閑話:ミツバチのカルテ

ミツバチのカルテ/前編

 首都中心部にて行政機関各省庁が集約されている『高城楼閣ハイ・キャッスル』地区。その名の由来である、林立する高層尖塔ハイタワーの中でもひときわ巨大な一棟が財務鐘楼である。財務省の執行機関である中央徴税局のオフィスもそこに存在していた。


 某階のワンフロア丸ごとが割り当てられた、石造りのホールに無数のデスクとキャビネットが詰め込まれたモノトーンの大空間がトゥーロ冬遏連合の税収業務を担う中枢である。


 中央徴税局のメインオフィス――灰色に塗装したスティールの什器、強化樹脂製の衝立の立ち並ぶ中を迷路じみたルートを辿って三方を壁に囲まれた小空間ドン詰まりに行きつく。


 するとそこには、古ぼけた衣装箪笥が据えつけられている。


 場所柄にそぐわぬ意味深長な代物であるが、ともあれ擦り切れた取っ手を掴んで扉を開く……と、そこには防虫紙に包まれた古ぼけた外套や喪服、礼服が吊るされているばかりだ。が、先ほど取っ手を引いた手の側へ目を向ければ、扉の裏側に大型の鏡が取りつけられているのが視界に入る。


 そこに手を当てて、予め与えられたコードを詠唱する。

 ……と、即座にけたたましい警報が鳴り響き、不届きものは駆けつけた警備員に取り押さえられる。その後の処遇は、『ケースバイケース良くて始末書、悪い方はちょっと書けない』だ。

 もし貴方にが有るならば、魔術社会がいかな詠唱ファーストの界隈であろうと隠し扉を開くために鍵情報を発声するのは悪手である、と心に刻み付けるべきだろう。


 実際の手順はこうだ。IDが付与された識別標メダイを所定の位置(正確な部位は非公開情報である)に当て、顔を鏡面に映り込ませること。振り返ればそこには広大な緑地のそこここに白亜の建造物が点在する景色を目にするはずだ。


 とある鳥獣自然保護区ビオトープの内部に隠された、マノサの正式な本部、通称『揺り籠』クレイドルである(尚、推奨された手順では鏡にメダイを当てる際には予めクローゼットの中に入り込んで扉を閉めることとされている。さもなければ開けっ放しの扉から樟脳の匂いが漏れて近隣のデスクから苦情が寄せられるからだ)。


 何ゆえにこんな手の込んだ手順を踏んでまで都市部から隔絶した場所に虚を構えているかといえば、それはマノサの業務内容上、強力な術士の恨みを買いやすいからである。

 すなわち呪殺対策の一環だ。


 名前と座標、どちらかだけでも秘匿できればある程度の安全が保障されると、いった理由もあるが、そうした尋常な安全対策をぶっちぎるほどの手練れ、かつ、頭がおかしい奴に目を付けられた事態においてマノサ職員以外の役人やその他一般従事者の皆様を巻き込まない為の方策でもあった。


 少なくともこの形式をとっている間は、魔術士相手に下手を打ったマノサが末端職員から財務大臣に至るまでを巻き込んで精神・物理両面をぺしゃんこになる事態が起こる蓋然性はずいぶん下がってくれる。

 無論、セーフティはこれ一つに留まるものでは無い。が、上層部に仁義を通す意味あいもまた大きいのであった。その程度には危うく、そしてグレーゾーンで立ち回る必要性のある秘匿部隊。それがマノサのもう一つの顔である。


 ともあれ、以上がマノサ本部へ至る唯一の移動手段である。少なくとも、一介のエージェントに与えられるセキュリティークリアランス上は「そういうこと」とされている。


「そういうことになっている人員」とは、例えば十徳枝とNDIの両名のことだ。


 NDIは他国の姫君である。

 外交上非常に微妙な立ち位置でありつつも、行動の無制限な自由を与えるにはあまりにも際どい生得魔術の持ち主(兼、師匠殺し疑惑もち)のため、現在はインターンシップというお題目で文字通り首輪を付けられている。


