第37話 青菜くんの衣装チェンジと蘭々さん容赦なし!

「それでは社長。契約書をもう一度ご確認下さい」

「あ、はいはい。うーん。良いんじゃないかな。うん、これは鉄板」


 野中さん、演技の熱が冷め始める。

 それ、フラワーガーデンで競艇の予想している時の返事じゃないですか。


「それでは、泥川様。こちらの契約で進めてもよろしいでしょうか? 一応口頭でもお伝えしますと、1000万円で御社の経営権を譲渡して頂き、今後は弊社の傘下として、子会社化したのち、グループ展開して参ります」


「お、おお! 1千万!!」

「すげっ」

「マジかよ」

「やったわね」


 泥川どろかわ一家、本音が漏れ始める。

 この場で演技しているの、もう蘭々さんと僕だけじゃないですか。


「金額にご不満でしょうか? 時価総負債額による評価ですと、弊社と致しましては最大限の評価、と申しますか、不躾ぶしつけな言い方をさせて頂きますと、譲歩をしております。この金額で折り合わない場合は、残念ですが」


 蘭々さんはそう言って、泥川家族の1千万円チケットである契約書を引っ込めようと手を伸ばす。

 当然、獲物はしっかりと餌に食いつき離さない。


「と、ととと、とんでもない! この額で結構です! 手続きをお願いします!」

「かしこまりました。では、早速ですが、まず入金させて頂きます。口座をご指定下さいませ。ご安心ください、私、公認会計士の資格を持っておりますので」


「それは安心だ! おい、通帳、通帳! 用意しておけって言ったろ! 急げ!」


 泥川の親父さん、さすがと言うか、やはりと言うか、ポンコツでした。

 美人秘書の蘭々さんが何の資格を持っていても、安心するのはこちらであって、むしろあなた方が何某なにがしかの経営系の資格を持った人をこの場に用意するべきでは。


 まあ、「豆腐にところてんが入ってた!」とかクレーム付けてくるご家族なので、何と言うか、お察しですね。


「会長? どうされましたか? ああ、口座にご興味が? 失礼。弊社の会長は銀行の通帳を眺めるのが趣味でして。少しよろしいでしょうか」

「あ、ああ、はい! もちろんどうぞ!! 結構なお趣味ですね! ははは!」



 そちら様も、大変おめでたい頭の作りをされていらっしゃる。



 僕は「ふむ」とか言って、通帳を手に取ると、パラパラと捲って見せた。

 今の一瞬で口座情報が引っこ抜かれたとは夢にも思わないでしょう。

 僕だって、普通なら思いませんよ。


『おっけ! 情報ゲット、ゲットー!! すぐに口座からお金吸い上げるよー!! えーと、うげ。800万ちょっとしかないんだけどー。ララ姉、どうする!?』


 僕たちの今回の目標金額は、1500万。

 嫌がらせ被害を受けて廃業した店舗にそれぞれ300万。

 嫌がらせ被害を目下受けている店舗に100万ほど分配する予定。


 700万も足りません。


「会長? どうされましたか? ああ、もう次のアポの時間でしたね。これは失礼いたしました。泥川様、会長は予定がございますので、ここで退席させて頂きますが、よろしいでしょうか?」


 蘭々さん、美人だなぁ。

 こんな人が秘書していれるなら、そりゃあみんな偉くなりたいと思いますよ。


「会長」


 あ、すみません。出て行くんでしたね。見惚れてました。


「うむ」


 そして僕は1人で外へ。

 そこに待っていたのは芹香ちゃん。


 次の役に衣装チェンジのお時間です。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「お待ちしてましたよー、青菜さーん! ……むぅ、でも、この姿の青菜さんはちょっぴり魅力が半減ですねぇ。たんぽぽー、もう良いですかぁ?」

『おっけ! もうデータも抜いたし、おじいちゃんスーツは脱いで良いよ!』


「脱ぐって言っても、たんぽぽちゃん? これ、なんかすごい特殊な技術で装着したよね? どうやって脱ぐの?」

「それはですねぇー! ふっふっふー」



 不意によぎる嫌な予感! これ、危ないヤツ!!



「待って! 芹香ちゃん! なんで僕の顔を、いやマスクを掴むの!? 待って!! お願い!! たんぽぽちゃん!? これ、何か着脱ボタンとかあるんだよね!?」


『ないよー? 使い捨てだもん! 脱ぐのはね、セリ姉に任せといてー!!』

「大丈夫ですよぉー。痛くしません、優しくしますぅー」


 物理じゃないですか!

