京に舞う風

 ・・・・京都所司代は、幕府の要職中の要職で、老中ろうじゅうぐ地位だとおもえばよい。いまは、板倉内膳正ないぜんのかみがこの役にいている。

 この時代。

 すなわち寛文八年(1668年)。

 板倉内膳正いたくらないぜんのかみ重矩しげのりは、五月に京都所司代に就任したばかりである。五十二歳。板倉重矩しげのりは、なんと元老中という重鎮であった。

 つまりは。

 老中職にあった者が格下ともいえる京都所司代職にくということで、京の人々はこぞって『左遷だ、左遷だ』と、はしゃぎ立てて蔑んだ、と記録にも残っている。

 しかも。

 板倉内膳正は、稀に見る胴長短足の顔であった。この噂が広がるやたちまちちまたにこんな唄が流行はやりだした。


  左遷させん内膳ないぜん いやしくも

  胴長短足 鎧も着れず

  顔にはでこぼこ 穴の山

  これでは にもならんぞと

  ぁい嘆息たんそく短足


 ・・・・平馬の耳にもこの節がついた唄が届いている。おもいおもいに節をつけたりことばが変わるので、音程が一定ではなく、つまるところ人が口ずさむ数だけ左遷内膳の唄が出来ているのだ。

 けれども笑ってばかりはすまされない。

 師匠の不移山人ふいさんじんが、板倉内膳正の着任を知るや、さっそく平馬のもとへ使いを寄越した。子飼いの托鉢僧である。

 ふみではなく、口伝えで、

『ゆめゆめあなどるべからず。内膳正、底知れぬ知恵者なれば、断じて近寄るべからず』

と、訓戒してきたのだ。


 ・・・・この戒めが平馬の頭裡とうりに刻まれていたために、口さがない都草みやこぐさたちの噂などには惑わされなかった。

 それに、とみに京にざわめきが起こったのは、この板倉内膳正の所司代就任の一件だけではなかった。京都町奉行所という役所が、新たに設けられることになったのだ。この町奉行ぶぎょうに誰が就任するかをめぐっては、武士の間でも格好の噂になっていた。当然、そこには、利権がからむからで、江戸から旗本らとその一党が、大挙して京へ京へと集まって来ている。そのことにも平馬は気づいていた。


(なにか、とてつもなきことが、起ころうとしている・・・・)


 そんな漠然とした予感が平馬をいつになくたかぶらさせてもいた。

 しかも。

 江戸からの見慣れぬ侍らの流入と時期を前後するかのように、平馬が伊賀者に襲われ出したことは、決して偶然とはよべないであろう。

 もしかすれば、さらわれたは、これから起こるかもしれない一大騒動に利用されようとしているのではないか・・・・ふと、そんな不吉な予感が、いま、平馬をより不安にさせていた。


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