伽紅耶

夜更になっても、平馬はまんじりともしないで伽紅耶かぐやという名の女人の来訪を待ち続けていた。

あやがそう言ったのなら、まちがいはあるまい。まして、相手があやかしならば、わざわざ何を伝えようというのか、平馬はそれが気掛かりだった。というのも〈かぐや〉という名は古代の荒ぶる神の名のひとつであるからだ。その荒ぶる御魂を抑える音曲こそ、神楽かぐらにほかならない。と、平馬は不移山人から教わっている。


ちなみに、カグというのは、古代半島(朝鮮)語である。

銅を意味する半島語の“kuri”を語源としている。万葉集によく出てくる奈良の〈天の香具カグ山〉とは、銅を産出する山、という意味を含んでいる。このこともすでに平馬は師の不移山人から学んでいた。奈良のおんのナラも、“国”を意味する古代半島語である。


ということは。

伽紅耶かぐやがあやかしであるとするならば、おそらくは〈銅〉に関わる一族なのかもしれない。

 ・・・・・そんなことをとりとめもなく平馬は考えていた。


トントン。ドドントン。

風が引き戸を揺さぶっている。あやの真ん中の尻尾がピンと立った。

「や!」

燭台の蝋燭ろうそくの炎がゆらりと揺れた。

藍地小紋のあわせに白い襦袢じゅばんの裾をのぞかせている女の装いというものに、平馬はまずもって驚き、さらに、身の丈の低さに続くはずのことばを見失っていた。


 いや、最初視たとき、普通の少女のようにおもえたのだ。装いに気を取られている隙に、小さくなったとしかおもわれない。一寸法師、とまではいわないにしても、十寸、すなわち一尺(約30cm)ほどしかない。


〈おやおや、昼間に会ったおりは、もそっと大きかったぞ、大きかったぞ!〉


 あやがいった。

 どこかしら面白がっている様子がみてとれた。もしかすれば、綺と一尺女は知己ちきの間柄ではないのか、ふと、平馬はそんなことを想像した。

 蠟燭の灯りは、二灯しかないのに仄かに女の周りが明るい。目の錯覚ではない。平馬は周りの気がぼんやりと輪郭を帯びながら、ふるふるふるると震えているような力を察した。


「や!」と、平馬が驚いた。

〈おやおやおやや、あららのら〉と、あやうなった。

 これは、綺の呪文である。滅多に使わないが、破邪の法ではなく、招神気しょうしんぎ迂闊うかつの法という。

 平馬には使えない。

 それこそ、うかつに使ってしまえば、取り返しのつかないことになる。神のを招きそこなえば、まさしく、気がちがわないともかぎらない・・・・。


「あ!」


 平馬はた。またたく間に一尺女の背がぎゅうんと伸びて、頭が天井についたのを。


《これ、やめてたもれ》


 叫んだのは女である。

 天井からあやを鋭く睨めつけながら、なにやらわめいている。すると、ひゅるひゅるりとあやの舌がのびて、女の首に巻きついた。


「ひゃあ」


 誰が叫んだ声であったろうか。

 見る間に巻きついた舌が女のからだごとしゃらしゃらと下に落とした。

 ぽん。ぽぽん。

 女は三尺ほどの少女の背丈に戻っていた。



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※文中の「カグの語源」等については、畑井弘博士の著作に拠っています。

『物部氏の伝承』畑井弘著・ 講談社学術文庫

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