ミツバチのカルテ/後編

「蜂蜜、って言えば十徳くんなら分かるかな」


「はぁー、これが例の。虫のツバと花蜜を混ぜ合わせた古代式の甘味料とかいう」


「う、うーん。説明としては間違ってないけど……」


 クリスタルガラス製のハニーポットと、そこに満たされた蜂蜜を前にNDIは当惑の声をあげた。


 トゥーロ連合はミツバチの生息域の北限……を、遥かに通り越した緯度に位置している。そのうえ砂糖の合成術式をいち早く実用化したものだから甘味量を敢えて輸入する動機も無かった。加工品の形ならいざ知らず、蜂蜜そのものが市井に流通する機会は皆無といって良い。

 そのため、当国での蜂蜜とは『物凄くニッチでやたら高価な健康食品』という扱いであった。


 言葉選びはともかくとしても、作成過程を把握している時点で十徳枝は一般的なトゥーロ国民に比すれば相当に博識な側なのが実態だ。


「つーかさ、俺だって蜂蜜の見た目くらいは知識としてなら知ってんだよ。ただそれ、色が……なんか……何だ?」


 十徳枝が指さす先のクリスタル製の小さなポット。その内部に満たされた液体は一見して……墨を流したような黒色だった。一方で、午後の陽光が差し込んで純白のテーブルクロスに落ちる影は中央部分が血のような赤色に輝いている。

 本来は透明度の高い赤色をしているのだが、あまりに色素が濃密で黒黒として見えるらしい。


 血色の影の周囲をクリスタルに施された緻密なカットが陽の光を砕いた緑青やシアンや琥珀といった様々な色彩の欠片が取り巻く様子はちょっとした万華鏡のようだった。


「蜂蜜ってふつうは金色をしてるものね。これは伯父様がお裾分けしてくださった自家製だから」


「お前の親戚筋っつったら母方も父方も貴族筋じゃね? ミツバチのブリーダーってそんなハイソな稼業なのかよ」


「えっとね、本職は学者さん。確か生物学と文化人類学の博士号は取ってらしたかな……。古代の生態系についてがご専門で」


「うわ。フィールドワークとか称してはきょうび極地にカチ込むひときわイカれた連中じゃねえか。殿様学者が良くやるな」


「あ、それがね大公の血筋だから直轄領にもけっこう簡単に出入りできるじゃない? だから、その人は御料地の一つな城下の森林で研究してるの。

 ……えーっと、イクシザイアは極地と人類生存圏のだいたい境目に有るし、『大公様の森』って言ったら禁足地でしょ? 長年人の出入りが極端に少なかったから生態系がヒト由来の環世界にシンシューされていないとか何とか」


「殿様学者がよー! やってんなあオイ! ……いや、話を戻すが、じゃあそこのタールみてえな代物も察するに研究の副産物か何かってこったな。親類に横流ししてるって事はコイツ自体に用があるってんでも無いんだろ?」


 NDIが頷く。


「ミツバチは花の蜜を集めて蜂蜜を作る訳じゃない?」


「だ、そうだな」


「花はどうしてハチが自分の所へ来るように仕向けてるんだと思う?」


「――素直に考えれば繁殖の為ってとこか?」


 首肯したNDIが、卓上の一輪挿しに活けた花を指し示す。

 白い花弁は薄紅色の斑入りで独特の文様が描き出され、一重咲きの5枚花弁は先端がやや丸まった星型を形作っている。


 NDIが花を手に取りくるりと茎を回す。すると花の側面はラッパ型をしていて、やや奥行きのある形状なのが見て取れた。


「こう、付け根から湧き出す蜜を汲むためには花の奥に潜らないといけないでしょ? その途中でハチの身体と花の雄しべが擦れ合って花粉がくっつくの。だから春先のハチって可愛いんだ。全身が花粉で黄色くて、むくむくで」