 一方の十徳枝は、かつて犯した数々の脱法行為のツケを労働刑という形足輪付きで払わされている最中である。


 両者の厳密な立ち位置は異なれど、マノサにおける業務上は両者ともヒラのエージェントとして平等に扱われてコキ使われているのが実態であった。


 魔術士という難物を相手取ってきちんとコインを回収して来れるならば、それは人員としての必要十分というわけである。

 その代わり銅貨の一枚もまかるな、というのがマノサ鉄の掟だ。


 これから語るのは、そんな銭がゲバゲバした日々の隙間にぽっかりと発生した、ちょっとした余暇時間における一幕である。


◇◇◇

 先述した通り、徴税局対魔事案査察部、通称魔ノ査マノサの本部はビオトープの内部に秘匿されている。


 ……というか、どこぞの僻地の広大な山間部に広がる鬱蒼とした森林の只中に、樹々や地形の起伏に紛れ込ませる形で各種施設が建てられていた。


 もっとも規模の大きな建造物はちょっとした音楽ホール程度のサイズであり、執務に関係する機能のおおよそはそこに集約されている。が、例えばミーティングのための大テーブルの間や、尋問用の個室、ちょっとした宿泊設備など、別棟になっているものもいくつか存在していた。


 各施設の中には当然ながら職員の福利厚生用のものもある。

 サンルームと銘打たれたそれは敷地のやや外れに建っており、バーカウンターやキッチン等の設備も揃っているのでちょっとした調理も可能だ(前述の仕様上宅配が使えない為、材料類は持ち込みに限られるが)。

 南向きの壁は全面ガラス張りで、崖に面した立地なのもあって谷底を流れる川や、その先に連なる山々が一望できるようになっている。


 そしてこのサンルーム、職員からの評判がすこぶるつきに悪かった。


 その理由にはトゥーロ連合のお国柄が関わる。

 正式な国名である「トゥーロ冬遏連合」に『冬』の一字が入っているのは、トゥーロ連合が樹立されたのが長く厳しい冬季の訪れる土地だからである。気温も年間を通じて低い。

 日照時間も相応に少ないため、日光浴は人気のレジャーだが、一方で魔術国家にありがちな自然環境への忌避感も強かった。


 これは「厳寒期に戸外に放り出されたら、それが文明化された首都中心部であろうが関係なくまあまあ死ねる」という、寒冷地在住者にとっての事実を伴う素朴な感情もその理由であるし、そんな生存に不利極まりない土地を体系的魔術領域マギ・テックの力で制圧したのだ、という民族的な自負も絡んでいる。


 また、魔術士にとっての『人類の棲息圏を離れる』という単純なリスク要因が想起させられるのも大きかった。魔術士にとって、自然環境とは魔術を自由に行使できない彼らにとっての地獄、極地環境を連想させるのだ。

 マノサの職員は、魔術士を相手取るという業務の性質上、自らも魔術流派の有資格者やそれに準じた能力を持つ者で構成されている。


 よって、典型的なマノサ職員に例の「サンルーム」に感想を求めると――

「陽の光をたっぷり浴びられるのはまことにけっこうなことですけど、だからといって極限自然環境に取り囲まれて『さあくつろげ』と言われても……困る!」

 ――というような反応となってしまい、好き好んで足を運ぶ気を到底起こせない、という次第なのであった。


 そんな訳で、ここしばらくの間、当該の建物より一望できる絶景はNDIが事実上独占していた。

 国籍も文化も異なる出自である彼女にとって、断崖に乗り出すように建てつけた巨大なガラス箱……と十徳枝パートナーが口を極めて罵っているところのサンルームは何の瑕疵も存在しない、至極快適な空間に過ぎなかった。


 滞在する機会が増えるにつれて持ち込まれる私物も増加していたが、それを咎める者は特に居ない。なにしろ当のNDI以外で足を踏み入れる者も無いし、なんのかんので成果を挙げている上に、性格自体はごく大人しい彼女のちょっとしたお貴族様ムーブを敢えてあげつらって鼻っ柱を敢えて折る必要性を感じている者はマノサには居なかったからだ。


 ……極一部、具体的には一名を除いて。

 NDIとタッグを組まされている十徳枝からしてみれば一連の振る舞いは「お前さあ、大概にしろよ」と言いたくなるアレコレに他ならないが、どうにも周囲の大人共の反応が鈍い、というかスルーされがちなので余計に歯噛みさせられる今日この頃なのであった。


 その日の昼下がりも、業務と業務の隙間に不意に発生した待機時間を十徳枝・NDIコンビは思い思いの方法で過ごしていた。


 十徳枝は殊勝なことに、溜めこんだ書類仕事を片付けようと気まぐれに思い立った。

 しばらくの間紙束と格闘していると、自身の相棒にどうしても確認が必要な事項に行き当たる。


 この天気にこの季節なら、例のガラス箱で好き好んで炙られている所だろう。そう当たりをつけて書類を片手にメインオフィスを出て敷地を大股歩きで横切り、分厚い堅木製の扉からサンルームへと足音高く押し入る。

