのか。

 それがわからない。

 また、それを為そうとする意思をもった者とは、一体誰なのであろうか。


《・・・・どうやら、核にしようとしているのは、六波羅殿ろくはらどの、そうじゃ、清盛入道であろうぞえ・・・・ふうむ、これは・・・・》


 の声に緊張が聴き取れた。あとはことばにはならず、ぶつぶつもぞもぞと呟いていたは、平馬の短刀に気づいて、しゅるしゅるるっと身の丈を縮めた。

 平清盛の霊を大元おおもとにして弱霊どもを寄せ集め、合体させることで、より大きな根源の力をもった悪霊を現出さしめようとしているとは、恐るべき謀略であろう。なんとも平馬には理解し難いことだ。


《・・・・なるほど、平馬の持つ刀が、われらの身を護っておるのじゃな。それがなくば、すでに二人ともども、悪霊の欠片かけらどもに喰われていたやもしれぬぞえ》


 アッと平馬は驚いた。

 短刀のことは初耳である。師匠の不移ふい山人さんじんから手渡されたものに、それほどの力が秘められているとはどうにも信じがたい・・・・。


 ところが。

 やはり、目に見えぬが、遠巻きにするようにじわじわざわざわとこちらに近寄ってきてはすぐに遠ざかり、頃合いよくふたたび近づいてくる感覚というものを、平馬は確かに察し、感じていた。


《抜くのじゃ!平馬、刀を抜き放ち、真言しんごんを唱えるべし!》


 の声が平馬の耳朶じだった。



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※註釈︰平清盛の邸宅があった西八条第にしはちじょうだい界隈の一部は、現在、梅小路公園になっています。JR京都駅から西へ約1kmの距離。

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