「あー。そんであちこちを飛び回って蜜集めをする内に知らず知らず受粉の片棒担がされてるって訳ね」


「そうそう。花の方でも、長い間ハチと共生しているからそのやり方じゃないと種を作れないんだって。それで、この花って御料の森にしか咲いて無くって」


 ガタンと派手な音を立てて十徳枝がその場から立ち上がりかける。


「おま、お前それじゃあその花が例の」


「そ。エクス・イキュー。イクシザイア私の国の国花」


「国外持ち出し厳禁だった筈じゃね……?」


「これは切り花だしちゃんと雄しべと雌しべは切ってあるよ。それに、親類のおじ様から私への私的な贈り物に添えられていた野草の一輪に過ぎないもの」


 『そんな品物をわざわざ検疫することがあると思う?』とほのめかす言い回しに、十徳枝は肩をすくめる。


「……クッソ貴族」


「うふふ、その気になったら悪いことし放題かもね」


「『かも』、ねえ~~~。

 まあでも、それで合点が言った。お前の親類のおじ様とやらがミツバチ農家の真似事をしているのはイキュー草の保全のためってこったな?」


「そういうこと。といっても御料の森を管理しているのは代々務めてる森番さんで、実際に花やミツバチの数を保たせているのはその人たち。

 伯父様はイキュー草が余所で育たない原因を調査するために巣箱を借り受けて色々と実験なさってるみたい。だから採れる蜂蜜の量は少ないし、見た目もちょっと変わっていたりするんだ」


 NDIはハニーポットを手許に引き寄せ、ポットに挿したティースプーンほどのサイズのカトラリー――ハニーディッパーだ――を摘まんで、中身をゆっくりとかき混ぜだした。

 銀製のディッパーは赤黒い液体越しに半ば透け、深紅に染まって見える。


「本来のイキュー・ハニーの色はここまで濃くなくて、もっと透き通った赤色だよ。といっても御料の森で出来た物は全てが献上品になるし、常食してるのは大公と、そのご家族くらいじゃないかなあ」


「ふ~ん。やっぱクソ高価かったりすんの?」


「というか、欲しがっても手に入れる方法が『無い』って感じかなあ。お金でやり取りするものじゃないもの。採れる量も限られているし、お裾分けが出回ることも……うーん? ちょっと考えづらい。

 継承権が上の方だったとしても、城内に住んでなければ会食の時に偶にデザートに使われていれば口にする機会があるかな? って感じかな」


「話だけ聞いてると、そこのインク壺みてえなのが切り花よりも際どい代物に思えて来るな」


 NDIが腕組みして首をかしげる様を見、眉間に皺を寄せた十徳枝は手元のマグカップを口に運ぶ。ミルク入りコーヒーは既に冷めかけだ。


「ふふ。だからこれは、あくまで『親戚が分けてくれたちょっと変わったハチミツ』ってこと。十徳くんも出処は内緒にしといてね」


 NDIの笑みへの返答代わりに、十徳枝は肩をすくめて見せる。

 もとよりこの程度の『やらかし』で飛ぶような首では無いことは彼自身も承知していた。この女をで追い落とすならばもっと決定的な証拠を突き付ける必要がある。


「しっかし、いくら大公御料たって国土の中じゃごく一部だろ? 魔術仕掛けのオートマトンならいざ知らず、ただの植物がマジで『そこ』にしか根付かないなんて有り得るのかね」


「それなんだけどねえ、根付きはするんだけど、種を作らないから一代っきりで枯れちゃうんだよねえ。理由も長い間わかってなかったんだけど……」


 そこまで喋って、NDIが不意に口をつぐむ。


「……?」


 十徳枝がいぶかしむ中、NDIはおもむろにハニーディッパーを摘まみあげる。

 その動きに追従して、蜜の一部も器具にまとわりつきながら共に持ち上げられる。赤みがかった黒に見えていた蜜が引き延ばされて本来の色味であるガーネットの様な透明感のある暗赤色を呈した。


 ディッパーの先端は糸巻に切れ込みを入れたような独特の形状をしており、粘りのある蜜を効率的に抱き込んでいる。NDIが取っ手を2,3度も回せば持ち上がった蜜はくるくると巻き取られて絹糸の様なか細い垂れ落ちがぷつりと途切れ、彼女の手元にはスプーン1杯ほどの蜜が掬い取られる。


「ね、十徳枝くんクイズしない?


