謎の来訪者

 戸の外でざわざわとした気がめぐっているのを平馬は察した。あてがはずれたとでもいったような妙な吐息の渦を感じて、平馬は声色こわいろを止めて、「何用でしょうか」と、ややぞんざいにたずねてみた。


「おう、男士おとこしがおいででござったか!それがし、あやしい者ではござらぬ。頼まれ事をいたしたようなので、それを届けに参ったまでのこと。まずは、この戸を開けてくださらぬか」


 部屋の隅にいたに目配せをした平馬は、が隣室に隠れたのを見届けてから、引き戸を引いた。

 平馬の目の前に佇んでいたのは、浪人風体ふうていの武士で、咄嗟とっさに平馬が緊張したのは、いかにも気儘きままなやせ侍を装ってはいるものの、絹の羽織の上からわざとらしく泥や埃をなすりつけたあとがうかがえたからだ。

 侍の額と頬にも黒炭の粉を掌で撫でた痕跡がある・・・・。


「・・・・あなた様は?」

「おう、申し遅れた、それがし、大曾根おおそね道之介みちのすけと申す。して、お手前は・・・・」

「杉森平馬と申します」

「おお、それで、ここはこのとおりで間違いはござらぬのかな」

 道之介が差し出した布切れには、やや黄緑がかった文字が刻まれていた。

 書かれていたのではない。まさしく、刻み込まれているように平馬には見えた。

「や!」

 おもわず平馬が口走った。

 そこに刻まれていた文字は、この一条善哉の所番地のほかに、『伽紅耶』の三文字が読めた。


「こ、これは・・・・」

「おお、おこころあたりはごさるのだな」

「この布は・・・・」

「それがしのものではない。鳥が口ばしに加えておったのだ。それがしの左肩にとまると、布切れをそれがしに押しつけるようにして飛び去っていったのでござるよ。いや、嘘ではござらぬぞ」

「と、鳥ですか?」

「一瞬のことでの、まばたきする間に飛んでいった・・・・からすのような、いや、鷹のような・・・・」

「なるほど、あいわかりました。まずは奥へ。お湯なりとも進ぜたいとおもいます」

 

 慌てて平馬は謎の浪人を土間に招き入れた。ここで帰すわけにはいかない。

 なんとなれば、その布に文字を刻んだのは行方不明のにちがいないからだ。そして、はなぜにの存在とその名さえ知っていたというのだろう。

 さらにいえば。

 なにを平馬に伝えようとしたのか、さらにこの大曾根道之介と名乗る侍を選んだ理由はどこにあるのか・・・・。平馬には思念するときが必要だった。すべての謎がつながるまでこの浪人を見張らなければならない。いまはそのことに神経を注ごうと平馬は気を引き締めた。

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