 おかしいと思ったんだ! 今回芹香ちゃん、特に出番がないのに現場に来るから!!


「待って待って待って! 怖い! えっ、そんな、おばぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」


 僕の顔面から、バリバリバリと音を立てておじいさんの顔が剥がれ落ちた。

 正直、首から先が持って行かれるんじゃないかと覚悟した。

 そして少し後から駆け寄って来る激痛。


「ひどいじゃない、2人とも……」


『えー。説明したじゃんか、型取る時に!』

「はーい。次は服を脱ぎましょうねー! 芹香が脱がせて差し上げます!!」


 そんな説明、覚えているわけないじゃないですか。

 あの時は怖くて、人の話を聞く余裕なんてなかったのだから。


「よいしょっと。次はこっちを着て下さい! おおー、やっぱり青菜さんはスーツが似合いますね! ネクタイも締めてあげます! ふへへ、新婚さんですね!」


 どういう理屈かは分からないけど、あれほどの激痛を伴ったのに、顔は傷どころか、腫れやむくみの一つも見当たらない。

 たんぽぽちゃんに聞いてみたら『あれだよ、ルパンが変装する時の感じ!』と、まったく理解のできない説明を受けて、僕は納得した。


 納得するかしないかで、何かが変わるならあらがいますけど、無意味なんですよ、その問答。


『青菜ー! ララ姉がそろそろ出番だって! スマホの動画はちゃんと見られる?』

「ああ、うん。そっちは平気。顔が痛いけど」


 スマホの動画とは、泥川さんちのバカ息子とドラ娘が言いがかりをつけて来た時のものの事であり、これから使われる交渉材料でもある。


「じゃあ、行って来るよ」

「はーい! 青菜さん、頑張って下さい! わたしはここで応援してますね! いざとなったら、壁を壊して参上します!!」


 「それは惨状になるからヤメてね」と言い残して、僕は再び事務所へ突入する。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「はあ、はあ、社長! ご依頼の、はあ、嫌がらせの証拠を持ってまいりました!」


 僕のこの好演をご覧あれ。

 リアリティを出すためにその辺を少し走ってきたら、走り過ぎたらしく汗と呼吸が大変なことになっている。


「おー。ご苦労さん。疲れたろー? これ飲みな、これ」


 既に社長とおっさんの境界線をウロウロしている野中さんから、ぬるくなったコーヒーを貰う。

 不味いうえに、野中さんには申し訳ないけど、おじさんと間接キスはなんだか心がモニョっとする。


「私が拝見します。……これは!」


 蘭々さんが少し大げさなリアクションを取って、キッと眉をひそめる。

 そして、動かぬ証拠を突きつける。


「どういうことでしょうか? ご説明頂けますか?」


 動画では「豆腐にところてんが!」とか「豆腐落としたら崩れた!」とか「豆腐が柔らかい!」とか。アホの見本市が展開されていた。

 泥川一家が、顔面を泥のような色に染めるには充分だった模様。


「こ、これは、その、お、お前たち! ワシの知らんところで、なんて事を!」


「えっ、親父がやれって!」

「ばか、ここは演技しとけって!」

「ごめんなさい、お父さん!」


 蘭々さん、更に追撃。

 冷酷なトーンで、彼らを地獄へとご案内。


「これは、時価総負債額の評価を下げなくてはなりませんね。概算で恐縮ですが、1200万円ほどマイナスでしょうか。手形を切って頂けますね?」


「え、いや、うち、実はそんなに貯金がなくて!」

「そうでございますか。では、こちらが手配いたします」


 蘭々さんが、この事務所にやって来て、初めて笑った。

 その笑顔は、まるで天使のように慈愛溢れるもので、彼女の言う事を聞けば全ての罪が許されると僕ですら錯覚しそうになる。


「こちら、弊社が懇意こんいにしております、金融機関です。一度、こちらで借り入れて頂いて、子会社化が済み次第、返金する、と言う形を取りたいと思いますが、よろしいですか?」


「えっ!? まだ契約をしてもらえるんですか!?」

「もちろんでございます。弊社は、人の間違いを許します」


 蘭々さんの差し出した金融機関の情報、特に名前に何だか見覚えがあって、僕は記憶の糸を辿る。

 そして割と新しいフォルダに格納されている情報と対面。



 あ、ここ、邦夫くんが取り立てられてた、法外な利息の闇金だ!!



 蘭々さん、今回は本当に容赦しないご様子。

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