 南側壁面いっぱいの採光窓のおかげで、照明が必要ないほどに明るく保たれた屋内は、鋳鉄とオイルを擦り込んだ頑丈な板材を組み合わせた無骨なテイストのインテリアで統一されている(どうやら局長の趣味らしい)。


 しかし現在、そんな無骨&機能美&クソ頑丈ヘビーデューティーな雰囲気に満ち満ちた空間にあって、採光窓に面してバーカウンターにほど近い一角のみが少々異質な空気を纏っていた。

 一本足の丸テーブルにかけられたテーブルクロスには一分の隙も無くアイロンと糊が効きかせてあり、その上には繊細な金彩の施された白磁と銀のカトラリーによるテーブルセットの一個師団が集結して『午後のお茶の時間』のフォーメーションを展開させている。その上クリスタルガラス製の一輪挿しに花まで活けてある始末。


 テーブルについているNDIは羽根のように繊細な白磁のティーカップをしずしずと口に運んでいる最中だった。


「わかりやすい趣味してるよなーホント!」


 十徳枝は小声で毒づき終えてから、目指す相棒の元へずかずかと歩み寄る。

 闖入者の姿を見て取ったNDIは、カップをソーサーに戻して彼の到着を待ち、鷹揚に出迎えた。


「こんにちは十徳くん。なにかご用?」


「へえへえ30分ぶりのお目通りに恐悦至極です。

 で、だ。先週の現場なんだが行きの自走式辻馬車タクシー代の届けがまだなんだが、確かあん時はそっちに支払を任せてたよな。領収書っていま手元に有るか?」


 ふんふんと大人しく話を聞いていたNDIだったが、問いかけの内容に視線を泳がせる。


「…………えーと、支払いはしたけど…………」


「おい。まさか」


「キリの良いお金を渡した後、そのまま出ちゃった」


「領収書は貰えよ~! っていうか釣銭も受け取れ!

 っつーかお前の言う『キリが良い』が最高額紙幣の何枚あれば良いかしら? しか主に意味しねーのがそもそもアレなんだよ! 金銭感覚! オイ金銭感覚!! お前は金銭感覚をどこに置き去りにした!! ?」


「うーん、真珠を握って銀のスプーンをくわえて産まれちゃったからなあ」


「出た『敢えてのお金持ちジョークで~す』なノリ! お前さー、人生のどっかの時点で完璧に開き直ったよな」


「えへへ」


 十徳枝はため息をついて手近なベンチにどっかりと腰をかける。タクシー代が経費で落ちなくなったのが確定したと同時に時間を潰す手段も失われたからだ。


「ごめんね。私のポケットマネーから補填するよ」


「……いや、折半だ。こんな所で貸し借りを作るのは御免だからな」


 と、一旦は意地を張ったものの、2で割ってもあそこのスタンドでビーフサンド食える額じゃねえかクソ、とぶつくさと続けている十徳枝の姿に、NDIが肩を落とす。


「……ごめん」


「そこでマジな謝罪をされるのも何だかなー! 別に食うや食わずの生活って訳じゃ無いからな! ?」


 その日の午後、彼らはするべき事が本当に無かった。まだ若く、睡眠も足りており、小一時間程度の暇な時間だけが横たわっていた。無為な時間を過ごすのを選べるほど疲れ果てても、いなかった。


 なので十徳枝も普段は落ち着かない気持ちしか覚えない場所に留まる事を決めて、NDIと世間話をして時間を潰そうと気まぐれを起こしたのだ。

 備え付けのキッチンへ向かい、冷蔵庫フリージングチェストを開けて共用物品棚から瓶入りの牛乳とコーヒー豆を喚び出して湯を沸かし始める。


「……それはそうと、何だそれ」


 程なくしてコーヒーにダブルフィンガー分の牛乳を注いだマグカップを携えて戻った十徳枝は、NDIが自身の向かいの席を勧めるのは無視し、先だってと同様ややはす向かいに位置するベンチへ腰掛けてから兼ねてからの疑問を口にする。


「これ? ほら、庁舎前のパン屋さんの巻パンだよ」


「それはわかる。俺が聞きたいのはその奇怪な棒切れを突っ込んだ瓶の中のゲル状の何かについてだよ」


 改めて問われたNDIが目をぱちくりと瞬かせてから、得心した様子で十徳枝をしげしげと眺める。


「ああそっか」


 誰に聴かせるともなく零れた呟きには何かに気付かされたような色合いを帯びていた。『そういえばここは外国で、自分は異邦人だったのだ』と、不意に思い出したかのような。

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