 実は、イキュー草がごく限られた区画でしか繁殖しない理由は最近解明されたの。それって、どんなことだと思う?」


 なんとも唐突な謎かけであるが、これは十徳枝にとっても始めて仕掛けられた事態であった。

 NDIは一見すると予測の付かない言動が多いように見受けられるが、実際には当人なりの意図が存在することも多い(それを敢えて下々もとい他人に伝える意識が薄いだけだ)。むしろ受動的な性質をしており、他人へ積極的に関わることは滅多に無かった。


 少なくとも、マノサへインターンに赴いて以降の彼女は、そうした振る舞いで一貫している。


「……クイズ、ったってなあ。問いの立て方がえらく漠然としてるし、俺は自然科学とやらにも南方の草花や虫にも不案内なんだが?」


「うん、なので質問も有り。そうだなあ……はいかいいえで答えられることなら受け付けまーす」


 言い終えたNDIは先ほど掬い取った蜂蜜を垂らした巻パンを頬張り始めた。その姿は平素のように澄ましかえったもので、特に不審な様子は見て取れない。


 十徳枝はそこまで思考を巡らせるとため息をつき、ひとまず話題に乗ることにした。

 当人はあまり認めたがらないだろうが、問いの答えに興味を惹かれてしまったのも動機として大きい。


【Q.イクシザイアの国花、イキュー草が大公御料の森でのみえる理由を答えよ】


「ま、ここまでの話の流れからして原因にミツバチが一枚噛んでるのは見えてるがな~……いや、一応確認。『大公の森以外の国土にもミツバチは棲息している?』」


「――『はい』」


 十徳枝の問いを受け、NDIは咀嚼していたパンの欠片をゆっくり飲み込んでから落ち着き払った口調で答える。


「『大公の森は土壌や局地的な気候変化などの特殊な条件を満たしている?』」


「『いいえ』。単に建国王の所領だったから今は禁足地になってるだけで、内部はありふれたちょっと豊かな森なだけだよ」


 NDIの答えに、十徳枝は数秒だけ思案して次の問いを投げかける。


「……『大公の森の外で繁殖しない、というのはミツバチが原因か?』それと、『大公の森以外でもイキュー草にハチはたかりに来るか?』」


「『はい』! ……それと、『いいえ』」


「――大公の森の外では、ミツバチはイキュー草を認識できない? いや、今のは無しだ。イクシザイアは魔術の効きが弱いから物理法則的に尋常なことしか起こらねえんだったよな」


「ふっふっふ。それはそのとーり。魔術的マジカルな結界とか、古代魔法の呪いとかは関係しないよ~」


「トゥーロならその手の事例もザラなんだがなあ。人類含めて完全にまっさらな未改造な生き物とかウチの国土に居るのかね? って勢いだもんな」


帳国ウチ創薬レアメタル宝石の国だからねえ。そゆことするなら交配か、最近なら遺伝子操作の領分になるなあ」


 十徳枝がうへえ、と舌を出して見せる。


「変身術の応用ですらなく、細胞の設計図を物理的に弄り回して肉体変容を促すんだろ? 理屈はわからんでも無いが、いつ聞いても胡散臭い手管だなマジで」


「そりゃ変化の魔術に比べれば自由度は低いけど。ただその代わり魔素の希薄な環境でも変異が固定されたままっていうのがこの場合は強みだね……あ」


 NDIが口を抑える。その素振りで十徳枝も彼女が正解のヒントを期せずして与えてしまったのだ、ということを察してしまう。


「……お前な~、これが公案課題だったら今のリアクションの方で一発不可を食らうぞ。

 つまり、遺伝子変異が関わるんだな? で、遺伝子操作は当世の最新理論であって、実用化の話はまだ聞こえて来ねえ(ま、実際はどうか知らんが)。そもそもイキュー草とミツバチはおたくの国の建国時からの付き合いだ。気長なブリーディング、あるいは突然変異が絡むと考えた方がこの場合は自然だろうな」


「……」


 NDIは気まずい表情をしたまま『どうぞお続けになって』のジェスチャーをする。


「もしかして、『異常が有るのは大公の森のミツバチの方か?』」


「……『はい』」


「よーし纏めるか。『答え:ミツバチは本来イキュー草へは蜜集めをしに来ない。ある時、何らかの突然変異でイキュー草へも寄り付くミツバチが現れた。で、件のミツバチは大公の森の外では淘汰されておりイキュー草もミツバチに依存した繁殖方法以外は退化しているため、お互いに大公の森でしか生きられなくなった』……ってとこか」


「うん、正解! 理由も特に付け加える事の無い花まるです。あのね、ミツバチって視覚で花の種類と咲く位置を覚えるの。そして、本来のあの子たちは赤い色が見えない」


 イキューの花弁に配された特徴的な文様は、薄紅色……ごく淡い赤色をしている。


「多分だけど、イキュー草の文様も大昔は別の……多分今よりずっと黒っぽい色をしていたの。でもある時、遺伝子の欠損か何かで赤以外の色素が抜け落ちてしまった」


 そこで言葉を切ったNDIが白磁のカップを手に取った。一旦紅茶で唇を湿してから、おもむろに話を続ける。


「さっきも言った通り、大公の森って『普通の、ちょっと豊かな森林地帯』ってだけなのね。花ならイキュー草以外にも一年を通じていくらでも咲いてる。だから、本当ならイキュー草はこのまま淘汰されるはずだった」


「が、そうはならなかったと」


「うん。イキューが色を亡くしたのと同じ時期に、とある蜂が有るべきものを取り落としたまま女王になった。彼女から産まれた働き蜂たちも同じ特徴を受け継いでいたの。その一族は本来蜂が持っているよりもずっと視力が低くて、可視光線のスペクトラムも大幅にズレていた。


 恐らくは明暗で物の輪郭を見分けるのと、そして当たり前のミツバチが本来見ることのできない『赤』だけで視界が彩られてるんだろうって。


 だから、その女王の娘たちは赤い斑入りのイキューの花に殺到した。

 そのハチ達にとって、この世界で蜜を採れる花はあれだけだったから」


 NDIがカップをソーサーに戻す、硬質な音がサンルームに響く。


「でもね、植物の遺伝子って自然の中でもすごく変異しやすい分、品種改良もけっこう簡単なの。思ったような色や形に変えて、その形質を固定することも、そう難しいことじゃない。


 ここにあるイキュー・ハニーの元になったのは、伯父様が交配して変異前の花色を復活させたものなの。花びらの模様をちょっと黒ずませたら、大公の森の外から持ち込んだミツバチも採蜜するようになったんですって。『きっとこれが本来の姿だったんだろう』って、お手紙にはあったわ。


 ――ねえ十徳くん。クイズの二問目。


 『取り残されたミツバチ達に、治療をしてやるべきでしょうか?』」


 NDIの視線が、ひたりと十徳枝の両の眼に据えられる。


「……どう思う?」


「――なんだそりゃ!」


 十徳枝が鼻を鳴らす。


「『そんなモン、ミツバチとの治療方針に関する意思決定インフォームドコンセント次第』としか言えんわ」


「……ん?」


「だってお前の話ぶりが経済動物に対するそれじゃねえんだもん。完全に蜂さんサイドに立った物言いじゃねえか。ならまずはミツバチを対話のテーブルに引っ張り出す所からだろが。とんだ駄問だな。前提がなってねーよ」


「あ、ああ~そっか。そっかあ、なるほど……。なるほど?」


 尚も首を傾げているNDIを横目に十徳枝がせせら笑う。


「一問目はまあまあ面白かったが、調子に乗り過ぎたな! 練り込みが足らんよ練り込みが」


 ぱっと顔を上げたNDIが、ふたたび十徳枝の顔を見据えて来る。

 十徳枝は思わず怯んだ。いつもどこか霧に霞む景色を眺めるような曖昧さを湛えている彼女の瞳が、その瞬間だけは常ならぬきらめきを見せたように感じたからだ。


「そっかあ、インフォームドコンセント! 良い言葉だね」


「そうかあ~? アレもだいぶ毀誉褒貶が……」


 十徳枝がおっぱじめかけた講釈は意に介さず、NDIはぱっとその場から立ち上がるとてきぱきとティーセットを片づけ始める。


「なんだなんだ」


「うん。お茶も済んだしお散歩でもして来ようかなって。


 ――あ、これクイズの賞品ね。ディッパーは水洗いしてくれれば良いから」


 言うが早いが、ハニーポットから手早く掬った蜂蜜を十徳枝のマグカップにディッパーごと差し込んだ。


「あっオイ!」


「折角だから味見してみて。コーヒーにも合うよー!」


 テーブルクロスを腕にかけ、カトラリー類を乗せて銀のトレーを持ってNDIは軽やかな足取りで立ち去る。


「な、なんだってんだ一体」


 後に残された十徳枝は、仕方なしにハニーディッパーをマドラー替わりにミルクコーヒーをかき混ぜて、意を決して口にする。


「……甘」


 甘ったるいが、確かに悪くない味だ。

 と、彼は思った。

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